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仙人風呂で振り返る2022

和歌山県は紀南の川湯温泉という場所に、このシーズンだけ川を一部せき止めて大きな露天風呂をつくる、その名も「仙人風呂」がオープンしている。

水着、湯浴みを着て温泉に入る混浴スタイル。野趣あふれる露天風呂で、「ここでしか味わえない開放感」がウリ。


12月30日 AM7:00

川のギリギリまで近付き、さっとダウンを脱ぎ、あらかじめ着ていたビキニで急いで温泉に浸かる。冷えていたつま先が痺れて、じんわり感覚を取り戻す。
昨日も着たのでビジョビジョに濡れている白のラッシュガードを袋から取り出し、お湯に沈めて、
温まったらお湯に潜ったままモゾモゾと羽織った。

朝だからか若者はおらず、ちらほらいる客からなんとなく視線を感じる。
男性諸君、女はあなた方の視線に常に気付いていますよ、気付かないフリしているだけで。
胸見てる時も、脚見てる時も、ケツ見てる時もわかってますよ、気付いてないフリしてるだけで。

私は見るなとは言わん。そこまで鬼じゃない。
私だって女の子の身体を見るとはなしに見てることあるから、目がいっちゃうのはある程度は仕方ないことだと思う。

私が嫌なのは、「見られたくないならビキニ着るな」、「触られたくないなら電車でミニスカート履くな」という男が自分を正当化するためだけに女側に罪を擦りつけたクソみたいな暴論と、(じゃあロレックス付けてる人は時計盗まれて当然だし、あなたが財布出してる時はお金ぶん取られて文句ないのよね)

「セクハラを上手にかわせるのも、女の能力のうち」みたいに、
これまた正当化する男本意のくそな理屈が嗚咽するくらいいやなの。

欲望を刺激した側が悪いのでなく、欲望に負けた側が悪いのだ。当たり前でしょ、そんなの。
「私という病」、中村うさぎ、新潮社、2008年、96p



私が林業の就職活動をしていた時、とある地域おこし協力隊の面接で、
「男社会に入るんだから現場のおじさんたちにちょっとセクハラされるくらいの覚悟はしときなさい。あしらい方を身に付けなさい」と中年男性の面接官から吐き捨てられた。

、、は、はぁぁぁぁああ〜?!?!?!?!

なんで?!?!?!?!
お前、、、どした?!?!?!
なんで、私が私のやりたいことをやろうとするだけで、セクハラされるのが前提やねん。
セクハラする側の問題やろがい。

女はセクハラの受け身とれて一人前だ?嘲笑
私のことを、性的に消費したいなら対価払えっつーの。


勝手に人の持ち物を盗っているのに、搾取しているのに、無自覚で、しかも自分を正当化して、
私のせいにして、文句言うとフェミニストだと笑う。

そんなん傷付かんわけないやん。

とはいってもお湯に全身沈めてしまえばこっちのもんである。
誰かに見られているのかもなんて邪推しなくてよい。

田舎だし、お風呂は広いし、人も少ないし、人と距離もとれるし、湯煙であんまり顔も認識できないし、 

何よりあったかいし、気持ちいいし、
温泉大好きだし、全身ぽかぽかしてきたし、
嗚呼!これが人生!
人生さいこう!!極楽!!

しあわせ〜〜〜!!!(さっきまで悪態ついていたことは忘れています)

温泉が湧き出ているので、気泡がポコポコと湧き上がっているのが目で見える。

少し移動すると、温度がまるで違うのでぬるい場所と、熱い場所を移動しながら整うこともできる。

ふつうの温泉と違うのは、お湯の温度がまるで均一ではないところだ。
右手右足、左手左足、お尻ついてるところ、胸のあたり、全部温度がちがう。
まるで均一じゃない。

「あっつ!!!なんなんここ」と笑ったり、適温を求めて彷徨ったり、そういう楽しみ方が仙人風呂の醍醐味である。

自然の世界に直線は存在しないという言葉がある。
真っ直ぐに生えているように見える木が、実は捻れていたり、
山は尾根も谷もあってしわだらけ。
点と点を繋いで物差しをひくのはいつも人間で、本当は自然に直線など存在しない。

それと同じで自然には均一もないらしい。
お湯の温度はムラだらけで、しかもずっと同じところにいても突然熱湯が湧き出してきてちっとも「同じ」状態でいさせてくれない。



2022年、
頑張れた日も、頑張れなかった日もあった。

成長したと思った次の日は、自分の不出来さと未熟さに泣けた。

褒められて嬉しい日もあれば、「こんなこともあんなことも私はちっとも出来てない」と思う日もあった。

毒親生まれアダチル育ちでも、社会に出ていい大人に出会えれば人生は好転すると信じれる日もあれば、
自分の認知の歪みや性格の捻れではこの先何をどうしても絶対にうまくいかないと絶望する日もあった。

生理前は毎月死んでた。記憶がない。

自分のことも好きだったり嫌いだったりした。
エッセーは書ける日もあれば、書けない日もあった。

私はワァワァいうタイプではないので、いちいち周囲にアピールしなかったが、ピタリとも安定しない情緒と一年を過ごした。

ムラがある。当たり前だ。
それが自然なのだ。

今年は正直大変だった。昨年のほうがお気楽だった。

2023年はどんなことが起こるだろう。

誰かとごはん食べて、キャンプして、温泉行って、寝て、仕事して、そしてたまには書こう。


毎日同じじゃなくていい、ムラだらけでいいんだ、人生も自分も。

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