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抽象的でも具体的でも伝わらない

話が抽象的な人、話が具体的な人、どちらも身の回りにいると思うのですが、一般的には話が抽象的な人というのは良くないと思われがちではないかと思います。

話が抽象的だと、最終的に何が言いたいのか良く分からないと思われてしまうのです。実際にそうです。話が抽象的だと何となく正しいことを言っている気がすると同時に、何となく言いたいことは理解できる気がします。

ただ、最終的に何が言いたかったのかという要約ができないのです。

そのため、話が抽象的な人というのは、何を言いたいのか良く分からないと思われていると感じます。

一方で、話が具体的な人というのは、どちらかと言えば話が抽象的であるよりは良いと感じる人が多いはずです。ただ、これは話し方の問題に影響があると感じます。

話が具体的でも、いきなり具体的なことを言われると何のことか分からないのです。ただし、具体的なことを言われているので、受け取る側は想像できます。

何のことを言っているのかなという想像力を働かせて話を聞くことができます。結果として相手に何の件かを確認することができるため、最終的にはお互いで共通認識を持つことができるということです。

そのため、話が抽象的であっても、話が具体的であっても、どちらも問題となり得るのですが、話が具体的である方が、質問しやすいので問題になりにくいということです。

おそらく、最も伝わりやすいのは、抽象的な所から話して、具体的な内容に踏み込むか、具体的な結論から示して、抽象的な背景を伝えていくかのどちらかです。

どちらも伝えなければ、相手が全容を理解することは難しいと感じます。

この点を無視して、自分の言いたいことだけとか、自分の聞きたいことだけを求めていると、結果として、伝わらないとか、何を言いたいのか分からないという結末に至ってしまいます。

それではお互いが不幸になってしまいます。

もちろん、コミュニケーションは関係性の問題であることが多いので、お互いの関係性が適切であることが前提です。

ケンカをしているときに、ケンカしている相手からの言葉など冷静に受け止めることができる人は少ないはずです。

相手と普通に会話ができる状態で、話が通じないようであれば、それは伝え方か聞き方に問題があると考えた方が良いです。

個人的な感覚ですが、話が抽象的だと面倒だと感じることが多いです。何を言いたいのか良く分からないので、結論から言って欲しいと感じることがたくさんあります。

伝える側からしてみると、きちんと物語にして起承転結を並べて話したいという考えがあるのかもしれません。

そのため、どうしても話が長くなってしまうのです。長い話は聞きたくないというのが正直な感想です。

もちろん意味がある話であれば、1時間でも2時間でも聞いていることができます。しかし、要約すれば5秒で終わることを、10分も20分も長い時間をかけてしまうというのは、あまりにも非効率だと感じます。

もとより5秒で終わることに対して10分も20分もかけてしまうというのは、相手の時間を奪っているという自覚がない気がします。

自分の時間だけを使っているのであれば良いのですが、自分が話すことで相手の時間を奪ってしまいます。そのため、話が長いということは、相手に迷惑をかけているという自覚を持っておかなければいけません。

また、話が抽象的は、何となく分かるけど、何となく分からないのです。本当に何となくの話です。

イメージとしては政治家の人たちの話が、何となく分かるけど、何となく分からないに当てはまるかもしれません。

政治家の人たちの話し方が悪いと言っているわけではありません。基本的に政治家の人たちは言葉を使って仕事をしているので、むしろ話すということに関しては一般の人と比べると格段に能力が高いはずです。

しかし、政治家の人たちというのは、特定の人ということでは無く、多くの人を相手にすることになります。

そうなると、どうしても具体的に個別の話をするというのは不適切になってしまう可能性があります。個別の話をするということは、その個別の話ではないことを話すのは難しいからです。

具体的に話をしてしまうと、大勢に話しかけることが難しくなってしまうのです。結果として、具体的な話は避けて抽象的な話をしなければいけないのです。

そうなると結果として、とてもすばらしいことを言っているようには感じるものの、結果として何を言っているのか良く分からないという結論になってしまいます。

そうなると、抽象的な話というのはみんなが納得できる一方で、個別には納得できないということになってしまい、最終的にはどうにもならないのです。いわゆる総論賛成各論反対の状態です。

ここまでは話が抽象的だと伝わらないということを説明しましたが、話が具体的でも伝わりません。急に結論から言われても相手は何のことか分からないのです。

例えば、いきなり本題に入るとか、話の主語が無いとか、細かすぎて伝わらないとか、色々な理由があるはずです。

いきなり本題に入ってしまうというのは、地図に例えるといきなり解像度の高い局地的な部分を見せられても、そこがどこなのかというのを把握することは難しいのです。

広い範囲から、最終的に絞っていくことで具体的な現在地などを知るということであればできるかもしれません。

話の主語が無いというのは、具体と抽象の話からそれてしまうかもしれませんが、特に日本語においては、話の主語が無いことは良くあります。

主語が無くても会話が成立してしまうからです。ただ、それが原因で会話がかみ合わないこともあります。

同じように、細かすぎて伝わらないということもあります。細かい部分を伝えてしまうと、やはり俯瞰してみることができません。

それが正しいのかどうかということを考えることが難しくなってしまうのです。

物事を伝える時というのは、抽象的だけでもダメで、具体的だけでもダメなのです。ここからは、自分自身で具体的に噛み砕いて理解できているわけではないのですが、抽象的なことと具体的なことを行ったり来たりすると良いそうです。

自分なりの解釈では、組み合わせの問題と目的地の問題だと理解しています。組み合わせの問題というのは、抽象的なことを具体的なことに落とし込んでいくときに使える方法です。

抽象的な話を、具体的な話に要約したいときに、例を挙げるというのは、とても具体的なことです。ただ、その例が不適切では伝えたいことを伝えるのは難しいはずです。

そのため、例示を外してしまったのであれば、抽象的な考え方に戻って、別の具体的な零時を探すのです。そのため、どの具体的な示し方をするのかを考えるためには、組み合わせの問題になると感じています。

反対に目的地の問題というのは、具体的なことから抽象的なことを導き出すことになります。みんながどの方向に進みたいのかということを理解しておかなければいけません。

具体的な個別の事情から、共通の物事を見つけ出して、抽象的な考え方にするのです。

帰納と演繹にも似ています。このようにして、どのようにすれば伝えることができるのかを考えることで、伝える力が高まるはずです。

抽象的に考えて、具体的に伝えてみて、伝わらなければ、また抽象的に考えて、具体的に伝えるという繰り返しをすることしか、自分の言いたいことを伝える方法は無いと感じています。

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