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學び直し日本の歴史!国津神(くにつかみ)とは 日本の歴史を学ぶうえでまずは知らなければならないのではないかと思います。

【學び直し日本の歴史!国津神(くにつかみ)とは】日本の歴史を学ぶうえでまずは知らなければならないのではないかと思います。

国津神とは日本神話の中で、天津神に対して存在する神様です。国津神とは「日本の大地に元々鎮座していた神様」(天津神が降臨する前からという意味です)「スサノオノミコト等天津神が国津神となった神様であり天津神が国津神という神様になった後の末裔となる神様」しかし、国津神を日本神話の中だけでなく、さらに広範囲で区別する考え方もあります。幕末の国学者である矢野玄道(やのはるみち)は国津神を

•天津神に対するもの 天神に先立って国土のある地方をつかさどるもの

•産土神(うぶすながみ)を指すもの 海中の神を指すもの

と定義つけました。

•日本の民俗学者の大家である、柳田国男氏による考え方によると、

【天津神(アマツカミ)を奉ずる渡来民族(水田稲作農耕民)によって山に追われた先住民が山人であるとし、山人は国津神(くにつかみ)を報じた非稲作民であったとしている。】

つまり、日本の神が天津神と国津神が生まれた背景には、日本に先住していた人達がおり、渡来した人達がその人達を征服したという歴史があるのではないかと言われています。その歴史をまとめた書物である古事記と日本書紀の中で、天津神と国津神という二つの神様で説明をしているというのです。

なるほど 興味深い定説ですね。

国津神の別の言い方

国津神という神は「地祇(ちぎ)」という言葉でも表されます。地祇と言う言葉は、国津神の中でも特に、葦原中津(日本の大地のこと)で生まれた神様を表す言葉です。土着神は国津神?と考える人がいると思います。土着神とは、その土地に住み着いている神・精霊をあらわる言葉です。ただ、土着神はそこで信仰を集めている神様という言葉を意味しますので、国津神と完全に等しいものではありません。ということです

国津神の代表の神様一覧

◆素戔嗚/須佐之男命 スサノオノミコト

イザナギノミコトから生まれる神。

アマテラスオオミカミの命により葦原中津国に降りる。

◆海神/大綿津見神 ワタツミ

イザナギノミコトとイザナミノミコトの間から生まれる。

海の神の国津神として神話の中で登場する。

◆豊玉姫・玉依姫の父 大国主/大穴牟遅神 オオクニヌシ/オオナムチ  スサノオノミコトの息子

天孫降臨まで葦原中津国の国造りを行う国津神

◆木花咲耶姫 コノハナサクヤヒメ 天皇家の祖神

アマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトと結ばれ子供を成す国津神

◆大山積神/大山津見神 オオヤマツミ

イザナミノミコトとイザナギノミコトの間に生まれる山の神の国津神 コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父

◆宇迦之御魂神 ウカノミタマノカミ

後にお稲荷さんとして信仰される国津神

他にも猿田彦という神様等たくさんの神様がいるそうです

―神仏ネットー参照

ここまで読んでいると 国津神は縄文人で天津神は弥生人?

日本と言う国の成り立ちの歴史の中で先住民であった縄文人(狩猟民)を渡来系である弥生人(農耕民)が征服した歴史を天津神と国津神という神話の中で分類したという説があります。(歴史がひっくりかえりそうです・・・)

なんとこんな説も、天津神で葦原中津国に天孫降臨をするニニギノミコトは国津神の娘であるコノハナサクヤヒメと結ばれますが、このコノハナサクヤヒメは鹿児島といった九州南部にいた隼人族という縄文系先住民の姫を征服者の弥生人が娶ったことを表しているのではないかと言われています。

また国津神を祀る神社として最も有名な出雲大社。

この出雲大社のご祭神であるオオクニヌシの父神であるスサノオノミコトは国津神の中でも有名な神様です。

このスサノオノミコトという神様の存在は、今の天皇家を中心とする大和朝廷の前に日本で大きな勢力だった出雲系朝廷を表すという説があり大和朝廷がそれらの国を征服し中央集権国家を成り立たせて作られた古事記と日本書記では、直接それらの勢力について書くのではなく、神話の中の神様として描いたと言う説があります。

いずれにしても天津神ことも調べないとね・・続く

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