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6階のあの子と彼女


彼女が住んでいたマンションには、たくさんの同級生がいた。
どこかしらの階には同級生がいて、休日にエレベーターで同級生家族とばったり鉢合わせして気まずい思いをしたことも少なくない。

小学校4年の時に好きだったあの子も、6階に住んでいた。


入学式に名前順で並んだ結果手を繋いで入場したあの子とは、6年間同じクラスだった。
誕生日も一ヵ月違いで、名字も似ている。
それだけで運命的なものを感じられるほど、少女漫画に染まった彼女の脳は単純だった。

彼女はこの年、初めて好きな人にチョコを渡すイベントに参加した。
手作りチョコが流行りに流行っていた当時。料理はおろか、お菓子なんて作ったことのない彼女にとって、いきなり手作りなんて当然自信がない。したがって、近くのスーパーで売ってるかわいらしいチョコを買って送ることにした。



迎えた2月14日。
原則、学校に食べ物の持ち込みは禁止されていた為、学校終わりからが実質バレンタインの始まりだった。もっとも、チョコの入ったタッパーを手提げ袋に忍ばせて来た女子もいたらしいが。

太陽が沈み始めた頃。
赤いランドセルと入れ替えに紙袋を手にした彼女は、こっそり家を出た。同じマンションに住んでるから渡したらすぐに帰ってくるつもりだったし、どこに行くか、何しに行くのかを親に話すのも恥ずかしかったからだ。

やってきたあの子の家の前。インターホンへ指を伸ばす。
きっと、ドアの奥にはあの子がいる。
でも、あの子だけじゃなく、あの子の家族もいるに違いない。

インターホンを押して最初に出るのはきっとあの子のお母さんだ。面識があるお母さんは、今日という日に私がきた理由を察してあの子を出してくれるだろう。
しかしこの日を境に、お母さんから私は「息子に好意を抱いてる子」と見られてしまうんじゃないか。休日、ばったり一家と遭遇したら今まで以上に気まずい。
そもそも、これまで同じクラスメイトだった私は、チョコを渡したことでこれからあの子にどう思われるんだろう。正直、告白しようとは思ってない。ただチョコを渡すだけ。友達だからと嘘ついて好きなあの子に渡すだけ。
でも、世界はチョコを渡す行為を好意に変換してしまう。テレビの特集が嫌というほど「好きなあの人にチョコレートを!」と煽ってくるんだから。そんなの、告白しなくてもしたようなものになるじゃないか。

どれくらい、あの子の家の前に立っていたのだろう。
頬を刺す風の冷たさにようやくハッとなった彼女は、伸ばした指をギュッと引っ込めた。
その指が震えていたのは、寒かったからか、あれこれ想像したからかはわからない。

もうこのまま帰ってしまおうか。いやここまで来たんだから渡そうか。

そんなことを考えていた時。
遠くから響く足音に彼女の心臓が大きく高鳴った。

あの子?あの子のお母さん?それとも全く別の住人?
どの選択肢でも気まずい。赤の他人がこの階の住人じゃない彼女に対して違和感を覚えたらと思うと、この先のマンション生活が大変気まずい。

彼女は咄嗟にドアノブへ紙袋を引っ掛けて、一目散にもと来た道へと走った。いつかテレビで見た、ゾンビや化け物から逃げるかのように。あるいは、勝手にお菓子をつまみ食いしてたのがバレて母親から逃げるように。
ほんの一瞬、手に触れたドアノブの冷たさを握りしめ、顔を見られませんようにと後ろを振り向かず彼女は駆けて行った。あの足音が誰だったのか、結局分からないまま。


バレンタインの歴史を調べてみると、処刑されたキリスト教司祭・ウァレンティヌスを祭る日らしい。
結婚を禁じられていた当時、結婚できないまま兵士が戦地へ赴くことに憐れんだ彼がこっそり結婚式をとり行っていたところ皇帝にバレて注意を受けたが、それでも屈しなかった為最終的に処刑されてしまった。

こっそり家を出て、好きなあの子の家に向かい、バレないよう走る彼女は、皇帝にバレないよう式をあげる兵士か、もしくはウァレンティヌスだったのかもしれない。

・・・いや、同列にするのは失礼か。


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