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「モダンボーイズ」は、私にとっての青空

舞台「モダンボーイズ」を見てきました。とにかく、すこぶる愛おしくて心が揺さぶられる作品だった…誇張表現なんかじゃなくて、この舞台と出会えたことが嬉しい。そんな作品の真ん中に立ったのが加藤シゲアキさんだということも嬉しい。とにかく嬉しい!ハッピー!!!!

この気持ちを忘れたくないので書き残します。ネタバレ有り、台詞はうろ覚え、本当につらつらと書くのでまとまりないです。



あらすじ

舞台は昭和初期の浅草。無声映画からトーキー(発声映画)へ移り変わり、昭和モダンが広まる一方で、戦争の足音も鳴り響いていた時代に繰り広げられる群像劇。詳細は下記リンクを是非。フライヤーも作風とマッチしていて、すごく素敵なんです…紙の香りが漂ってくるようです。

(上記公式HPに舞台写真も載っているので!是非!雰囲気だけでも!)

不景気と戦争が切迫する時代。不要不急と言われる浮かれたレビューの世界に生きることに悩み揺れながら、そんな時代に劇場の扉を開き、歌い、踊り続けることの意味を、矢萩は菊谷や仲間たちとともに噛みしめてゆく。

この一文を読んで、心がざわついたのを覚えています。この一年散々耳にした「不要不急」をテーマの一つに持ってきて、それをこの「不要不急」と言われている舞台で創り上げるなんて。演出・一色さんの「脚本を読んだ時、これを今やらないでいつやるのだ?!と思いました」、主演・加藤シゲアキさんの「今こそ上演されるべき作品だと感じました」という熱い言葉からも、今の状況に挑んでいく作品になるんじゃないのかと期待に胸が膨らみました。

戦争、プロレタリア革命(社会主義)といった単語から、勝手に難しく身構えていたのですが、描かれていたのは矢萩奏の成長物語であり、菊谷先生の奮闘記であり…時代も情勢も違いますが、どこか今の自分とも通じるような、とても普遍的な物語でした。


裕福コンプレックスに捉われる矢萩奏

プロレタリア革命を志し社会運動をしていた矢萩奏(加藤シゲアキ)。貧困の差があるのはおかしい、平等であるべきだと訴えているが、彼自身は貧しいわけではなかった。大地主の家に生まれ、ピアノがあり、音楽と触れ合うことが出来る環境にいた奏くん。そんな自分の「裕福さ」を恥じ、反動で社会活動に身を投じていました。

そんな奏くんと出会うのが、浅草にあるレビュー小屋の作家・菊谷栄(山崎樹範)。警察からは常に睨まれ、主義者からは不要不急だと馬鹿にされ、全て書き直すレベルで検閲を受けても、劇場の扉を開けることを信条としている。まるで菊谷栄そのものが誰でも受け入れる扉のようで、警察から追われた奏くんを庇い、彼の中に秘めていた音楽の扉を叩きます。

奏くんは菊谷が名付けた「浅草エフリィ」として才能を開花させますが、次第に革命を志す"矢萩奏"とレビュースター"浅草エフリィ"の間で葛藤します。自分は華やかな場にいるこの瞬間にも、同志たちは苦しんでいるんじゃないか。またここで裕福コンプレックスに襲われます。

このコンプレックス、なんとなく分かる気がするんです。私の感覚で一番近いのが、こうして舞台を観に行ったり好きなことをしている時。私はたまたま運が良いだけであって、今の状況でそれが出来ない方だっている。恥ずかしさではないけど、申し訳ないという気持ちは切り離せないでいます。そのことを思い出し、気持ちがズン…と重くなりました。


劇場の扉を開け続けることが菊谷先生の戦い方

自暴自棄になった奏くんは辞めると言い、検閲を食らっても反論しない菊谷先生に訴えます。「声を上げて訴えないと、このままだとみんなが軍歌を歌うことになります」「沈黙は罪だ」。

また、奏くんを紹介し、かつてマルクスについて語り合った菊谷先生の同郷の仲間・工藤(松田賢二)からもこう言われていた。「その才能で大衆を立ち上がらせろ」と。

しかし菊谷先生は奏くんに言い放ちます。「沈黙なんかしていない。劇場の扉を閉じることが沈黙だ」ここにはお国への忠誠心も思想もなく、あるのはただ自由だと。

菊谷先生の根底にあり、何より求めているのはいつだってこの「自由」です。わけありの登場人物たちを受け入れ、検閲する内務省に対してもいつか土下座させてやるのではなく、どうせならこのレビューを見て狂わせよう・虜にさせてやろうとする菊谷先生。これこそが彼の戦い方なんだと思いました。誰かを負かそうとか、こっちの気持ちを分からせてやろうと拳を上げるのではなく、立場も思想も縛らないで両腕を広げることが彼の社会活動なんじゃないか。

それは恐らく、自分の育った環境を恥じ、平等であるべきだと抗議をすることでコンプレックスから逃げていた奏くんにとっても新しい戦い方だったんじゃないかな。拳を上げた先しか知らなかった奏くんは、この時初めて右や左、下の景色を知ったんじゃないかと思います。

菊谷先生はお人好しで工藤のように声を荒げることはありませんが、だからと言って素直に頷きお偉いさんに従っているわけじゃありません。魂込めた台詞を奪われるのは手足をもぎ取られる気分だと悔しさを滲ませたり、ここに来る人の大半は貧しい人たちであることを理解し、その人たちがなけなしの金をはたいて来る意味が劇場にはあることを熱く訴えます。そして奏くんに「一緒に戦ってほしい」と力強く伝えました。工藤は工藤、奏くんは奏くん、そして菊谷先生は菊谷先生の戦い方をしているのです。


エンターテインメントは不要不急なのか

菊谷先生にとってのレビュー、エンターテインメントはある種の戦いでもあるけど、じゃあ奏くんにとってはなんなのか。一緒に戦ってほしいと言われ何も言えなかった奏くんは、自分の殻に閉じこもるかのように毛布にくるまります。そんな彼を心配し見守る夢子(武田玲奈)のもとに、掃除屋のおタキさん(羽子田洋子)がやってきました。おタキさんはエフリィが辞めることを聞き、「最近の楽しみが掃除中に聞くエフリィ先生と夢子先生の歌声を聴くことなんです」と残念そうに話します。おタキさんは幼い頃両親を亡くし、早いうちから社会の最下層で生きてきました。ただ便所掃除をしていただけのおタキさんにとって、エフリィの歌声は生きがいだったのです。

その言葉を聞いた奏くんは、毛布を脱ぎ、おタキさんの為だけに歌います。そして「浅草エフリィは明日も明後日もその先も舞台に立ちます」と言い薔薇を手渡しました。その言葉に涙ぐむおタキさんと、優しく微笑む夢子ちゃん。

この出来事は奏くんにとってレビューとはなんなのか、そのきっかけになったんじゃないかなと思います。そんなものに現を抜かすなんてという人もいれば、これが今の生きがいだと心癒される人もいる。同時に夢子ちゃんが菊谷先生から教わった「レビューは薬」という言葉も思い出しました。奏くん自身もその薬によって心が救われた一人でもあります。工藤が捕まり意気消沈している彼を救ったのは夢子ちゃん達が魅せてくれたレビューでした。

このシーンはどうしても今のこのご時世とリンクして考えてしまいます。私がこうしてこの舞台を観ていることも、誰かから見れば不要不急なものなんだろうと思います。ただ、あくまでも私にとってはですが、演劇を含めたエンタメは心を元気にするために欠かせないものの一つなのです。作品を見て笑ったり泣いたり、時には苦しんだり自分を見つめ直したり。そうやってたくさん心を動かすことで元気になれるんです。

この舞台を観て、改めてそう感じました。


奏くんの成長物語

奏くんは再び浅草エフリィとして舞台に立つ日々を送る中、釈放された工藤が奏くんに会いにやってきました。再会するのは奏くんが小屋に逃げ込んできた晩以来。あの日からすっかりレビュー人として立つ奏くんに対し劇場を馬鹿にして「革命の炎は消えたか」と憤る工藤。しかし奏くんは社会活動という意味での炎は消えたけど、革命の炎は消えていないと工藤に反論します。そして菊谷先生が地元・青森に寄稿した文章を伝えます。"この劇場にやってくる人の中には罪を犯した人もいるだろう。彼らを助けるものはここにはない。あるのは彼らをひと時身を隠す暗闇と、忘れさせる華やかな舞台だ"と。奏くんは工藤に「僕はここで世界を変える」と真っ直ぐに告げました。

パンフレットにて加藤さんも仰っていましたが、奏くんの成長物語なんだと実感しました。コンプレックスから目を背け、抗議をすることしか知らなかった奏くんは、菊谷先生やこのレビュー小屋で視野が広がり、自分なりの戦い方というのを見つけたんじゃないかな。戦い方だけじゃなく"世界を変える"というのも、立場を逆転させる・屈服させるという意味だけじゃないということも。

奏くんは始終姿勢がとても良いのですが(これは推測だけど、いいとこのお坊ちゃんだからこそ姿勢も教育されたのかななんて思います)、この場面は特に凛々しく感じました。散っていった同志たちにも胸を張れると言っていたように、一本の芯がちゃんと通っているような立ち姿は立派で、だからこそ怪我をしているとはいえ、辛うじて立っているだけの工藤が少し切なくも感じました。


菊谷先生のお言葉

とにかく菊谷先生が最高なんです!!この人の言葉と、言葉に込められた想いに何度も胸を打たれたし、勝手ながら救われました。感想で書いた部分以外で印象に残っているシーンを書き残しておきます。台詞はニュアンスですごめんなさい。記憶力が欲しい。

・「さあ、まずはお礼だ」

警察をまいた一座が、しばらくの間奏くんを小屋に匿うことにしたシーンにて。菊谷先生は心身共に落ち込む奏くんにこう声を掛けたものの、彼は黙りこくってしまいます。主義者を庇う危険を承知の上で彼をこの場に置くことを決めた一座に対して、この後菊谷先生はかわりにお礼を伝えました。なんてことのない場面ですが、ここに菊谷先生の人柄が表れているような気がします。

・ 「良い芸人とは、華やかな衣装と化粧の裏に汗と涙を流しているんだ」

お姫様役に抜擢された夢子への言葉。一観客、一ファンとしてもこのことは忘れたくない。こうして目で見ているものの裏側には、とてつもない努力や葛藤があること。この状況下でより一層響きました。

・「こうすべし、こうであるべきだと言うが、"べし"も"べき"もここにはない」「僕は大衆と言う言葉も好きではない。見下しているような感じになる」

菊谷先生が革命活動とレビューで葛藤する奏くんと、座組のみんなに伝えたシーンでの言葉。これ、めちゃくちゃ共感しました。そして救われました。こうであるべきだよと無意識のうちに圧力をかけられるのが苦手なのと、それに付随して「みんなこうしてる」と言うように数を味方につけることが好きではないので、モヤモヤしていた気持ちを代弁してくれたかのようで救われました。

・「好き勝手やりてえな」

台本を書き直しているシーン。デッパ(きづき)・エゾケン(坂口涼太郎)と共に「踊る毛虫」の話を楽しそうにした後で溜息と共に吐かれたこの台詞。自由を求めていてもやはり検閲の目は厳しく簡単にいかない。菊谷先生のもどかしさや悔しさ、やるせなさが滲み出て印象的でした。色々書きましたが、多分本当の本音はとてもシンプルであって、この一文に集約されているのかもしれないなあ。



役者さんについて

とにかく皆様魅力的で、本当~~~~~に素敵だったんです!皆様とても巧くて、バランスが良いと言うか。自分の役割をちゃんと客観視出来ていらっしゃると言いますか。ただ語り始めるときりがないので、申し訳ないですが選抜して書きます。

山崎樹範さん

菊谷栄という人物に魅了されたのは、やましげさんが演じたからというのも大きな理由だなあ…と思うのです。資金援助をしたり、わけありの一座のメンバーを受け入れる広さ。絶対にブレない信条をずっと秘めている強さ。団員をからかうお茶目な面や、感情を剥き出しにする面など。やましげさんの演技力があったからこそ、より菊谷先生が輝いていたなあ。なによりも、やましげさんの持つ穏やかさが菊谷先生とマッチしてて、皆から信頼されていたんだなというのがより伝わりました。お顔立ちもすごく朗らか。や、優しそう~~~…。

2019年の崩壊シリーズ「派」以来にやましげさんのお芝居を観ましたが、やっぱり面白くて巧い役者さんです。個人的には高校生の頃聞いてたSOLのやましげ校長であり、テニプリの堀尾くん(テニス歴二年)でもあります(アラサー)

余談ですが、毎回笑えるって凄いことだな!?と思う場面があったんです。奏くんから歌を教わった夢子が思わず彼に抱き着き「もう離さない!」「ずっと私のことを見ていて」と伝えるシーンを菊谷先生はたまたま見かけ、二人(というか夢子ちゃん)をからかうのですが、それが毎回面白くて…!やましげさんのユーモアさを思う存分堪能しました。


武田玲奈さん

夢子、まじ強くてかっけぇ女だよ……。

負けん気が強く、どんなハプニングにも立ち向かおうとする姿に惚れ惚れしました。奏くんから一緒にミュージカルをやろうと提案されて最初は無理だと遠慮がちに言いますが、奏くんの「本当に?」とちょっと意地悪な問いに対して「やだ!主役が良い!」と言うシーンなんかは、希望に満ち溢れとてもキラキラとしてて。だからこそ、奏くんやレビュー小屋との別れが余計に苦しい…でも去り際まで凛としていて格好良いのです。

ここで歌って踊ることも、姉さん方からのいじめさえ面白くって笑っちゃう。ずっと楽しい、夢みたいだと言いますが、武田さん自身が楽しそうだからこそより説得力が増したように思います。あと、お体がとても細くて薄い…!加藤さんと抱き締めあう場面がいくつかあるのですが、その度「とても細身でいらっしゃる…(うっとり)」とガン見しました。この二人の恋模様もすごく素敵て、可愛くて、切なかったな。


きづきさん、坂口涼太郎さん

この二人は一緒にいる場面が多かったのですが、その場にいるだけで面白くて。メリハリのあるお芝居も、コミカルな歌やダンスも見ていてわくわくしました。

一座の人たちは思い立ったら即行動をする気持ちのいい人たち。中でもこの二人は警察から追われた奏くんを真っ先に匿おうとするのです。そこには元々の優しさだけじゃなく、生い立ちも影響されてるんじゃないかな。関東大震災で家族を失ったエゾケン、こんな息子が跡取りなんて恥ずかしいからどこかで好きに生きてくれと見放されたデッパ。それぞれ家族がいないからこそ、放っておけなかったのかなと思いました。


加藤シゲアキさんのこと

推しは特別枠です。推しだから。

めっっっっっっっっっちゃ良かった………!!!!(語彙)

加藤さんのことは2018年のゼロをきっかけにファンになったので、ドラマでお芝居する加藤さんを見る機会はありましたが、舞台上で、生で芝居を見たことは一度もありませんでした。一応十年以上舞台観劇おたくをやらせて頂いているので、大好きな舞台と言う場でお芝居をする姿がいつか観れたらなと願っていたことが叶ったことがまず何よりも嬉しいです。

とにかく「こんな加藤シゲアキさん観たかった」の連続で、心の中がねぶた祭状態。人間味溢れる人物に心が震える傾向にあるので、矢萩奏くんはまさにドンピシャな人物でした。理想と現実、やりたいこととやらねばいけないこと、様々な「葛藤」に苦しむお芝居に心臓が何度もえぐられながら、こういうの大好きなんだよね…と内心喜んでいました。ふとした仕草や目の動きなど、台詞以外からも奏くんの心情が伝わってきたなあ。だからこそ、目が離せませんでした。

浅草エフリィはもう…なんというか…ちょー好きです(小二レベルの感想)ずっと頭から離れないのは、菊谷先生から初めてその名前を与えられて「エフリィ、歌いたまえ」と「My Blue Heaven」を歌ったあの瞬間。歌うまでに流れた静寂とそこから伝わる彼の葛藤、ぼんやりと当たるライト、恐る恐る息を吸う音、そして弱々しくも響き渡る歌声。あのひと時が忘れられません。夢子ちゃんとのデュエットも本当に美しく、それこそ夢のよう空間でした。ここのダンスがね…すごくしなやかでね…指先にあんなにもドキドキとしたことはないよ…。

奏くんからエフリィ、またエフリィから奏くんへ変わる瞬間のお芝居も印象的でした。帽子を脱ぐ、髪をセットするなどのスイッチで切りかわる瞬間は、分かっていても息を飲んでしまいます。相手によって声色や表情がかわるところも見逃せなかったです。恋仲になる前となった後の夢子ちゃんとのシーンなんかは、微笑ましく思えば思うほど別れが切なくなりました。

あと思っていた以上に歌やダンスが盛りだくさんだったのもすごく嬉しかったです!観ながら、やっぱり加藤さんの表現が好きなんだなと実感しました。加藤さんが言葉で紡ぐ世界はもちろん、芝居や歌やダンスといった表現も大好きだなぁ。どの曲も耳心地がとてもよくて(個人的には「恋はやさし野辺の花よ」が最っ高)、素人なので断定出来ませんが歌いやすいキーなのかなと勝手に思っていました。ダンスはあれです、腰の入れ方?力の抜け具合?がすごく好きです。ガチッとはまるところ、ふわっと抜けるとこのバランスがすごく絶妙でした。

そしてたくさん衣装替えがありました。奏くんの時に着ていたきっちりとしたジャケットやシャツ、寝間着がわりの浴衣も、浅草エフリィの衣装もどれもこれも似合っていました。雑誌で何度か「この役に挑戦できるラストチャンスだ」と言っていましたが、制服姿もとても似合ってた…!奏くんの時は大体シャツインしていたからか、加藤さんの足が長いことに改めて気付かされました。なげぇ。格好良い。めちゃくちゃ格好良いよ加藤さん。

NEWSとしてや作家としてのお仕事も並行する中、果たしてできるのか。大先輩でもある木村拓哉さんが演じた役を自分が演じるのはおこがましい。そう思いながらも「それでもやりたいと思った自分がいました。他の誰かに演じてほしくない、自分が演じたい」と語った加藤さん。今、この時に加藤さんの演じる矢萩奏・浅草エフリィと出会えて本当に嬉しかったです。何度も胸が熱くなりました。


ここが奏くんたちの青空であり、私の青空

菊谷先生は物語の終盤、軍隊から召集を受けてレビュー小屋から離れることになります。あれだけ自由を求めていた先生が、自由なんてない軍隊に入るという…どう足掻いても時代には抗えない虚しさのようなものが込み上げてきました。

先生が青森の実家へと帰る日。和田純(神保悟志)は前借だと言いながらジャズを演奏し始めます。その音楽と共に現れたのはエゾケンと毛虫姿のデッパ。デッパは音楽に合わせて踊りだす。これは菊谷先生が好き勝手やりたいと願い、三人で盛り上がった「踊る毛虫」のショーでした。

だが毛虫は突然動かなくなる。すると小屋の奥、溢れる蝶々の紙吹雪と眩しいほどの光の中から現れたのは、真っ白い衣装を身にまとった浅草エフリィ。まるで本当に羽化した蝶のように神々しい立ち姿、羽ばたくような軽やかなステップ、一つの芯を得たような真っ直ぐな歌声。

初めて見た時、息をすることさえ忘れてしまうほど魅入ったのを今でも覚えています。あの光景、忘れたくないな。

奏くん、そして一座に見送られ、菊谷先生は小屋をあとにしました。


フィナーレでは、「私の青空」をみんなで歌うのですが、このシーンもすごく印象的でした。

狭いながらも楽しい我が家 愛の火影のさすところ 恋しい家こそ私の青空

こう歌いながら去って行った菊谷先生と夢子ちゃんも登場します。青森の実家、広島とそれぞれ家へ戻った(戻された)二人ですが、二人にとっての本当の家はこのレビュー小屋だったんだと思います。情熱や夢がつまった大好きなこの場所は、二人や奏くん、他のメンバーにとっても恋しい家であり、青空なんだろうな。(フィナーレだから全員登場は当たり前と言われたらそれまでですが)

それは登場人物だけでなく、お客様にとってもこの場所はいつでもあなたの家ですよと言ってくれているようにも聞こえました。というのも、舞台を縁取っていたセットが吊り上がると、そこには青空が広がっているのです。客席と舞台の間にある壁を取っ払い、全てが一つになるかのような瞬間に心が震えました。そして大好きな劇場という場に包まれながら「ここも私の家だ」と目の前に広がる光景を見つめていました。以前別の舞台を観た時も感じたけど、新国立劇場ってだいぶ奥行あるよなあ。


"いつものこと"がなによりも奇跡

勢いで書きましたが、まだ書き残しておきたいことがあるんです…。奏くんと夢子ちゃんの恋模様、和田純や他の人物のこと、奏くんやエフリィにトチ狂ったこと、劇中に出てくる「踊る毛虫」は夢子でありエフリィであったのかなと考えたこととか。ただ自分の中でうまくまとめられていないので、今度書けたら…!

本当に素敵な作品でした。生で観ること、劇場で観ることに意味がある作品でした。劇場内に響き渡る波のような拍手がそのことを物語っていたように思います。心にしっかり留めておきたい作品の一つになりました。


最後に。奏くんが工藤に伝えた、菊谷先生の言葉はこう続きます。

「踊り子や芸人がいつものように陽気に歌い踊る。これを奇跡と呼んでもいいのではないだろうか」

どうかこの奇跡が、大千穐楽まで続きますよう祈っています。



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