先入観はどんな影響があるのか
先入観と聞くと、悪いイメージを持つ人がほとんどです。たしかに先入観は、悪い意味として使われることが多いと思います。
先入観によって人を判断するというのは、たいてい悪い意味で使われます。思い込みも同じです。思い込みも同じです。
先入観や思い込みでラベルを貼っているというのは、本当はどうか分からないけれども、イメージとしてラベルを貼るということです。
レッテルも同じです。
ただ、先入観や思い込みが必ず悪いということではありません。悪い意味で使われている言葉だからと言って、それが悪い意味だとは限らないのです。
先入観というのは良くも悪くも経験です。経験に良いも悪いもありません。
経験から得た知識を、自分の未来のために使うということです。むしろ、先入観がないことの方がよっぽど危険なこともあります。
例えば、街中で不良を見かけたときに、何となく近くにいない方が良さそうと思うのは、正しい防衛本能かもしれません。
また、治安の悪い地域に入るときには銃声などに気を付けておかなければいけません。危機を回避するために、できる限りのことをするということです。
これは、自分が実際に目で見て、耳で聞いて、五感で感じた経験と、初めて対面する状況を照らし合わせて、安全か危険かを判断するということです。
この能力が低いと余計なトラブルに巻き込まれたり、不要なケガをしたりすることもあります。
だからこそ先入観という名の経験は大切だと感じています。
先入観と近い言葉として、第一印象という言葉があります。近いというよりは、先入観を持たずに接することができれば、まっさらな状態で対一印象を感じることができます。
第一印象が正しいのかどうか、先入観を持たずに接することで正しい印象を持つことができるのかというのは疑問です。
第一印象が正しいかどうかというのは、もちろん後になってみなければ分かりません。ただ、第一印象でこじれると、ずっと尾を引くことになるという場合があります。そのため、第一印象が大切と言うのはまちがいありません。
先入観というわけではありませんが、初対面で会話をした際に、たまたま調子が悪いとか、直前に悲しいことがあった場合は、本来の自分とは違うかもしれません。
それでも相手にとっての第一印象は決まってしまいます。第一印象はとても強く残ってしまうので、結果として本当は違うのにとても嫌な奴として映ってしまうことがあります。
ここでは嫌な奴というのも自分自身だということでは無く、平常時の自分を嫌な奴と混同されてしまうことが問題だとしておきます。
そのため、初対面で嫌な奴だという印象を与えてしまうと、ずっとそのときの印象が尾を引いてしまうことがあるのです。
人によっては、「そういうこともあるよね」と流す人もいれば、ずっと覚えている人もいます。それはその人の価値観によるものなので、他人がとやかく言えることではありません。どのように感じて、どのように考えるかというのは、人によって違うのは当然です。
人によって違うからこそ、自分の価値観がどうなのかということは考えておいた方が良いことだと感じます。
個人的には価値観は狭いよりは広い方が良いと感じます。どれだけ価値観を広げたとしても、世の中の全てのことを知ることはできません。
それでも相対的に広い価値観を持っておくというのは、意味があることだと感じます。
価値観を広げるために必要なことは、新しいことをするに限ります。
新しいことをすると、いままで知らなかったことを知ります。また、感じたことのない感覚を得ることができます。
そこで価値観が広がるのです。いままで陶器の皿を作ったことのない人は、ろくろを使ったことが無いはずです。そのため、ろくろを使うという経験を通じて、いままでにない価値観を得ることができるはずです。
そこで大切なのは、自分にとって知らないことはたくさんあるのだという自覚を持つことです。その自覚を持つことで、新しい知識や経験が入ってくることになります。
人から入ってくる情報もそうです。すでに知っていそうな人に対して、あらためて教えようとは思わないはずです。知らないだろうと思える人に教えようとするのです。
すでに何でも知っているというような雰囲気を出していると新しい情報は入ってこないので注意が必要です。
このことは、自分を過信しないということにもつながります。いままでに経験したことがある物事であれば、たいていのことはやったことがあるから、すでに知っているという感覚であまり注意を払わないかもしれません。
しかし実際は注意を払うことで、いままでに経験したことであっても、新しいことを見つけることができる可能性があるということです。
これは古くから言われる言葉だと、温故知新がそれにあたると思います。
すでにみんなが知り尽したと思っていることであっても、あらためて考えると新しいことを見つけることができるということです。
そのためには、自分を過信しないのと同時に、自分を疑うことが大切だと感じます。自分を疑うというのは、あまり良い表現ではないかもしれません。ただ、そこには2つの理由があります。
1つ目は、知ったつもりにならないということです。2つ目は、まちがえることがあるということです。
どちらも自分の無知を問いかけるものですが、この感覚や考えを忘れてしまうと、いままでの価値観から抜け出せなくなってしまうのです。
価値観と似た表現として、評価というものがあります。
言葉の意味は全く違うのですが、自分の価値観が他人に評価されないというのは良くあることです。自分が評価していることと、他人が評価していることは全く違います。
そこには価値観の違いがあるはずです。
この価値観の違いを無視することは不可能です。なぜなら、みんな自分のフィルタを通しているからです。それぞれのフィルタを通してみているからこそ、それぞれの感じ方が違うのです。
感じ方だけではありません。言葉も変わってくるはずです。インプットもアウトプットもそれぞれの感覚や価値観というフィルタを通しているということには変わらないからこそ、違っているということです。
そのため、どんな人にも先入観があります。価値観を持っている以上、先入観を完全に排除することはできません。
いままでの経験からどのような選択が最善かということを考え続けているからです。そうして、イメージ、ラベル、レッテルなどを通して考えることが効率的であることを知っているのです。
効率的だからこそ、先入観を排除するというのは難しいと言えます。
分かっていてもできないこともあるということです。
どうせ自分はできないと諦めてしまうことも多いかもあるかもしれません。それは先入観によるものです。
先入観というのは経験のため、自分の実力を知っていると、自分の実力以上のことをしなくなってしまうのです。
また、何度も失敗していると、挑戦する気力がなくなってしまうこともあります。ダイエットなどはそうかもしれません。
ダイエットは成功したとしても、続けなければ太ってしまいます。そのため、ダイエットに失敗する人が多く、諦めて太っても気にしない人がいます。
ダイエットに限らず、望んで、手に入れようとしなければ手に入りません。このような意味で先入観は悪い意味で使われてしまいますが、それを変えることができるのも自分しかいないのです。
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