見出し画像

夕虹は晴れ #2

#2   涙雨


虹駆そらの訃報が報じられてから約一カ月が経った。

もうすぐ七月だというタイミングで梅雨入りのニュース。てっきり梅雨は明けたものだと思っていた。一週間前から本格化してきた、うだるような暑さが、俺を余計にそう思わせていた。

俺は文芸部の部室のソファーに腰掛けながら天井を仰ぐ。俺は未だに彼女が自ら命を絶ったなんて考えられなかった。

「先輩、来月のコンクールは作品出します?って言っても締め切りまであと十五日しかないですけどね」
ノートパソコンのキーボードをカタカタと打ち込みながら話しかけてきたのは、後輩の長久保だった。長久保は文芸部の中で一番コンクールに執着しており、何かしらのコンクールがあるたびに新作を作って応募している。

「今回はパスかな。そんな気分じゃない」
長久保は「そうですか」と言うと、再び目線をパソコンの画面に移した。

二人きりの部室は静かになった。
聞こえるのは、長久保がキーボードを叩く音と、古いエアコンの音。

「なあ」
今度は俺から話かけた。
「どうしました?」
長久保はキーボードを叩く手を止め、視線を俺の方に移した。こんな感じで礼儀正しいから、俺はこいつのことをだいぶ気に入っている。
だから、他の部員に話せないようなことも、こいつにだけは話してしまう。

「ちょっと前のニュースでさ、虹駆そらが亡くなったニュースあるじゃん?」
「はい。ありましたね。ネットでは自ら命を絶ったみたいなのが流れてましたけど」
「…本当にそうなのかな」
「…と言いますと?」
「実はさ、俺会ったんだよ。虹駆そらに」
「へー…え?!会ったんすか?」
「そう。ライブ会場で偶然ね」
「それで?」
「あぁ、そこで会った感じ、自ら命を絶つような人じゃないと思ったんだよね」
「どういうところが?」
「なんだろ、思い詰めてる感じが無いというか、本当に俺の勘ではあるんだけど…」
「…だからその、直接会った雰囲気から、自殺の噂は嘘だと思ったってことですね?」
「まあそういうかんじ」
「でもあくまでネットの奴らが騒いでるだけですし、噂は噂ですし、相手にしなくてもいいと思いますよ」
「…でもさ、なんかかわいそうじゃない?」
「何がですか?」
「虹駆そらとか、その周りの人とか。自殺じゃないのに自殺ってことにされたら、なんかかわいそうっていうか、なんか違うような気がして」
「違う…ですか」
「俺も上手く言語化できないんだけど、せめて俺くらいは真実を知ってあげたいなって」
「もしかしてここ最近浮かない顔してたのって、このことが頭にあったからですか?」
図星だ。俺はずっと心に靄がかかったような感じだった。
俺が黙っていると、長久保が何かを察したのか、再び話始める。

「…先輩の新作見たいんですけどね。一人のファンとしてそう思いますが」
「今はそんな気分じゃないってことも分かってくれただろ」
「まあ…。もしかしてあれですか、お父さんの件もあって、そういった根も葉もない噂に敏感に…」
「それはまあ、そうかもしれないけど…っていうか、あんまりその話するなって」
「すいません、でもそうやって悩まれ続けても、こっちとしては迷惑なんで、早く元気になってくれませんかね」
「簡単に言うなよ。難しいんだよ、気持ちの整理をつけるのは」
「…調べてみればいいんじゃないんですか?」
「は、調べる?」
「家族に聞き込みはやりすぎだとは思いますが…近い人、虹駆さんの友人とかに当たってみるのはどうです?」

人の死を詮索するのは良くないことくらいわかっている。ただ、俺は本当のことを知りたい。知ってあげたい。たしかに、俺の父の事件があったからかもしれない。彼女に本当は何があったのか、ますます真実を知りたくなった。




俺は最初、彼に話を聞くことにした。結果的に俺が虹駆と会うきっかけを作った男、後藤だ。

後藤とは大学近くのファミレスで会うことにしていた。午後3時という時間帯のためか、客はまばらであった。

待ち合わせの時間に5分遅れて後藤が店にやって来た。後藤は入店し辺りを見回すと、先に席で待っていた俺を見つけ、手を振った。後藤はいつも通りの明るい表情を浮かべている。

いきなり彼女について聞くのはなんだか気まずかったので、最初はお互いの近況など、適当に世間話をしていた。なかなか話を切り出せずにいると、後藤の方が先に例の件について触れてきた。

「で、どした?話があるって言ってたけど」
「あぁ…まあその」
「なんだよ」
やはり聞きづらい。なんて言って話を始めればいいのだろうか。もっと考えておけばよかった。
「…まあちょっと失礼というか、モラルが無いというか、道徳が欠如しているというかそんなことなんだけど」
「似たような意味の言葉繰り返してるだけだぞそれ」
「えっと、まあそのこないだ、ライブの時にアレしたアレなんだけど」
「分かんねんよ」
なかなか言い出せずにいる俺の言葉を聞いて、後藤は少々イライラしたのか、語気が強くなっていた。

彼女のことを話して空気が悪くなることを危惧していたのだが、既に空気が悪いので正直に話す決意ができてしまった。

「ごめん、ちゃんと話す。彼女...虹駆さんのこと。それについて聞きに来た」
一瞬の沈黙が訪れた。が、後藤は「そのことか」と呟いたかと思うと、コップに入った残り少ないコーラを飲み干した。
「俺が知ってることはあんまりないぞ」
「…知ってることだけ話してくれれば」
「…というか、まずなんで彼女のことを知りたいんだ?」
「…いやその、ネットでさ、自ら命を絶ったっていう噂が流れてるじゃん?しかもそれが真実みたいな風潮になりつつあるし」
「そうだな、それで?」
「…本当なのかなって、思ったから」
「…なるほど」

再び沈黙が訪れる。

沈黙を破ったのはまたしても後藤の方だった。

「…残念ながら俺は真実なんて知らない。そこまでかかわりが深いわけではないしな」
「そっか、だよね」
「あと自殺だの自殺じゃないだの、詮索しすぎるのはあんまりよくないと思うぜ」
「…まあそうだよな、でも嘘が本当になるのだけは嫌だというか、なんか違う気がするんだよな」
「…もしお前がこのことについて調べたとして、本当に自殺だった場合、どうするんだ?」
「まあそれはその…」
自分でもその可能性は考えた。たしかにその可能性もゼロではない。ここ一カ月の間何度も考えた。何度も考えた結果、俺は如何なる真実だろうと受け入れることにした。
覚悟はできている。はずだった。

「中途半端な好奇心で調べるようなことじゃないと俺は思うぜ。常識的にもな」
常識的か。たったの3文字が的を得ていて困る。

「あのさ、俺会ったんだよ。虹駆さんに」
このことはあまり言うはずじゃなかった。この事実を伝えることは、後藤を説得するにあたってはマイナス効果になる気がした。ちょっと会っただけで彼女を知った気になるなと言われる気がしたから。

「会った?いつ?」
「こないだ誘ってもらった新歓ライブの時。外の自販機の前でたまたま会った」
「まじか」
「その時さ、全然思い詰めてる感じとかなかったし、彼女ならもっと別の方法を取るような気がして」
「あぁ、でもそれは周りの奴らみんなそう思ってるさ。俺だって」
後藤の語気が再び強くなった。そのまま後藤が続ける。
「彼女に会った人みんなそう思ってるさ。自ら命を絶つような人じゃない。でも受け入れなきゃいけないんだよ…正直、あれが原因だと思う。恐らく彼女は相当追い詰められてた」
「心当たりあるのか?」
「ある。でも…あまり話したくない。これ以上詮索を続けるのはやめた方がいい。彼女の家族とか、周りの気持ちを考えれば分かるだろ」
「…確かにそうかもな。でも、本当のことを知るのって、そんなに失礼なことかな」
「…」
「少なくとも、関係ない誰かが考えた噂が広まって、それが本当になることを彼女は、虹駆さんは望んでいないと思う」
「…そんなに知りたいか」
「うん。知りたい」
「なんでか知らねえけど、折れないみたいだな」
「うん。知るまでは折れない」
後藤は深いため息をついた。
「まあ俺も核心に迫るようなことは知らない。これもあくまで俺個人の考えた話だ。それでもいいか?」
「あぁ、聞きたい」
「…虹駆そらのバンド、レインボーレクイエムが売れたきっかけって覚えてるか?」
「あぁなんとなく。ティックトックとかでバズったみたいな感じだったような」
「確かにそれもある。ただその前にもレインボーレクイエムが注目を浴びるきっかけがあった」
「…虹駆さんか」
「そうだ。バンドの名前が知られる前に、虹駆そら個人が注目を浴びたんだ。『数万年に一度の可愛さ』として」
「写真が有名になったんだよな」
「そう。だがそのせいで、虹駆そらは多くの誹謗中傷を浴びせられた」
「『バンドが売れたのは顔のお陰』とか『顔は良いけど音楽のレベルはいまいち』とか、そんなようなコメントだったよな」

実際にそれをコメントした人たちは、彼女の歌を、バンドの演奏を聴いたのだろうか。実際に聞いた身として、顔だけで売れたバンドだとは思えなかった。

「虹駆そら、彼女は相当悩んでいたらしい。でも彼女は優しいから、周りには心配かけないように明るく振舞っていたんだろうな」
後藤はどこか遠くを見ながらそう言った。

二人の間にまたしても沈黙が訪れる。先ほどよりも、もっともっと重たい沈黙。しかし、沈黙を破ったのは俺の方だった。

「あの、話してもらって悪いんだけど、この話はネットにも書いてあった。つまりその、知ってた」
「あぁ、ここまではな」
「ここまで?」
「俺の話には続きがある」
「続き?」
「誹謗中傷以外にも、彼女を悩ませる原因を俺は知ってる」
「…教えてくれ」
「あぁ。結論から言うと、彼女の家族トラブルだ」
「なんだそれ。初めて聞いたぞ」
「彼女の家族…特に父親のせいだと思う。彼女の父親はそもそも、娘のバンド活動を良く思っていなかったらしい」
「まあそんな父親がいてもおかしくはないけど…」
「もちろんそれだけじゃない。彼女は父親から暴力を振るわれていた可能性がある」
「は?」
「虹駆はよく体にあざをつくってた。殴られたような痕だった。でも虹駆はいつも自転車で転んだだけと言っていた」
「まじか…」
「だから、虹駆は暴力を振るわれていたんだ」
「ん?もしかしてあざだけでDVだと思ってる?」
「あざだけというか、そういう噂が流れてたって言うほうが正しいかな」
「結局噂か…根拠が薄いというかなんというか」

噂の真相を探った結果、たどり着いた情報が噂だとは、なんとも皮肉な話だ。

「あ、でも、お前に話してほしい人がいる」
そう言うと、後藤はポケットからスマホを取り出し、LINEを開く。すると俺宛にメッセージが来た。そこには虹駆や後藤と同じ軽音サークルに所属する、下田という人の連絡先が書かれていた。

「こいつに会ってやってくれ。彼女――下田さんもお前と同じく、虹駆は自殺じゃないと言い張ってるからな」









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?