氷 【だいたい2000字小説】
寒い北国で仲間たちと引き剥がされた私は、それこそ、溶けそうなほど暖かい場所へ連行された。
その土地は、真っ白でどこまでも平坦な硬い土地だった。
その地に降り立ってすぐの頃は、私の体温が低いのもあって、ひんやりとした心地良い感触が足裏に伝わったのだが、やがて小さな水溜りができ、身体がくるりとまわる今となっては、ただただ不快でしかない。
そうそう、不快といえば。
この地の湿度には驚かされる。
全身に、ぬるり、じとり、とまとわりついてきて、至極緩やかに頭のなかを侵していく。
地元ではシャッキリ澄み渡り、仲間から「お前は、本当に冷たいやつだ」と揶揄されるほど理路整然としていた私の思考も、だんだんとこの地の熱気や湿度にやられて、上手く働かない。
それでも進もうとすると、水溜りに足をとられて、くるりくるりとまわりながら、時に勢いよく、時に緩やかに土地の上を滑る。
とうとう私は、この地の外縁らしきところまでゆらゆらと這うように辿り着き、姿勢を崩して体重を預けた。
冷気の薄いベールをまとった下で、頭のてっぺんから、胴体から、汗がじわじわと吹き出し、足元へと流れ落ちていく。
足元で溜まった水分は、この地に吸収されることなく、私がしなだれている外縁を沿うようにゆっくりと、しかし確実にその面積を広げていく。
私は、目を閉じた。
くぐもった話し声がいくらか聞こえた気がして目を上げると、離れたところで、ガラス製の円柱のなかに積まれた仲間たちが、こちらを見ていた。
彼らは、私より前に北国から連れ出されたグループだった。
そのなかには、私の恋人がいた。
恋人の姿が、左端の真ん中あたりに見える。
隣の者が、恋人に声をかけたのだろうか。私と恋人の目があった。
私は、手をあげて合図しようと試みたのだが、熱中症だろう。腕は、ピクリとも動かない。
恋人の不安気な表情が、私がここまでわざと見ないようにしていた心の奥の不安を想起させる。
私たちは、しばらく視線をやり取りした。
声も届かないもどかしさに悩んでいると、円柱の上方から、発泡した透明の液体が注がれた。
私の恋人や仲間たちは、液体の勢いに流されながらガラス製の円柱のなかを踊り、泡が落ち着く頃には、さまざまに入れ替わっていた。
私は、舐めるように満遍なく円柱を見やった。しかし、恋人の姿は見えなかった。
きっと、こちら側ではなく、反対側で落ち着いてしまったに違いない。
泡のせいで陽気になった北国の仲間たちが、ガラス製の円柱のなかで笑い転げながら私のことを見つめてくる。
あの液体は、ガラス製の円柱のなかは、そんなに居心地が良いのだろうか。
しばらく見つめていると、ガラスの表面に、数多の水滴が浮かんできた。
ガラスの向こう側が、ぼやけていく……。
いよいよ私は、絶望した。
それは、恋人が見えなくなったからかもしれないし、円柱のなかの仲間たちに笑われているような気分になったからかもしれないし、自分の身体の体積がほとんど減っていることに気づいたからかもしれないけれど、そのうちのどれと確定するまでには及ばない。
結局のところ孤独なのだと、そう感じずにはいられなかった。
視界が徐々に霞んでいく。
これだけ汗をかいていてもまだ流れ出ていく水分が、私のなかに残っていたようだ。
私は、ただ項垂れて、小さくなるばかりだった。
「あー。溶けちゃってる」
少年の軽やかな声が鼓膜に響く。
気づいたときには、真っ白な大地ごと、私は揺られていた。
またどこか別の場所へ連れて行かれるらしい。
ゆっくり揺られて、止まった。
野菜たちが煮えたまろやかな匂いが、鼻を撫でる。
「わあ! 突然来たらびっくりするじゃない」
「ごめん。これ流そうと思っただけ」
驚いた母親に、少年の謝る声が聞こえた。
それも束の間、私の乗った真っ白な大地が大きく傾けられる。
すっかり小さくなった私は、液体と化した分身とともに、銀色の世界へ滑り落ちた。
そこでは、ゆるやかな傾斜がかかっている。
どこかにしがみつくことさえ叶わないまま、私は、銀色の表面を流れていくほかなかった……。
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