妄想:大統領選、負けに"価値"がつくか
僅差で決着がつかない場合、どちらかの大統領候補が負けを認めるもしくは認めさせる方法を考えておかなければと思って妄想しました。
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双方の支援者が相手側を罵り引きずり降ろそうと、SNSで悪口雑言を浴びせあっている。そして、同じくらいの数で「この国はどうなるのだろう」と不安になる人々がいた。
昔から国が割れて収拾がつかない時、おおきな "カネ" が動く。それは、庶民にはわからないところで取引される。仕組みは、「どちらかが "勝ち組" となれば "勝ち馬" に乗った者勝ち」であるので、負け組候補にカネや "生きやすさ" を保障する「負けの利益」を与えるのだ。
それは企業であったり他国の情報機関であったり、様々に ”勝ち組” になろうとする組織団体のこと。勝敗がつかない時に、どこからともなく集まってくる。
だが、今回は様子が違うようだ。「負けの利益」に価値を見いだせない大統領候補たち。勝たねば価値を失うの念で ”負け” 組に与する気配が全くない。それは、SNSで支持者が「負けの価値」を徹底的に否定しているからだ。
コミュニケーションのスピードが昔とは違う。ゆっくり伝播するコミュニケーションであれば「負けの価値」を納得して共有する支持者を形成できた。だが、凄まじい勢いで伝播する今日では「納得の覆し」が高速で波紋のように広がり、収まる気配がない。だとすれば、"負け" を認めぬ方が安心できる。
もはや、SNSが世界を牛耳る世の中となった。世論というほどの知的な情報ではなく ”感情” の単純な現われでしかない。論理が通じない社会となってしまった。
SNSの支持者から「裏切者」と烙印をおされれば未来永劫その世界では ”生き難い” 存在となる。それは、庶民であっても大統領候補であってもだ。
「裏切らないために負けを認めない」
そのアピールこそが ”感情” に応える所作となる。「負けの利益」は、もう、存在しない。あの集団は、離散するしかなさそうだ。なぜなら、勝ち馬が現れてもそれに乗るほどの価値はないから。
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なんだか、収拾のつかない文になってしまい恐縮です。リアルの世界も収拾がつかないのだろうと思います。だから、民主主義の民衆の深層心理に「強者が現れ、世界をまとめる」という思いが密かに芽生えつつあるのでは、と、これまた妄想している次第。
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