やさしい全体 の 到来
テクノロジーがニンゲンの想像を超えるようになってきました。個人の生活をサポートするのみならず、個人の行く末を左右するようになりつつあり、また、権力ある者への絶対的ともいえる忠誠を誓うモノ・コトになりつつあります。(以降、妄想)*****
"技術の力" が権力を持つ者に集中するのなら、個人は権力ある者に牛耳られることになります。権力者は「民の代表」として世の中に現れ、権力を握れば民を牛耳る指導者となって民の行く末を左右する存在となります。そこには、"強力な技術" があって、技術を操る指導者が技術に操られている日常があるのです。技術は指導者に忠誠を誓うあらゆるポーズを示せばいいだけ。指導者は、技術が提案するモノ・コトに Yes! というだけで民を牛耳ることができます。
個人の自由が権力者によって制約される世の中。"反発" は確実に消去される治安体制。それらは、技術の力によって執行されます。
その未来を想像することができたニンゲン。そうなる前に、あたらしい "技術との共存" を模索し始めます。
ニンゲンは、「個人の意思をくみ取り、多くの個人の意思の集約を学び、集約されたモノ・コトと集約の外側にあるモノ・コトを一人一人に分かりやすく解説できる "技術の力"」を創り上げます。
ニンゲンは、集約されたモノ・コトと集約の外側にあるモノ・コトを能く考慮しながら、「やさしい全体」を構築していきます。その際にも、"技術の力" を借りて、ニンゲンの行動が "やさしさ" にあるのかシミュレーションします。ニンゲン同士で "やさしさ" を確認しあったら、"技術の力" によるサポートを受けつつ、ニンゲンによる "やさしさ" を執行に移すのです。
わたしたちは常に "やさしさ" に包まれた世界に居ます。それは、"技術の力" と "ニンゲンの力" によって現実となったのです。
*****
まぁ、この妄想は「お花畑の中で "やさしさ" を叫ぶ」ようなもんですけれど・・・。おそらく、10年以内に妄想のあってはならない筋書きの方へ全体が流れていくのだろうと、これまた、妄想しているところ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?