飛び降り他殺


 彼は工場で働くしがない会社員。この会社の中では新人でやる気に溢れていた。一定水準の生活をし仲間たちと仕事をこなし、特に当たり障りない毎日を送っていた。
 名は「ルーイ」。フルネームを名乗る程のモノでもないと語っていた。彼は子宝にも恵まれ幸か不幸か問われれば間違いなく幸であろう存在だ。そんなルーイだがこれから起こる現実はあまりにも残酷だった。そんな彼の生涯を綴った物語である。
 彼は昼も夜も仕事に明け暮れていた。決して優秀な訳ではなくミスも多い、仲間に助けられながらも仕事をこなしていた。工場の仕事とはいえルーイはあまり動きまわる部署ではなく、主に一箇所にとどまり作業をするあまり大きな役割を担わない現場を任されていた。それなのにも関わらずミスを多発してしまう事に彼はショックを隠し切れていなかった。そんなルーイに仲間達は「お前が主役なんだ!落ち込む事はない俺たちに任せろ!」  と、優しく彼の肩を叩く。ルーイはその言葉に助けられ、泣きそうになりながらも必ず仕事をやり遂げようと決意した。彼は会社に泊まり込みで作業し貢献した。
 いつも通り作業をしていたある日、会社のリーダーが工場に来訪した。ルーイはリーダーを見るのが初めてでかなり緊張した事だろう。リーダーはルーイを一瞥したのち彼の元へと向かって歩いてきた。ルーイは緊張のあまり固まってしまい何もできずただリーダーが迫り来るのを見ていた。「新人だから目をつけられた?」とルーイは不安で満たされた。リーダーはルーイの前で立ち止まりジロジロと眺めている。仕事仲間たちが新人であるルーイの現状や功績を説明する。それを受けリーダーはルーイにこう語りかける。「君には期待している。これからも我々の為にしっかり頑張ってくれたまえ。」と。ルーイはとても驚いた。ミスも多い新人、怒鳴られるのは覚悟でその場に立ち尽くしていたのだから。思いがけない言葉にルーイは溢れんばかりのやる気に満たされた。彼はその日からも毎晩泊まり込みで作業した。上司に、リーダーに期待してもらえている、新人としてこれ程嬉しい事はないだろう。彼は今まで以上に生き生きとしていた。そんなルーイを心配そうに見守る一人の人物がいた。
 彼女は「マト」。この工場の仕事仲間の一人でありルーイの上司にあたる人物だ。昼休憩中いつも一人なルーイによくちょっかいをかけに来たりしている。彼女は仕事をこなしながらも心配そうにいつもルーイを見つめている。当然だ。毎日朝から晩まで仲間達と仕事をこなしている上、会社に泊まり込みまでしているのだから。彼女は仕事終わりにルーイに声をかけた。「あまり無茶しないで、焦らなくてもいいの。失敗も繰り返していいの。」そう言いながらルーイを撫でた。ルーイは彼女にニコッと微笑みかけ「大丈夫!僕なら問題ない!」と言いたげな雰囲気を浮かべた後また誰もいない仕事場へと視線を向けてしまった。マトはどんな言葉をかけても無駄なのだと悟り、仕事場を後にした。モヤモヤした気持ちを抑え込みながら。
 そこからというもの、ルーイの成長は著しく、仕事仲間たちも負けてられまいとやる気に駆られていた。ルーイは他の子達も抜き去り仕事場の中心を担うようになった。彼の毎日は工場を吹き抜ける汚い風とは裏腹に輝きを増していった。この仕事もラストスパート、会社の人間は皆ピリピリしており、それに掻き立てられたルーイも最後の力を振り絞り仕事に励んだ。
 ついにその日が来た。工場が請け負っていた一大プロジェクトが完遂を迎えたのである。仲間たちは皆「お疲れ様」と肩を組み合っていたり、達成感のあまり床にへたり込んだりと様々な形で喜びを表現していた。ルーイももちろん喜びに浸っていた。一人立ち尽くし静かに初仕事の完遂を噛み締める。かなりの功績も残し、今後昇格も間違いない。未来は輝いていた。ルーイに仲間たちが群がり喜びを分かち合う。とても幸せだ。次の仕事もみんなと頑張ろう、そう心に決めた。そう思っていた。
 『私はルーイ。工場の為に尽くした、皆のために頑張った新人社員。仕事は完遂、完璧だ。そんな私にこの世の物とは思えない報酬が付与されたのだ。』
 仕事完遂の報告を受けたリーダーは工場へと赴いた。工場へ入るや否やルーイの方へ飛びつくように駆け寄りこう言った。「君のおかげだ、君のおかげで完遂だ。」と。笑顔で語りかけられルーイは嬉しくて仕方がなかった。だがリーダーからの言葉にはまだ続きがあった。「君には飛び降りて死んでもらう」。ルーイは言葉の意味が分からなかった。思考が止まり頭が真っ白になる。「なぜ?これ程頑張ったのに?私が飛び降りて死ぬ?どうして?」様々な思いがルーイを駆ける。「君には我々の利益になってもらう。君が飛び降りれば我々は幸せなんだ。」とリーダーは続けた。ルーイはようやく我にかえり、仲間達の方へと視線を送る。一緒にここまで助け合って来た仲間、それに縋るように視線を送り続ける。「お前が飛び降りれば俺たち幸せなんだ」「ここまで大変だったな、お前の事は忘れないから俺たちのために死んできてくれ。」「俺にも家族がいるんだ、ごめんな?」心ない言葉がルーイを襲う。ここはそういう会社だったのか?優秀な新人に仕事を任せ、最後の利益だけは自分たちだけで受け取る、用済みになった新人は処理される?そんな事があっていいのか?ルーイは困惑して立ち尽くしていた。「飛び降りるのは一瞬、後は弾け飛んで終わり。付き添い人もつける。安心してくれ。」リーダーが言う。誰が安心など出来るものか。ルーイは腹が煮えくりかえりそうな思いだ。
「やはりこんなのは間違っています!」一人の女性の声が工場に響き渡る。マトだ。「今からでもやり直せます、あまりに酷すぎる!」彼女はリーダーに訴えかける。彼女はこのような会社のやり方に我慢の限界が来たのだろうか、今にも泣きそうな声で必死に叫んでいた。「もう決まったことなんだ、私にもどうする事もできまい。金が入るんだ、それで良いだろう。」リーダーは不敵に笑いながらキッパリと彼女の言葉を切り裂いた。作業員一人の言葉など軽く、上の者の言葉一つで簡単に言いくるめられてしまう。マトはやるせない表情でルーイをしばらく見つめた後、目を逸らして小声で囁いた。「私にはどうする事もできないみたい、ごめんなさい。」僅かな光さえも潰えた、ルーイはただただ絶望した。周りの元仲間たちはもうルーイには目もくれずこれからの生活や収入の話ばかり、数人彼を不安そうな目で見つめていたが周りの空気に飲まれすぐに喜びの感情に塗り替えられていった。その夜は明るい空気に包まれて時間が過ぎていった。
 ルーイは今日も会社に寝泊まり。今日は監視まで用意されている。そんな事をしなくとも彼は逃げられないというのに、「無駄な労働ご苦労様。」とルーイは心の中で皮肉を言った。どうして私だけ、どうして私なんだ、そのような思いが彼の心をグルグルと掻き乱す。仲間達のあの優しさ、笑顔、リーダーからの期待や信頼、全て嘘だったのか?いいや、嘘ではない。あれらの全ての行動は私を利用するためだったのだ。ルーイは考えれば考えるほど人間が嫌いになっていった。本当に私は飛び降りる必要があるのか?利益は私以外で分配してもらって構わないから生かしてはもらえないのだろうか?ひたすら逃げ道を探す眠れない夜が彼の心の安寧を蝕んでいった。 私はルーイ。しがない元会社員。ついにその日を迎えてしまった。元仲間達に連れられて高所へと登ってゆく。何が付き添い人だ、私の生涯を締め括る打ち落とし花火を嘲笑うのが本当の目的なのではないか。マト、私の味方をしてくれた唯一の人物の姿はなく、話によるとリーダーに口出しした事により現場を落とされたらしい。彼女もある意味飛び降りさせられたと言えるのかもしれない。せめて彼女だけでも幸せである事を願いたい。だが今は彼女の安否よりも自分の事で精一杯だ。私は会社選びを間違えてしまったようだ。だが私には会社を選ぶ事なんて出来なかった。配属先は既に決められていたからだ。なんと理不尽な事だろう。尚更こんな終わりは納得がいかない。私が他の子達を抜き去って中心となれたのも使えない駒は排除されいたからなのかも知れない。当時は自身が上り詰めてゆく高揚感故に気付かなかった盲点、その段階で見限って全てを消し去っておくべきだったのかもしれない。後の祭りでしかない感情だけが残る。
 吐き気のする快晴だ。空がとても近く見え目眩がする。実際いつも見上げていた場所よりも空が近いから当然である。空までもが私の命日を祝福しているかのようでふつふつと怒りを覚える。下を覗き込むと米粒のように見えるほど小さな人間達が何事もないかのように生活している。ある人はこちらを見上げ興味を示し指を刺す、ある人はこちらには目もくれず幸せそうに生活している。心底腹が立つ。今から死ぬというのに感情は怒り一色で案外恐怖はない。そんなに今から飛び降りる私を見て楽しいか? 楽しいのだろう。人間にとって他人の命など無価値で興味もないモノ。だが飛び降りようとしている存在の前では話が別だ。貴重なものが見れる、中々巡り会えない機会に立ち会っているという好奇心から目が引かれてしまう。今の私にはそのような薄汚い考えしかできない。人間への憎悪のみが今の私を支えている。
 そしてついに終わりが来た。付き添い人が私の背中に手を添える。下からの視線も最高潮を迎えている。今の私に恐怖はない。寧ろ冷静である。付き添い人達の方が緊張しているようにも見える。鼻で笑ってやった。私のような存在は二度と現れてはいけない。悲しみと憎悪や憤怒、良くないものしか生まないのだから。
「最後の仕事、期待している」
 付き添い人が言う。
  
「人間なんて大嫌いさ」
 私はそう心で淡々と吐き捨てながら宙に身を投げた。
 
 出来るだけ多くの人間を巻き込んで死んでやる。
 
 一九四五年 八月六日 彼は飛び降りで死んだ。沢山の人間を巻き添えに死んだ。人間の悪意が形となった過去最悪の飛び降り自殺だろう。そして近くして彼の子も身を投げ出した。世界に消えない罪を残し親子共々散っていった。負の感情だけを残して。
 彼はルーイ。彼のような悲しい存在はもう生まれてはいけない。彼の生涯は社会の終着点とも言えるだろう。人間は同じ過ちを繰り返す。繰り返すだけでは飽き足らず悪化してゆく。規模は小さくとも新たなルーイの惨劇は今でも起こっているのだから。誰もがルーイになりうるのだ。 
 
    ルーイになってはいけない。

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