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平等はスポーツの最低条件@クラロワ見て思ったこと

先日日本eスポーツ界に事件とも言えるほど激震が走った。
クラロワと呼ばれるゲームの国内のてっぺんを決めようというコミュニティ大会に有志のスポンサーが次々と表れ200万円を超える賞金が設定されたのだ。

あらためてドズルさんはじめスポンサーの皆様本当に最高に楽しくも熱い時間をありがとうございました。

日本のシーンにおいてここまで[表立って人を巻き込みながら]発生した大会はなかったように思います。
(古くから知っているわけではないので定かではありませんが)
SNSの発達なども相まって今回のような素晴らしい大会ができたのだと思います。もちろんそれは条件の話でドズルさんの熱い気持ちと行動とこれまでの貢献献身により稼いだ信用と影響力があってこそです。

ただそこで少し最後の決勝戦で起きたごちゃごちゃで思ったことを書いておきたいと思います。
以前から思っていて周りの人には伝えていました。

あくまで今回の大会を否定したい、また選手を否定したいという気持ちではなく。スポーツにおける公平性の重要性について少し触れたいと思います。おそらくみんなが言い争うのはここの認識の差だと思うので。。。

何が起きたかとかどうすればよかったみたいなのはつぶやいたのでもうそれ以上はないし見たい人は見ていただければと思います。

ちなみに。
僕は競技者としてはペーペーですがとあるスポーツで日本代表のスポーツトレーナーをするくらいには真剣に戦う人達とともに戦ってきました。そんな競技者の気持ちを少しだけみんなより知っていると思っています。もちろんほんの少しだけ、そしてそれは絶対に正しいわけじゃないこともわかっています。ですがあくまでスポーツの大前提として以下の部分を共有出来たらもっといい形になるんじゃないのかなという思いから書いております。
[eスポーツにトレーナーが必要な話はまた今度]
⤵︎ ︎当時の写真僕写ってないけど笑

スポーツは結果を求め争うことです。
それは身体機能(競技能力)(と運)を平等公平のもとに競うことです。
その結果が本当に自信をもって誇れるものにするためにも平等/公平であることが大事になります。
そこで、逆に平等ではなかったときどんなことが起きるのか考えてみましょう。

なんでもありは戦争。被害者的立場が生まれる

ルールをないがしろにし公平を破壊すると、「それもありなのかよ!」といいながら負けていく被害者的立場が生まれます。
これはスポーツにおいては在ってはなりません。
ノーサイドじゃありませんが争うのは競技中だけでいいのです。
極論eスポーツのオフラインで相手の指でも折りに行くか目にレーザーポインターでも当てればイイ的な争いまで発展します。(サッカーのPKとかで目元にレーザーポインターあてられたりしてるの見たことあるでしょ?冗談じゃないから)だからルールを守る姿勢ありきでスポーツそのものが成り立つんです。
そして、たとえ本人たちが不平等に納得してもファンは納得しません。応援する選手が100%で戦えないモヤモヤはどこにぶつけるか。分かりますよね。
こんなふうに、無用な被害者。無用な加害者を産んでしまうのです。
簡単に言えば
選手は従った、ということが選手を守ります。選手に判断を委ねては行けません。決定するのは審判であり運営です。それは絶対です。
特にその場で大衆の面前で判断を問う。これはありえません。断れない状況で聞くのはヤクザと一緒です。
大人のやる事ではありません。

結果が誇れないものになる

競技結果とは平等に行われたものだからこそ誇れるものになります。
ずるをして(一般論として)勝ってもそこにスポンサーはつきませんしファンもつきません(ヒールとして生きていくなら別)。
スポーツは結果に一喜一憂した上で、そこまでのストーリーに一喜一憂していくものです。その結果の価値を下げることは競技の価値だけでなく選手の価値の低下につながります。

スポーツの価値

本気でスポーツをしたことのないeスポーツプレイヤーに少し足りないなと思う感覚があります。
ここで突然ですが1つ引用しましょう

スポーツの価値
スポーツにはどのような「価値」があるでしょうか?
健康な体づくりができること。挑戦する、勇気を持つ、相手を尊敬するといった気持ちの素晴らしさや、年齢や人種を越えた他者理解の心を育むことができること。チームワークやルールを守る姿勢を通して、フェアであることの大切さを知ること。さまざまな答えがあるかもしれませんが、その全てが「スポーツの価値」に含まれます。私たちは、スポーツをしたり、見たり、支えたりする中で、そのようなスポーツの価値にふれることができます。

これはJADA(日本アンチドーピング機構)のページからの引用です。
スポーツの価値には本来スポーツでしかできない平和に競い合うことがあります。
そういった価値そのものを侵害するような試合はその結果スポーツそのものの価値を落とし結果選手や企業にダメージとなります。
スポーツは教育/人格形成/人間力向上/健康促進といったような社会的価値を持ちうるからこそここまで伸びてきました。
そこをはき違え盛り上がればいいというのは結果盛り上がらないのです。
こちらも先ほど同様に同じページからの引用です。最後に読んで見てください。

なぜ、アンチ・ドーピングが必要なのか
競い合う相手がドーピングをしているかもしれないという疑いがある時、自分自身が真剣にスポーツに打ち込めるでしょうか?相手の勝利を心から称えることができるでしょうか?
また、スポーツにおいてドーピングが当たり前になってしまったら、どのようなことが起こるでしょうか?
スタジアムへスポーツを見に行きたいと思うでしょうか?家族や友達にスポーツをやってほしいと思うでしょうか?ドーピングが蔓延すると、フェアなスポーツは成立しなくなります。そして、スポーツの土台を支える「フェア」が無くなってしまうと、その上に築かれている、スポーツが持つ多様な価値は壊れてしまいます。それは、スポーツの社会的な信用を失墜させることにもつながります。さらに、ドーピングは健康上の被害を引き起こす可能性がある危険な行為でもあるのです。
アンチ・ドーピングは、スポーツにおけるフェア、スポーツの価値を守る活動です。アンチ・ドーピング活動を推進することで、フェアなスポーツが約束され、スポーツの価値はもっと多様に広がっていくでしょう。そして、すべての人たちが安心してスポーツを心から楽しめるようになります。

アンチドーピングに限らない真剣に打ち込めるかどうか。そこに面白さがあるのです。
これにつきます。

平等であることが
選手を守り
シーンを守り
盛り上がりを産みます。

平等公平はスポーツの最低条件です。
これを担保できないのなら
それはただの争いもしくは戦争でもしくは喧嘩です。
是非その辺もうすこししっかりと考えていければいいのではないのでしょうか。今回の発端となった件は次第に鎮火しますが、大会運営にかかわる人の中では大いに学びのあるものとなったはずです。それはもちろん大会前の部分も!だからこそそんな最高の1大会だからこそここまでいろいろと思う人もいるのだと思います。
声を上げることがいけないのではなくあげ方の問題などいろいろあると思います。
クラロワの、ひいてはeスポーツの発展を願って締めたいと思います。
大会に関わった全ての人に拍手!!!

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