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自分に関係のないことを考えてもどうにもならない

自分に関係のないことは、どうにもならないことが多いです。

むしろ、自分に関係のないことに影響を与えることの方が難しいとすら感じます。自分に関係のないことを考え込んでしまったり、影響を与えようとしたり計画するのは、やらなくても良いことをやろうとしていると感じます。

もちろん、当事者意識を持つことは大切です。あらゆることを自分のこととして捉えて、自分ならどうするのか、自分ができることは何かを常に考えるというのは、理想的な姿かもしれません。

仕事においては、自責で捉えるというのは重要とされています。ミスなどが起こった場合に、自責で捉えて、自分であれば何ができたのかという反省をするのです。

また、これからどのような手を打てばミスを防ぐことができるのかという改善まで考えるのです。

社会人としては理想的な姿だと思います。このような人がいる一方で、あらゆることを他責にしてしまう人がいるのも事実です。

ミスが起こった場合は、以下に責任から逃げようとするかを考えるのです。そのため、自分のせいではなく、他人のせいでミスが起こったと考えてしまうのです。

実際にそうなのかもしれませんが、社会人としては自責で捉える方が良いとされています。

個人的にはどちらでも良いと思います。自責や他責という考え方が嫌いというわけではありませんが、ミスが起こったときに客観的に評価して自分のせいなのか他人のせいなのかということが明らかになれば、それで十分なはずです。

ミスが起こったときに重要なのは、責任を追及することでは無く、ミスを再発させないことです。そのため、他人のせいであるにもかかわらず、自分のせいとして捉えて、改善をしようとしてもうまくいかないことが多いと感じます。

自分の責任のもとでできないことをやろうとしているので、他人からはおせっかいと思われる可能性すらあります。余計なことをしてしまっている可能性があるということです。

求められていることが、すなわちそのまま理想的な姿かと言われれば、完全に一致するとは限らないのです。

求められていることというのは、あくまで誰かの役に立つということです。その人の利害によって求めるか求めないかということが変わります。

そのため、利害関係によって求められるものが変わるということです。

利害関係というのは、いわゆる損得勘定です。損得勘定で動く人たちが理想的な姿を追い求めているかと言えば、そんなことは無いと感じます。

人らしくてとても分かりやすいかもしれませんが、おそらく理想的な姿や、あるべき姿からは遠いと感じます。

人らしくても良いし、理想的な姿を追い求めても良いとも思います。

ただ、自分に関係のないことは無視で良いと感じます。

自分に関係のあること、自分に関係のないこと、事実と事実でないこと、これらはそれぞれ切り分けて考えておいた方が、余計なことを考えなくても良いと感じます。

自分に関係のあることは、自分が影響を与えやすいことです。自分に関係のないことは、自分が影響を与えにくいことです。

抽象的ですが、自分が影響を与えやすいことに関わった方が、コスパが良いのです。

また、事実と事実でないことを切り分けるというのは、事実にエネルギーを注ぐ必要があるということです。

事実でないことに対してあれこれ考えるとか、思いを巡らせたとしても、それが具体的な形になることはありません。

そこにかけるエネルギーがムダになってしまう可能性が高いということです。

そのため、自分に関係のある事実に対してエネルギーを注ぐということを徹底しておかないとムダが生じてしまってコスパが悪くなる可能性があるので注意が必要です。

同時に物事のつながりは考えておいた方が良いと感じます。

主に人は言葉でしか考えることができないので、論理的なつながりを大切にしないと、論理が破綻してしまいます。

何を言っても相手に伝わらない可能性があるのです。伝わらないだけならまだしも、まちがって伝わる可能性すらあるということです。

物事のつながりとして、因果関係とか、類比対比の関係のどれかでつながっているかどうかということは考えておいた方が良いです。

このつながりを意識しておかないと、色々な論理が破綻してしまい、自分に関係があるのかどうかが分からなくなってしまいます。

自分に関係が無いことを考えてしまうと、どうしても時間を浪費してしまいます。また、場合によっては他人に迷惑をかけてしまうかもしれません。

自分に関係が無いこととはいえ、良かれと思ってやったことが、相手にしてみれば迷惑になってしまうことがあるからです。

相手の立場になって考えれば、相手にとって迷惑にならないと考えることもできますが、それがとても難しいのです。

そもそも、人は物事を自分の都合でしか解釈できません。そのため、他人の都合を考えて解釈すること自体が難しいのです。

解釈とは自分の頭で考えることです。そのため、相手の立場を想像するしかありません。あくまで想像なのです。そこには必ず自分の頭というフィルターを通して考えているということです。

そのため、自分の都合で考えるしか方法は無いのです。ただ、自分の都合で考えるときに、自分の都合しか考えていないと、相手にとって損で、自分にとって得だという場合があります。

これでは単に相手からスポイルしているだけなので、相手に嫌われます。これでは良くないので、この部分だけ避けておけば、あとは自分なりの解釈で物事を進めても何の問題も無いと感じます。

どれだけがんばっても、相手の考えていることなど分からないのです。わからないからこそ、考えるのだとは思いますが、突き詰めていくとみんなが自分のことだけを考えていれば、世界はうまく回るのではないかと思います。

だからこそ、人と人とを比べるのは難しいのです。わざわざ人と人を比べて、競わせることで、色々なものを生み出している人たちがいます。

優越感や劣等感を生み出して、それをエネルギーにするということです。たしかにこれらのエネルギーは大きなものかもしれませんが、その根源にあるのはとても抽象的なものです。

比べるにしても、人と人を比べるという大きな枠組みではなく、見た目とか、足の速さとか、テストの点数とかであれば比べることができるかもしれません。

見た目とか、足の速さとか、テストの点数とか、これらのようなものが、そのまま人としての評価につながることは無いはずです。

つながりが無いにもかかわらず、むりやりつなげようとして、わざわざ優劣を決めようとしなくても良いと感じます。

自分は自分なのだという開き直りというのは、使い方によってはとても大切だと感じます。

この開き直りが、自暴自棄になってしまうと良くありません。すべてが嫌になってしまって大きな行動に出る人がいます。

それは良くない方向に進んでいるかもしれませんが、やるべきことをやって、その上で自分のするべきことが無いのであれば、これ以上はやりたくないのであれば、そんな自分も自分なのだと開き直ることも大切です。

この場合は開き直るというよりも、自分を受け入れるという意味になるかもしれません。

人と人を比べるのは難しいですが、個別の能力や事実であれば比べることができます。それでも自分に関係のあることだけを考えていれば良いのです。

世の中で起こっているたいていのことは、自分に関係のないことです。そのため、その余計なことに自分の時間を使うというのはもったいないと感じます。

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