なじる "ナッジ" は思うつぼ

母象が鼻で小象を促すような優しさが "ナッジ" だと解釈しています。最近の「緊急事態宣言」について、厳しい意見が多く出されています。そこに、違和感があります。

だれも、怠けていたわけではなかった・・・。手探りで、できることを "必死" でやってきた。この一年を振り返った時、そう思い返すのです。

自粛協力要請の標的にされやすい飲食・歓楽・観光。その他の職場での三密回避活動、指先消毒励行・・・いずれにしても、頑張れること踏ん張れるところは、その人なりにやってきた。

だが、第四波は容赦なかった。その結果から導き出されたのは「責任者は何をやっていたのか」という "なじる" 所作。

"はっちゃけたい" 気持ちを誰が抑えられようか。特に若者の高揚感。"なじる" 人たちにも "いつか来た道" で思い当たることがあるはず。

押さえつければつけるほど、反発を生む。「消灯奨励」など全く意味がない。それは、"なじる" 所作(ナッジ)から生み出された "苦し紛れのヤケクソ対策" としか思えない。責任者を追い詰めれば、そんな結果がそこかしこに生まれてしまう。結果、若者は暗闇で "はっちゃけ" を繰り返すことになる。それは、若者だけに限らず "自粛疲れの反発" からだれにも起こりえる所作。

頑張ってきた人たちに「なじらないナッジ」を。ひきつづき、冷静で客観的な対応を促すナッジを。

"なじる" は主観的で感情的な所作を生みます。若者に対しても責任者に対しても。それは、”極小疫病主の思うつぼ"。世の中が無理に大人しくなればなるほど、"変異する努力を促してしまうナッジ" になると思っています。

責任者には、”極小疫病主" が「不活性化してレトロな存在」「過激に変異しない」ように対策を "ナッジ" する、いま求められている所作だと思うのです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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