なぜ、アシタカはあの時、痣を消してもらえなかったか〜もののけ姫から見る執着の手放し方〜


もののけ姫は、何回観ても新しい発見のできる作品だ。
特に心理学的な視点で見たときに、過去の失敗や人間関係に悩んでいる人にとって氣付きが多い作品だと思っている。

「執着を手放す」をテーマに自分の解釈を深掘りしていく。
執着とは「強く心をひかれ、それにとらわれること。深く思い込んで忘れられないこと。」
ポイントは”それにとらわれること”である。
囚われることとは「自由に考えることができなくなり、拘束されること」だ。

物事に熱心に取り組んでいるように見えて、それが執着では、やはり人生にとって望ましいことではないように感じる。
なぜなら、自分の可能性を自由に考えることができずに拘束されているからだ。

僕は自分の人生を自由に考えて、活き活きと生きていきたいと思っている。

では、どうやって執着を手放すのか。
それは、物語の主人公アシタカとシシガミ様を中心に考えていくことで氣付くことができる。

主人公のアシタカは村の長になる有望な青年だ。
村の娘を救うために、祟り神になった山の神を殺す決意を、矢を射るその一瞬ですることができてしまうほどの心の強さを持っている。
自然信仰が強く、動物や森と共生していただろう村の文化を考えると山の神に手をかけるなんて、どんな呪いが降りかかるか想像もできないくらい恐ろしいことだったに違いない。

僕はこの作品は、この成熟した青年であるアシタカが自分の執着と向き合い手放す過程を描いた物語だと思っている。
これだけイケメンで、他人からも慕われて、呪いを引き受ける胆力のある青年ですら、己の運命に囚われてしまっていると言うことだ。

それはアシタカのセリフからも読み取ることができる。
「シシガミは傷は癒してくれてもアザは消してくれなかった。」

僕は、アザは祟り神からアシタカへ引き継がれた、執着の象徴であり、
シシガミがアザを消してくれなかったのは、アシタカに執着があったからだと解釈している。

今日はここまで。

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