うさぎのぬいぐるみと彼女

母親との会話で、彼女は喪服を持っていないことに気が付いた。
頭の中のクローゼットを開けても、そこにはパーティードレスかスーツしかなく、真っ黒のそれはかかっていない。
備えあれば患いなしを延ばし続けた結果、いや、彼女の根っこにある“後回し”という種がぐんぐん成長した結果、面倒という雑草がぼうぼうと生え散らかってしまった。
でも、それをすぐに狩る必要がなかったのも事実だった。

喪服を持っていない。
というよりも、"必要な事態がないまま10年以上経った"という方が彼女的には正しい気がする。
それは側から見ればいいようにも思えるし、でも違う面から見ると必ずしも喜ばしいことだと彼女は思えなかった。
その服に腕を通す“機会”は小学生で2回、中学生で1回、高校生で1回と、彼女は既に体験済みだったからだ。



一番はじめに死を味わったのは、小学2年生の頃。彼女の母の父、彼女にとっての祖父の死だった。
同じ時間を過ごしたのは約7年。その中で赤ちゃん時代の記憶なんてないのだから、「おじいちゃん」と認識できたのは実質3、4年ほどだ。
そんな曇りガラスに遮られた記憶の中で覚えているのは、背が高くて細かったこと。小さいグラスで水ではない透明な"なにか"を飲んでいたこと。物静かだったことくらいで、なんて呼ばれていたのか、どんな声をしていたのか、彼女はもう思い出せない。

それでも唯一、触れることが出来る祖父との思い出があった。
それは、人生で初めてもらったうさぎのぬいぐるみだった。

といいつつ、ぬいぐるみをいつ貰ったのかは覚えていない。どこで買ったのかも、どのタイミングで貰ったのかも。彼女の母親もそれは覚えていないという。
確かなのは、このぬいぐるみをくれたのは祖父だということだけ。
それ以外のことは、昔の彼女に聞きに行かないと分からなかった。


ぬいぐるみはずっと彼女の部屋でぼてっと座っていた。
学習机の上、窓際、枕元。転勤族になりながらも、彼女の部屋から外に出ることはなかった。くまやねずみのぬいぐるみが新入りとして入ってきても、その部屋の長として重鎮していた。

やがて大人になり彼女が家を出る時は、うさぎも一緒についてきた。 当たり前かのように。それ以外の選択肢はなかったかのように。
記憶がだんだん薄れていくからこそ、唯一感じることができる祖父の存在を彼女はどうしても手放したくなかった。
そして今も、家の長と言わんばかりに棚のすみに座っている。



年末の掃除中、彼女は久しぶりにぬいぐるみを持ち上げた。全身はすっかり曇天のような色をしていて、換毛期なんてない肌はぼろぼろしていて、なんとなく重みを感じた。

来年はきみの年だね。

彼女はポッケに刺さったスマホを手にする。
それから、「喪服 レディース」のページの上から「ぬいぐるみ 洗濯」と入力し、検索ボタンをタップした。


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