見出し画像

結局、妊娠高血圧症は繰り返したのか…🤔?【これまでの妊娠出産編】

1人目妊娠で発症した妊娠高血圧症。

まさにゾウの足を連想する酷いむくみとボコボコの静脈瘤、そして息切れが酷かった。すぐに血圧が上がってしまう。
残り3日の激務を残し、緊急入院するも症状は悪化……予定日より6週前、産休の開始予定日に緊急帝王切開で長男を授かった。
早産なのはもちろんのこと、1.600gの低出生体重であった。

私自身、手術後しばらく意識混濁と高血圧が続いた。
当日の記憶は、面会時間終了間際に目が覚め、横にいた主人と話そうとしたら、身体がガクガク震えだしたことだ。

「看護師さんに、シバリング起きてるから身体を温めたいって伝えて……」
それだけ主人に伝えて記憶はなくなった。

夜中時折目が覚めた。
苦しくて、喉が乾いて、辛かった。
暗闇の中、年配の看護師さんが、そっとナースコールを握らせ手を包んでくれ、安心して嬉しかった。

それが産後当日の記憶。

回復まで、数日を要した。
胸水が溜まり、レントゲン室への移動で車椅子から起立する際に、激しい立ちくらみで放射線技師に倒れ込んだ。

NICUにいる赤ちゃんに会いたい、でもなかなか私の体調が安定しないので許可がおりない。

結局、赤ちゃんより先には退院できたものの、赤ちゃんは体重が軽いためさらに1ヶ月程入院した。


健康なつもりだけど、私はお腹で赤ちゃんを上手く育てられない。


それだけは強く認識した。



それから1年経ち、闘病中の母の願いもあり、そろそろ2人目を考えようと思った。

もし同じことを繰り返しても、日本の医療なら母子ともに無事に生きていられる!


まもなく2人目を妊娠した。
号泣ばかりでとにかく手のかかる1人目が大変で、正直お腹の赤ちゃんどころではなかった。
1人目の卒乳……
2時間以上まとめて寝たい……
悪阻がきつい……

そんな不安定な状況で、母が他界した。

最後に母の口腔ケアを行ない、葬儀を終えると、私も倒れた。まさに枯れる程涙を流し、気持ちが悪くなって点滴を頼んだ。
終盤に差し掛かっていた悪阻が悪化し、ベットから起き上がれなくなった。

そんな中、夜遅くに帰ってくる主人と1人目は、なんとか生き抜いてくれた。
キムチ味のカップラーメンを1人目とともにすする主人が、「何食べても死にやしないんだから」と言っていることを内心ストレスに感じながら、その時は主人の存在が救いだった。

けれど主人はアルコールに溺れていく。
私は子どもと食べる食事をそれなりに意識しながらも、手軽なサンドイッチを買い、菓子でのストレス発散を続けていた。

仕事も調整していたので、自分の時間もあった。とにかく身体が辛くて、職場の近くの整骨院に通い始めた。
それが良かった。
自分の身体の問題点と向き合うキッカケとなり、プロのメインテナンスもあり、1人目で深刻だったむくみも起きなかった。

計画帝王切開38週、母体の問題はなく、無事に2人目を授かった。

ただ、2人目もやはり小さかった。2.300gの低出生体重児。

やっぱり私は赤ちゃんをお腹の中で育てるのが苦手だ。


でもその時は、これ以上子どもは作らないつもりだった。
我が家には大人手が足りない。
育児だけでもう限界だ。
悪阻だって、帝王切開だって、怖いし痛い。
もう絶対嫌だ。


とにかく乳幼児2人の子育ては、本当に過酷だった。1人目の激しい赤ちゃん帰りと、終わらない癇癪。心穏やかに赤ちゃんのお世話なんか、全くできなかった。



私は度々発狂し、1人目を怒鳴ったり投げ飛ばしたりした。
主人も完全に、アルコール依存症になっていた。 

乳幼児の育児が安定するまでは、生き地獄だ……早く成長して……


そう諦めていた矢先、我が家は激変した。


私がこれが答えだと思える食の学びにやっと出逢い、主人が理解してくれた。
食を変えると、子ども達も、私達も激変した。

ライフスタイルも、個々の性格も、働き方も、考え方も。

主人から、「今やっていることをとにかく発信して」と言われ、下手なInstagramとnoteの投稿が始まった。

あピマさんというキャラも誕生した(今はお休みしているようだ)。



この顔で撮られたら、辛くない?


背、比べ?


つづく


食問題、環境問題を改善し、子ども達に明るい未来を提供したいと思います。未熟ですがその為の発信ですので、現時点で投稿を有料にするつもりはありません。もしサポートいただけるのであれば夢の実現に全力で活かさせていただきます。