ゆる妄想:疎密と死生観

***** 生物は、細胞が密に集まり役割分担して、その全体を "生" かしている。一つ一つの細胞が分解して、各々の分子の分解速度に従いながら原子まで分解すると、"死" となる。全体から疎へと進化する。途中、分子は他の生物へ取り込まれ、細胞に集約され、密となる。再び、"生" かされるのだ。

ビッグバンは、極限の "有" を生み出し "密" から始まる。時が一刻刻むごとに分解され、原子となっていく。原子は集まり分子となって、生命の基となる。小さな密が大きな密をうみ、やがて、死が "疎" を生み、さらに疎へ導いていく。原子となれば、再び、"密" へと導かれる。

ビッグバンは、絶対的な個のエネルギーを発散させ、空間は疎を作りながら広がっていく。だが、その中で小さな密は集まって大きな密となってさらに隣接する大きな密を引き寄せる。疎の空間の広がりの中で、やがて、たった二つの密となり、その密が重なり合うとき、空間の疎は消え、唯一の密だけが残る。すべてのエネルギーが密に集まり、最後は、極限の "無" となって、時の刻みが終わる。

*****

その中で、わたしの "生" とは、なにか。わたしという "情報" は、生きながらえるのか。

を考えるよりは、死への途中で私の分子が他の生命体に吸収されることの方が、楽な選択である。わたしは、楽な法を選びます。

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