吾輩は童貞である。魔法使いになる気はまだ無い。㊴最終章1・最後の闇

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終わりを記す時が来た。
これは魔法使い化の未来に抗う、アラサー童貞の記録である。


筆者スペック

身長:160代後半
体型:やや細め
学歴:私立文系
職業:税金関係
趣味:映画鑑賞(ハリウッドからクソ映画まで)
嫌いなマチアプ系youtuber:女性マチアプyoutuberほぼ全員

登場人物紹介

リターニー(31)
俺の彼女。

”他人の童貞を弄る”ということ

全体的な傾向として、処女よりも童貞は軽蔑の対象となりやすい。

”一度も攻め込まれたことのない城””一度も攻めたことのない兵士”という比喩で比較された場合、字面では後者の方が弱々しい印象を受ける。

性を知る思春期。無邪気に遊んでいればよかった頃とは違い、大人の世界の扉が開け放たれ、複雑で、グロテスクで、混沌とした知識を手にする頃から。扉の中に踏み入ったものは、ただそれだけで勇者のレッテルを貼られ、逆に扉に入れないものは、ただそれだけで臆病者のレッテルを貼られる。

生物的にも、女は子供を産む側、男は子供を産ませる側と、男の方が積極的に動かなければならないのだろう。ゆえに、”それ”ができない・したことがない男というのは、種を残せない弱者であるという認識を本能的に持つのだろう。

事実として俺は童貞であり、現実として臆病者であった。
ならば、真実として弱者だと思われても仕方がないのかもしれない。

それがどうした?

性経験の多寡…とりわけ、非童貞・非処女が他人の童貞を弄るということが、どれほど残酷なことか知らないのか。(無論、それさえ許せるような友人関係が構築されているのなら別の話である)

弄られた童貞は、往々にして反撃の機会と術を持たない。大体の場合、何を言おうが何も知らぬ者の負け惜しみとして捉えられるからだ。対岸からの砲撃に対して、ただ無手で耐えるしかない。

自己肯定感が擦り減る。”俺は生物レベルで弱者なのだ”という性行為をする以外では決して覆せない自己認識が、ワイン樽を汚す一滴の泥水のように俺の心に染み込んでくる。

それをアラサーになってもずっとやられていたのだから、俺の樽はすっかりただの泥水に変わってしまった。

樽の中身を泥水からワインに変えるのは、途方もない労力が必要だ。

…分かるか!?これは怒りだ!!理不尽に対する憤激だ!!

虐げられたものたちの、積年の怨嗟と憎悪!!

誰も言葉にできないのなら、俺が代わりに叫んでやる!!

ふざけるんじゃねえ!!

望んでも”それ”ができないものの気持ちを!!

たまたま機会と環境に恵まれただけのやつに!!

踏みにじる資格などありはしない!!

童貞弄りは魂の殺人だ!!

人の精神を闇に落として、当の本人はのうのうと生を…性を謳歌している。そんな暴虐が、不条理が、許されてたまるものか!!

…ただ、もっと残酷なことに、殺人者たちに対する報復の手段はない。たとえインセルを標榜し、無敵の人と化し奴らを地獄に引きずりこんだとして、奴らが性を謳歌したという事実は消えることはない。より己らが惨めな存在であるということが、世間に広まっていくだけだ。

なら、どうすれば闇を祓うことができるのか。

己らと殺人者たちの差を、埋める以外にないと俺は思う。

つまるところ、自分自身も童貞をやめるのだ。

それが一番難しい、という指摘は甘んじて受け入れよう。俺もそう思っている。

ただ、向き合うべき痛みと向き合い、見るべき現実から目を逸らさずに、一歩一歩地獄をひた進み、徐々に行動レベルを上げていく。そういった終わりの見えない旅路こそが、唯一己を己で救う方法に他ならないと俺は思う。

俺たちは”女”ではない。

池の鯉のように口を開けて餌を待っていても、何も結果は得られない。

誰もひっぱり上げてなどくれない。

なら、自ら這い上がるしかない。

屈辱と苦痛を味わいながら、諦観と絶望を抱えながら、徒労感に襲われながら。

それでも、いつか来る”その時”を信じて。

Iの愛と性のsay

リターニーと付き合いだしてしばらく経った頃。

元々会う予定だった日に加え、さらに前日に会うことになった。彼女はほぼ残業がなく、俺とは電車に揺られれば会えなくもない程度の距離であった。すると、彼女は「HPが減ったので充電したい」と言い、俺の下に来てくれることになったのだ。

リターニー「ケツアナゴ(筆者)くん、○○って知ってる?私行ったことないんだよね。行ってみたいな~!」

俺「…ファッ!?」

なんと、あのマジで誰もが知っている焼鳥系居酒屋チェーンに行ったことがなく、そこに行きたいと言い出したのだ。

中学から大学までをアメリカで過ごし、そしてコロナ禍、ほぼリモートで外資勤めとあらば、確かにそうなるのも自然な流れなのかもしれないが…。

もちろん、これまでの地獄行脚により財布どころか口座が爆発しかけている俺にとっては、低コストで大きなパフォーマンスが出せるに越したことはないので、彼女の提案を快諾した。

……

………

仕切りで疑似的な個室のようになった。隣にあるのは入口とレジだけなので、事実上俺達二人を見ているのは誰もいない。

しかし、それでもここには他人がいる。

リ「どうしよう、ここのワイン強いね」

俺「強いっていうか…雑なアルコールというか…」

リ「ん~酔いが回ってきちゃったな…。ね、隣行ってもいい?」

俺「…ダメだよ。しないよ。ここでは」

リ「うーん…キスしたい…」

嬉しいような困ったような、リターニーはただでさえ甘えたなのに、酔うとそれが加速するようなのである。

複雑な心境であった。俺だって大きい赤ちゃんになってイチャつきたい気持ちはあるが、時と場合というものがある。曰く、「アメリカ人は普通に人前でイチャついていた」ということだが、俺達は日本人で、ここは日本である。そして、俺には公衆の面前で過剰にベタベタしているカップルを軽蔑していた過去がある。仮にここがアメリカであったとしても、俺は嫌がったであろうことは想像に難くない。

それと、もう一つ。

俺の脳内は、それどころではなかったのである。

──ヤるのか?この後?

性欲というよりも、緊張で思考が埋め尽くされていた。

──どう誘えばいい?どこでその話をすればいい?どう切り出せばいい?直球で行けばいいのか?婉曲的な表現の方がいいのか?というか誘っていいのか?彼女はその気で今日来ているのか?

そもそもあまり飲んでいないということもあるが、俺はアルコールを一瞬で分解してしまい、まったく酔うことができなかった。彼女のように欲求に正直になれなかった。

俺は童貞だ。ヤれるのなら、もちろんヤりたいとも。

だが、彼女は性の対象である以上に、愛の対象でもある。

好きなのだ。好きになってしまったのだ。純粋に。

話をしているだけで楽しい。話を聞いているだけで嬉しい。手を繋ぐだけで心まで繋がっているようだ。俺の全てを肯定してくれて、俺の一方的なリードを良しとせず、したいことを言ってくれて、行きたいところを言ってくれる。失礼な話だが、見た目の好みを追求しようとするのなら、彼女以上の外見の持ち主はそれこそ掃いて捨てるほどいるのだろう。しかし、中身となるとそうはいまい。これほど”良い女”が他にいるのだろうか?

──いいものか?俺は今から、そんな彼女を純粋な性の捌け口にしようとしていないか?

考えなくてもいいことを考える。考えすぎてしまう。ゆえに俺はこれまで童貞なのだ。

後先考えずに行動できる年齢ではもうなくなっている。最初の一歩が踏み出せず、30年近く同じ場所に留まっていると、歩くことそれ自体に怖れが生じてしまうのだ。

そうしているうちに、時間が来て、店員さんに退店を促された。

お会計を済ませる。

──どうする?

彼女と手を繋いでドアの外へ。

──どうする?

エレベーターで二人きり。

──俺は、どうすればいい?

残り一歩を阻むもの

言うべきことを何も言えないまま、エレベーターの扉が開いた。

──…。

外に出る。夜になって若干涼しくなったとはいえ、湿気と熱気で萎えそうになる。…リターニーの汗と一緒に、アルコールは流れていかないらしい。

リターニー「まだ~?」

俺「まだ。みんな見ちゃうよ」

かかり気味のリターニーをなんとか制しながら(根本的に人前でイチャつくのが、俺はあまり好きではない)、思考時間を稼ぎ、人気のないところを探すためにただ歩く。”そういうこと”がしたいと伝えるにも、童貞の俺は他人の存在を排したかったのだ。

そんなところなどない。

ここは繁華街だ。どこまで行っても人、人、人。

ならば俺の部屋まで行くか?否、否、否。そういう気分ではない。どうせならセ○○スをするためだけの場所へ行きたい。

既に後輩くんからホテルの位置は教えてもらっていた。あとはただリターニーに、”行きたい”と己の意志を伝えるだけでいい。

──それだけのはずなのに…なぜだ…なぜそれが言い出せない…!!

人目を気にする。それはそうだ。キスをするなら都合の良いキス・スポットにしたい。それもそうだ。

否。それらは全て単なる言い訳だ。

童貞卒業を目前にして、その残り一歩を阻むもの。

最後の闇が俺に立ちはだかる。

──本当に受け入れてもらえるのか…?

油をさす機会もなく、俺の勇気の歯車は軋み、錆びついたままだ。今まではそれを常軌を逸した執念で無理矢理動かし続けていただけでしかなく、本質的には壊れたパーツであることに変わりはない。

リターニーはしきりにハグとキスを要求する。だが、あそこまでスキンシップを俺に迫ってきている割には、”その先”を言うことはない。そんなものは当たり前のことなのだが…。ここまで来ても成功…もとい、性交の確信が持てないと”本当の”勇気が出せず、行動に移せないという、アラサー童貞がアラサー童貞であるがゆえの、俺を童貞として縛り付けている闇。その闇が、俺を覆い尽くそうとしている。

なんとかして人が少ないエリアまでやってきた。

だが、やはり人の目を完全に避けるまでには至らない。

俺「…」

リ「ねえ…」

リターニーが焦れている。猶予はない。

──…。

──……。

──………。

クールビズのくたびれたオッサンが俺達の前を足早に通り過ぎた。

──シたい…。

──けど…身体目的だとも思われたくない…。

──性と愛の欲求は…女の子にとってもセットなのか…?

考える。考える。考える。

刹那の空隙。それを強引に久遠へ引き伸ばして、考えただけでは出るはずのない答えを、俺は無為に考え続ける。

彼女の目線を避けるように、スマホに目をやった。地図アプリを開くと、後輩くんの教えてくれたホテル街から逆に遠ざかっていることに気づいた。

──そうか。怖いんだな。俺は。

あれほど痛みと向き合え、現実から逃げるなと何度も何度も書き記していたにも関わらず、当の本人である俺は未だ痛みに怯えていた。

麻痺していた心が動き始め、再び鋭敏になってしまった俺の知覚と感情は、新たなる”初めて”に二の足を踏んでいる。

この一歩を踏み出せなければ、俺に”この先”は訪れないというのに。

鈍色の星、暗夜の空へ

唐突に、父親の言葉を思い出した。

精神を病んで休職し、部屋に引きこもっていた俺を飯に連れ出してくれた時に話していた時のことだ。

俺『なあ…生きるってなんだ…?なんのために俺は…』

父『…』

俺『お父さんは、どうしてお母さんと結婚したんだ…?』

父『…』

俺『…』

父『…うーん、勢い

一瞬、自分が鬱状態であることを忘れかけた。

俺『ええ…』

父『まあ、お父さんって偏屈だからさ。こんなのに付き合ってくれる人を逃したら次は無いだろうって気持ちもあったさ』

俺『じゃあ、どうして俺を作ったんだよ?』

個室とは言え何を聞いてるんだこのボケは。

父『…』

俺『…』

父『…うーん、それも勢いだな』

俺『ええ…』

その勢いで息子に金銭的な不自由をさせず、奨学金無しで大学まで行かせているのだから大したものである。

父『というか冷静になったら結婚も子作りもやってらんないよ。ケツアナゴお前、あれこれやる前に考えすぎなんだよ。世の中には理屈抜きの勢いが必要なことが沢山あるんだ。今はゆっくり休んで、療養すべきだと思うけど…いつか自分に興味のあることや、できそうなことが出てきた時は、あんまり考えずにまずやってみてもいいんじゃないか。その責任さえ放棄しないのなら、お父さんはそれを肯定する。焦るなよ。人生は長い』

父はきっと、”そういう意味”で言ったわけではなかったのだろうが。

今の俺に必要なのは、その”勢い”だったのだ。

……

………

人もまばらに存在する。

視界の端から歩いてくる人が見える。

このまま何かをしようとすれば、誰かしらの目には入る。

恋愛は傍からみれば誰も彼も等しく馬鹿馬鹿しく、恥ずかしいものばかりだ。

それは既に分かっていたはずだ。しかし、付き合う前のドキドキに浮かされていたあの時とは違って、俺には失うものがあった。

無限に思えた刹那でも、実態はただの僅かな猶予にすぎない。

俺は覚悟を決めた。

──もういい、行ってしまえ!!

ついに頭の中で渦巻いていた、全ての思考を取り払ったのである。

リ「…!」

今度は迫られる前に、自分からリターニーの唇を塞いだ。

甘い、甘い時間。夏の熱気と湿気、それとお互いの体温にあてられ、俺達は世界から隔絶された。

俺「…」

リ「…」

俺「我慢の限界だ。俺はリターニーと、キス以上のことをしたい」

リ「…」

俺「だから…誰にも見られないところに行こう。二人っきりになりたい。二人っきりでいっぱい気持ちよくなりたい。俺は今まで誰ともそういうことをしたことがなかったけれど、リターニーとなら…」

リターニーは、嬉しいような不安なような、複雑な表情を見せる。

リ「本当に初めてが私でいいの…?」

俺「君じゃなきゃ嫌なんだ」

リ「綺麗な身体じゃないよ…スタイルもよくないし…」

俺「そんなことは関係ない」

リ「朝起きたらいなくなってたりしない…?」

俺「どこにもいかないよ。俺が一緒にいたいんだもの」

リ「うん…私も一緒にいたい…」

俺とリターニーは、隔絶した世界に閉じこもるように、お互いの唇を重ね合わせる。

職場のA子に童貞を弄られてから、実に595日。

今度こそ、闇は完全に討ち祓われた。

これは魔法使い化の未来に抗う、アラサー童貞の記録である。


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