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もしもしここは文字の国

ユイは文字の国の人です。
小さい頃から暇さえあれば本を広げて過ごしていました。
ユイは目に見えないことを言葉にするのが大好きです。好きな話はもっぱら人の「気持ち」の話。
本さえあれば、ユイは世界中を飛んで回ることができます。
本に書いてあるので、ユイはいろんなところに、いろんな人が存在していることを知っています。

ヘーゼルは自然の国の人です。
木やきれいな水がたくさんある豊かな山で動物たちと共に生まれ育ちました。
ヘーゼルは生まれ育った土地を深く愛し、身の回りのことに精通しています。
食べれるきのこも、おいしい草も、魚や動物の住処も、何でも知っています。
ただ、ヘーゼルは文字を知りません。自然の中に、文字はないからです。


自分にないものを持っている二人は惹かれ合い、そしてユイは、恋に落ちました。

ユイはヘーゼルの自意識のなさに度肝を抜かれました。
ヘーゼルは人と自分を比べたりしません。周りに比較できるほどの量の人間がいなかったからです。
嫉妬も憎しみも、劣等感もプライドも、人間が当然持っているとユイが思い込んでいたものをヘーゼルは持ち合わせていませんでした。

ヘーゼルの時間は誰に急かされるわけでもなくゆっくり流れているので、いつでも穏やかでとても落ち着いています。

それは、ユイからしたらあり得ないことでした。
ユイはいじわるな質問をいくつかして、ヘーゼルのドロドロした感情を探し当てようと躍起になりました。しかし、いくらヘーゼルの心を掘り起こそうともそれらはついぞ出てこなかったのでした。



ある日二人で散歩をしていたら、ヘーゼルが生えていた花をちぎり、ユイに渡しました。

「僕の一番好きな花だよ。ユイにあげるね」

ユイは小さな花を受け取って、その花びらを目でなぞり、指で優しく撫でました。

好きな人がくれる一輪の花が、何と嬉しかったことでしょう。
それは、今まで聞いたどんな褒め言葉よりも、ユイの心を揺らしました。

ユイはヘーゼルを訪ねて、よく自然の国に遊びに行きました。
人以外のことを考える「余白」の時間をユイは愛しました。
ヘーゼルと一緒にいると、野菜も果物も川も山もユイにやさしくしてくれました。

事件はヘーゼルがユイを訪ねて初めて文字の国に行った時に起こりました。

ユイはヘーゼルを歓迎して家族や友人を招いてささやかなパーティーを開きました。
文字の国は人間が作った国です。人間が自分たちの都合で作った国です。
人間が集まると、空気というものが生まれます。こういう話題や発言は避けた方がいい、とかこの中で目上の立場はこの人だから、気を遣ったほうがいい、とかそういうものは、肌身で感じるもので誰もいちいち言葉で確認を取りません。

ヘーゼルはその「空気」の存在に気が付きませんでした。
ヘーゼルが気が付いていないことを、ヘーゼル以外のみんなが気が付いていました。
ユイがみんなに知ってほしいと思っていたヘーゼルの心根のやさしさは、誰にも伝わりませんでした。
やさしさは、マナーや礼節の上に成り立つものだからです。

困ったのはユイでした。
ヘーゼルが自然の国の住民であることをユイは誰にも説明していませんでした。ヘーゼルだって姿形は人間です。黙っていればヘーゼルだって文字の国の住人に見えるにちがいないとユイは思っていたのです。
ユイは、自分が無意識のうちに「私の国は自然の国より格上であると思っていた」自分を知りました。


ユイは次の日、お日様より早く起きて神さまに謝りに行きました。
自然の国と、ヘーゼルをいつのまにか見下してくいた自分を恥じたのです。


神さま、ちっぽけな私のことをどうかお許しください。
上とか下とか思っていたのは私が未熟な証です。世界に上も下もありません。
自然を第一に思えるヘーゼルが大好きだし、目に見えないものを文字にする私の国も大好きです。
間違っていたのは私です。
私たち二人をどうか引き裂かないでください。


神さまに謝った帰り道、ユイにはもうヘーゼルのことを恥じる気持ちはありませんでした。
ヘーゼルは、文字の国のことを、私たちのことを理解できなくてもいいと心から思える気持ちになったからです。
まぎれもなく理解できないヘーゼルのことを、ユイは愛しているのですから。


ヘーゼルの家までの道のりを自分のペースでゆっくりと歩きます。



すると、なんということでしょう。

ヘーゼルの家の周りに、いつかユイがヘーゼルから受け取ったあの花が咲き乱れているではありませんか。

ヘーゼルは家の扉の前でユイに手を振りました。

「おかしいな。今日はやけに花の機嫌がいいんだ。ユイが来たからかな?」

ヘーゼルは少し恥ずかしそうにいいました。

ユイは「なんでこの花を私にくれたの」と訊ねました。
本当はなぜ私のことを好きなのか聞いてみたかったのですが、ユイは照れて言葉を変えてしまいました。

「なぜって」ヘーゼルは考え込みました。
ヘーゼルは人を形容する言葉は知りません。人を形容する言葉は、人を区別する言葉は、自然の国では必要ないからです。
つまり、ユイが可愛いから、とか優しいから、とか好きだから、とも多分言いません。


「一緒に、ぼくの家まで山を登ってきてくれたからかな」とヘーゼルはつぶやきました。

「汗をかいても、泣き言いわず、しんどい時は二人で空を見上げて、一歩一歩歩いてくれたからかな」とヘーゼルは言いました。

「ユイと、ずっと一緒に山を登ってみたいな」

「だめかな」

ヘーゼルは少し自信なさげにユイの方を見ました。

ヘーゼルとユイの周りで花が笑っていました。

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