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補聴器ユーザーになるまで

こんにちは。新年も明けて10日が過ぎようとしています(早い!)。そろそろ「明けましておめでとうございます」も言い飽きた頃ではないかと思います。昨年はあまりNoteを書くことが出来ていなかったこともあり、書きたいテーマはぼちぼちあったりします。本日はそのテーマの一つ「補聴器体験」について書きたいと思います。

補聴器つけてるって、ちょっぴり言いづらい気がするのはなぜ?

詳しい経緯などはここから書いていくとしてですね、私自身、昨年2022年に補聴器ユーザーになりました。が、補聴器ユーザーになって思うことが一つあります。「補聴器つけているんですよね~」と気軽に言いづらいなぁーということです。

実際付けてみてわかるのですが、ある種眼鏡と並列のデバイスです。なのに、実際「補聴器つけているんですよね~」と言うと相手に引かれることが稀にあったりするのです。あれはなぜなんでしょうね?

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多くの場合は「へ~そうなんだ。どうなの?感じは?本当に聞こえやすくなるわけ?」みたいに、新種のデバイスを囲んでトークが広がるのですが、空気的にちょっと固まるときもあると言うか「あっ…そうだったんですね…(しーん)」みたいになぜか気まずい空気に変わるというか…別にカミングアウトしてるわけでもないのですが、不思議ですね。

爆音が好きだったんだ

詳しくは自己紹介をご覧いただければと思うのですが、昔から音楽が好きで聴くも、弾くも、結構ジャンル関係なしに色々やってみたりしています。

そのためどこに行くにもウォークマン(死語?)を持ち歩き、大音量で好きな音楽を聴き倒すのが大好きでした。(時に電車の中で「うるせー」と怒られたりもありましたが…)

家族からは「そんな音で聞いとったらホンマに耳悪なんでー」とよく言われていました。ですが、当時の私はその意味がまったく分かっておらず「爆音やないと気持ちよくない」とガンガン脳に刺激を与える生活をしていました。

また、当時カラオケやクラブに行くのも好きだったので、お酒を楽しみながらスピーカーの前で陶酔する、踊る、絶叫するのも好きだったなと(黒歴史?)…思いだしました。が、楽しさの代償は後からやって来ます…。人生ってきちんとその時のキャパシティを超えた代償がやってくる、本当によくできているなと痛感します。

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難聴がもたらしたもの

20代のころは、目と耳はどれだけ酷使しても平気な器官だと信じて疑わなかったところがありました(本当にそう思っていました)。ですが、、、常時PCを使う仕事柄もあり、目は早々に眼鏡が不可欠なくらいに視力が落ちてしまいました。まだこの頃聴力に関してはなんの不安もなかったのですが…

30代中盤になってきた頃、低音でぼそぼそっと話す人の声が全く聞こえない現象にぶち当たりました。この時は世間話のレベルだったので、相手の表情と断片的に聞こえる言葉で相槌を合わせたり、言葉尻をとって話したりするような対応で何とか行けていましたが、もちろん聴力はビジネスの場でも必須になるものなので、聴力低下の影響はすぐに仕事にもやってきました。

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少人数の打ち合わせや商談の際は、そこまで大きなテーブルでないケースが多かったので何とかやり切れていましたが、少し人数が多くなったり、部屋が広くなったりするともうダメです。いくら全集中して聞こうとしても聞きとれないのです。

クライアントからいただく質問の内容云々より、そもそも聞こえないのですね。。。時によっては、メンバーに事情を話しておき同席時に通訳(日本語→日本語)をしてもらったりしていました。相手も1度くらいであれば言い直してくれるのですが、言い直していただいても聞こえない…それでムッとされてしまうこともありました。

幸い良いクライアントと巡り合うことが非常に多かっただけに、自分が聞こえないことで気を使わせてしまうのが常々申し訳ない気持ちになる頻度が増えてきたのもこの頃でした。

そしてこの頃から会社で受ける健康診断の聴力検査でも要初見から要再検査、精密検査…と結果もどんどん下降線をたどるようになっていきました。

落ちていくのを眺めているだけ

そして40代に差し掛かり、自然に良くなる望みは自分の中でほぼ絶たれました。改めて健康診断以外で重かった足を医療機関に向け、医師に相談することにしました。ですが…「会社の健康診断の聴力検査は、実は音の帯域が狭いのです。あなたを見る感じ、多少難聴は入っていますが問題ありませんよ。特に鼓膜が破れているわけでもないですし。少し様子を見て、ダメだったらまた来てください。」と、思いもよらぬ「無問題」でした。

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けれど、やはり症状が良くなることはなく、相変わらず健康診断の聴力検査ではOUTな結果となり、仕事以外のシーンにも、日常生活にも支障が出てくるようになり、申し訳なさからいつしか私自身「人とのコミュニケーションを回避する」癖がついてしまっていたことは否定できなかったと思います。

「本当によくないな」と実感しながらも、なかなかこう自分自身が感じている「聞こえないよ」という感覚を言葉にして相手に的確に伝えるのってかなり難しいのです。

例えば、医師に誘導してもらいながら話すのであれば行けるのかもしれませんが「どうしました?」と問われてオープンクエスチョンに回答していくのは難しさが伴うものでもありました。

本当、過去の自分を恨む以外に、どうしたらいいのか正直分からなかったです。

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情報があふれかえっている現代ですが、逆にいうと初見の分野において「自分がこの情報が必要なんだ」というドンピシャなものを探し当てることもまた難しい気がしました。つまりUnknown Unknows(わからないことがわかっていない)状態でした。

試行錯誤

とはいえ歩みを止めてしまうとそのままになってしまい、私人としても公人としても自ら孤立を選んで進むような選択が連続してやってくることはわかっていました。

そこからというもの、ネットで「難聴」「補聴器」「耳が聞こえない」など検索して、まず自分が何に困っているのか、その解決の糸口はどこにありそうなのか?を探ることから始めました。その中で、聴力を拡張するデバイスも補聴器だけではなく、集音器というものもあるということがわかりました。(補聴器もこの時は詳しく分かっておらず、恥ずかしながら耳と同じくらいゴツく、ノイズがひどく頭痛が併発する、、、くらいのイメージしかもっていなかったのです。)

そこでまず試しに購入してみたのがOlive Smart Earでした。

いったんこれを試してみてダメだったら、また考えようという気持ちでした。

確かに聞こえやすくはなり、限定的な場面では有効な手段となったのですが、片耳仕様だったこともあり入ってくる情報を脳で上手く処理できない状態になりました。(あくまで個人的な使用感です。)また、モードが色々あり逆に近くでのひそひそ話が全然聞こえず…みたいなこともありました。うまく使いこなせなかっただけなのかもしれませんが…。

これが一昨年(2021年)の話でした。

背中を押したのは、井上順さんの言葉だった。

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試行錯誤してみたものの、個人的にはフィットするソリューションにはならず「やはり補聴器なのかな…」と思うようになりました。

ですが皆さんご存じの通り、補聴器はそこそこいいお値段がします。Olive Smart Earをまずは試せたのも、この商品は2~3万で購入が出来て、備わっている機能から見ると非常にリーズナブルなプロダクトだったからです。

補聴器、何となくイメージはありましたが、情報収集をしていく中で、井上順さんの以下の記事を読んでめちゃくちゃ気持ちがわかりました。まさに自分の気持ちを代弁してもらったと言えましたし、数えきれないくらい同じ気持ちになったことがありました。

その中で以下のコメントが本当に印象に残っています。

若い頃からミュージシャンとしてやってきたわけですから、大事な「音」が聞き取りづらくなる難聴と言われてショックではありました。しかし、それよりも「申し訳なさ」のほうが大きかった。僕と打ち合わせする人は大変だろうなとか、何気ない会話でもそこに僕が加わることでみなさんに気を使わせてしまっているんだろうなとか。

 気が付くと、「フットワークの軽さ×人付き合いの良さ×人懐っこさ」で売ってきたこの僕が人を避けるようになっていました。もちろん僕の性格が変わったわけではありません。でも、何回も聞き直すのは失礼だという気持ちが強くなっていって、知らない間に人と接することから逃げていた。これって僕だけではなく、難聴になった人の多くに共通することなんです。話すのがおっくうになって、外に出る機会も減ってしまう。

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05141056/?all=1

決して人との会話そのものが嫌いになるわけじゃないんです。でも、本当は聞こえていないのに適当に相槌を打ったり、相手が一生懸命喋ってくれているのにそれを理解できていない自分の行為は、犯罪に近いんじゃないかとさえ思えてしまう。せっかくお仕事をいただいているのに、実はよく聞こえていないせいで迷惑をかけるのは詐欺みたいなものじゃないかと。

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05141056/?all=1&page=2

泣きはしませんでしたが「心の荷物を降ろしてもいいんだよ」と語りかけてもらったような気がしましたね…。そして、本当に何も知らなかったのですが、同時に補聴器ってレンタルできることを知ったんですね。

しかも眼鏡屋さんで。その時に心は決まり、すぐに近所にあったメガネの愛眼に相談に足を運びました。

そこで、これまでの経緯(上述)を話し補聴器に対して持っている私のイメージも話し相談に乗ってもらいました。応対してくれた方はかなりキャリアもお持ちの方で事例を織り交ぜながら補聴器のことを教えてくれました。

そして、実際の仕事で向かう現場の事なども話して、いくつか補聴器を試させてもらうことになりました。

元々持っていた補聴器の大きい、頭痛が併発する、みたいなイメージはかなりの割合で古い補聴器のイメージであることもわかりました。実際付けているかどうかもわからないくらい小さいサイズのものであったり、イヤホンとぱっと見変わらない外見のものであったり、かなり昔から「補聴器=言いづらい、つけていると恥ずかしい」イメージがあることは私よりもよくご理解していらっしゃって、それらのイメージを払拭するかのような機種を色々と教えてもらうことができました。

そして実際、レンタルした補聴器をつけ、出張先でも仕事をしてみましたが言葉の聞こえ方が全然違いましたし、会話が出来るのでお客さんとも仲良くなる場面が圧倒的に多かったです。

会話が出来ずに起きる損失のことを考えると、これまでの悩みを解決をできるデバイスがあるなら買わない手はないだろうと感じました。

そして補聴器ユーザーになることを決めた

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実際の補聴器体験を経て、結論は決まっていました。

ただそこそこいいお値段がするのは変わりなく、どの辺のものにするかは思案のしどころではありました。

補聴器は、1つのシリーズの中にいくつかのランクがあるのですがわかりやすく言うと雑音と人の声をより分ける性能が違っています。小さな機械の中にパソコンのCPUみたいな機械が入っており、CPUの性能が高ければ処理能力が高く、その分お値段も上がる、という感じになります。

ざっくり20万円~80万円くらいのレンジになります。(詳細は私自身よく理解できていないので割愛しますが医療制度を活用するともう少し安く購入することが出来ます)

私は難聴ではあったようなのですがそこまで重度ではなく、軽度の難聴であったためそこまで上のランクの補聴器を奨められることはありませんでしたし、実際私自身もそこまで予算を出せるわけでもなかったのでその辺はありがたかったです。

実は補聴器市場は欧州が結構進んでいるらしく、SIGNIA、FONUCなどが主要メーカーだと伺いました。(国内にも沢山あるようですが…)実際購入したのはSIGNIAのモデルでした。(アプリとBluetoothで連携しリモコン的な役割で使うこともでき指向性の調節も可能です。)

その後の補聴器ユーザー体験

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ここまで、補聴器に関する予期的UX、レンタルによる瞬間的UX、継続使用によるエピソード的UX、をつらつらと書かせていただきました。累積的UXとしてはやはり「買ってよかった」というのが最初にやって来ます。

まだまだ使い慣れていないところもあり、シーンによる使い分けであったり音の設定など自分自身に対する最適なチューニングが見つけられていないところもありますが聞こえなくて思い悩んでいた根本の課題は解決できたと思っています。まずそもそもを払拭できたのは大きいです。

あとは、非常に小さいデバイスですので紛失に気を付けなければということであったり、利用状況により即座にデバイスを適応させたいみたいな細かいところはありますが、購入店でメンテナンスは継続的に無料で行ってくれるため、気になることには相談に乗ってもらいながら、デバイスの調整もしてもらうことが出来ます。(またメガネ屋さんなので、メガネのクリーニングもしてくれるところがありがたい!)

上記のことを踏まえると、補聴器に対し支払うコストは決して高すぎるとは思いません。そして、今年も堂々と「補聴器つけてるんですよね~、いいですよ~」とあらゆるシーンで話そうと思います。

今年もよろしくお願いします!

2023年のファーストエントリー、ここまでお読みいただき誠にありがとうございました!今後もいろいろな話題を書いていこうと思います!


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