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私と母とギムレット 【だいたい2000字小説】

お母さんがギムレットを注文するなんて、思ってもみなかった。
娘歴36年の私は、還暦を迎えた母と二人でバーカウンターに並んでいた。
「同じものを」
私がいうと、母が驚いた顔でこちらを見た。と思う。
私は、視界の隅で、母の様子を捉えていた。カウンター向こうの壁に並ぶボトルを眺めて気づかないフリしてたら、母の視線は、チャージとして差し出されたスモークサーモンに移った。言葉を探す、息遣いが聞こえる。

(※以下、流産に関する記述があります。
苦手な方や、トラウマを抱える方等は、閲覧にお気をつけください💦)


「ミカから誘ってくるなんて、珍しいわね」母が言った。
「そうかな」適当に応える。

実際、私が母を誘うのは珍しかった。
私は、人には放っておいて欲しいタイプで、そうしてくれない母が私に構うのが常だった。でも、両親の熟年離婚をきっかけにそこから解放された。

それまで自宅で過ごしていた母は、私が高校に上がるのと同時に、ドラッグストアでパートを始めた。
社会に出たのが新鮮だったからか、当時の母は、こちらが聞いてもいないのに職場での出来事を話すことが増えた。
私は、母が生き生きし始めたことと、自分の知らない母の顔が垣間見えるのが面白くなくて、ある日、「会ったこともない人の話なんかつまんない」と一蹴した。
そんな私には、もう母親は必要ないだろうと判断したようで、私が大学を卒業して実家を出たあと、お父さんと別れますと連絡が入った。
両親の関係が冷え切っていることは目に見えていたし、今更止めようとも思わなかった。
ただ、理由を聞けば、私のことを妊娠したと父に告げた際「本当に俺の子か」と言われたことがずっと辛かった等と、大昔のことを引き合いに出して釈然としなかった。

母が実家を出て程なくして、彼氏がいると告白された。
察しはついたけど、「いつから」なんて野暮なことは聞かない。

「実はね、流れたの。昨日の検診で、エコーに写らなかった」
私は、用意していた言葉をそのままこぼした。母は、そう、とだけ呟いた。

「きっと、バチが当たったんだよ。
人の旦那の子を産むなんて、やっぱり許されないんだね」

妊娠に気づいたのは先月の初めのことだった。
この機会を逃すと後には無いかもしれないと焦っていた私は、相手の男に、産んで育てたいと伝えた。
「好きにしていいよ」その時は優しく応えてくれたくせに、二週間後には連絡がつかなくなった。
どこかで判ってはいたけれど、それは私を酷く狼狽させて、初期は特に気をつけるよう医者にも注意されていたのに、食事や生活やいろいろなことが回せなくなって、そうこうするうちに一昨日の夜、出血がやってきた。
鮮血が、しばらく止まらなくて、私は、生理用品を使ってしのいで…
ただただ呆然と、夜が明けるのを待った……。

私と母の前に、カクテルグラスが差し出される。
照明を受けて、キラキラする。
私は、目を細めた。

「お母さんは?最近どうなの」
「それなり、かしらね」

照明のせいか、皺が深く見えた。
相手の親の介護とか大変だね、なんて、気の利いたことを言うつもりはなかった。
そんなことも込み込みで、覚悟して出て行ったんでしょ。自業自得だ。

私は、グラスに口をつけた。
鋭い飲み口の後に、アルコール臭が鼻を抜ける。
やっぱり、ジンは苦手なんだよね……

自分で注文したはずなのに、母にギムレットを飲まされたような気がして、隣で飄々とグラスを傾けるその様もなんだか気に食わなくて、途端に、悪い心が芽生えた。

「私ね、この前、お父さんにも妊娠の連絡したの。初孫だって嬉しそうにしてた。
そのときにね、聞いたの。なんで、お母さんが妊娠した時あんなこと言ったのって。
あれは、疑ってたからじゃなかったんだって。ビビってただけだって」

ありもしない出来事が、私の口をついて出ていく。
母が驚いて、次第にその表情に後悔を滲ませる。

うん、八つ当たりだってわかってる。
わかってるんだけど、
でも、私は、今どうしようもなく母を傷つけたかった。
そして、勝手に自己嫌悪してる。
本当、厄介な性格。

心がガサついて、チクチク、胸が痛い。母の? ううん、私の。
スモークサーモンを口に入れると、咀嚼の度に、塩気が滲み出る。

しばしの沈黙のあと。
母が溜め息をついた。
「……一緒に暮らさない? 二人で。
どうせ、生活もままならないんでしょ」

母の言葉に、胸の奥がぎゅって縮む。
見抜かれたような、その口振りに、雑巾のように絞られるみたい。
抗いたい。
けど、今の私には、そんな強さは無くて……

こういうところが、昔から嫌いなのよ。

そういう優しさの使い方が、嫌いで、腹立たしくて……心地いいの。

だから、嫌い。

目の前のグラスが、サーモンが、どんどん滲んでいく。

涙が止まらなくて、私は、小さく頷くことしかできなかった。

それでも、母には、きっと伝わっている。ほら、その証拠に、母は、なかなか量の減らないグラスをまた傾けている。

私たち親子にとって、「ギムレットには早すぎる」って、そういうことかもしれない。

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