いつか来た道:過激思想の若者が社会的責任を負う世代となれば
「女性の権利尊重」と新政府となろうとして宣う。だが、その言葉に見える "焼印痕" は、若いころの強烈な暴力を物語っている。
当時の過激な人々も年を取った。だが、若い時に仲間の団結を示す "焼印" を押し合い、裏切り者や反逆者は "皆殺し" にしてきた歴史はぬぐえない。そして、絶対服従を強要してきた。
信じるモノコトに固執し、狭量で自身を過剰に意識する集団。それが、彼らの若い時の姿だ。
年を取るとはどういうことか。どの人間社会にも年寄りはいる。その年寄りの動き方や語り方は、どんな人にでもイメージできるであろう。おおよそ「落ち着いて、細かいところより広く深く遠い視線で、ぽつぽつと語る」イメージではないか。無論、その正反対の年寄りもいる。大概、集団の中の "鼻つまみ者" となっている。
若いころに付けた "焼印" 。それを過剰と悟って国の運営に当たるのか、世界の "鼻つまみ者" となって、動きの鈍くなった自身の代わりに、若い人たちをけしかけ、"焼印" を押して回るのか。
民主主義勢力も、自身の "焼印痕" をさすりながら、あらためて、かの地の人々に刻印する日を、虎視眈々と狙っているのかもしれない。
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