関係性を生む、デザイン。

最近マガジン a quiet dayの製作以外にも北欧のインテリアブランドを日本に展開するためにマーケティングやPRなどの仕事をお手伝いさせていただいて、今までとは少し違う視点で北欧についてよく考えています。

それは日本とは文化や、はたまた人生観までが異なる異国の地で生まれたインテリアプロダクトを日本の人たちに紹介するということなので、そもそも何が北欧デザインたらしめているのかということを滔々と考える日々なのです。ミニマリズムが北欧デザインなのか、北欧のデザイナーがデザインしたら北欧デザインなのか、色々と意見はあるでしょうが、a quiet dayは「時間」と「記憶」の探求を銘打っているところがあるので、そんな視点で今日は考えてみたいと思います。



自分が生まれて物心ついた時からこんなにも家に篭っていることはなかったように思えます。フリーランスで働いている人も、自分もそうなのですが、自宅で仕事をこなすことには慣れていたと思います。けれど周りも同じく、自粛による休業などで今まで息抜きのために行っていたカフェや喫茶店、何か偶発的なモノやコトとの出会いの場であった書店などにも行けないとなると、体を動かすぐらいしか発散できることがなく、少し物足りなさを感じてしまいます。そんな状況にストレスを感じてしまい、外やオフィスで仕事をしていた時よりも疲労感を感じる方も多いのではないのでしょうか。

それとあまり気づかない変化として一人暮らしで生活している人はまた別の話になってくるのですが、家族などと一緒に暮らしている時間も自ずと増えてきて、逆を言えば一人になる時間が減ってしまった方も多いはずです。一緒に暮らすと一緒に過ごすとでは、似ているようでやっぱり物理的に「時間」を共にする「時間」的な感覚は変わってくるのだと思います。



そういう一緒に過ごす「時間」という視点で、北欧を考えてみると、やっぱり冬は家に篭って、誰かと一緒に過ごすという時間が他の季節に比べて圧倒的に長いことが容易にうかがえます。こういったように「家の中で過ごす冬の時間が長いからインテリアデザインが盛んになった」と、いったいこの言葉は誰のお古なんだ?と尋ねたくなるくらい使い古され、結論付けされてしまっているのですが、もしかしたらそこが北欧デザインらしさの源流になってくるのだろうと思います。

一緒に過ごす時間が長いからこそ、いちいち人の一挙手一投足に注意を払っているのでは気が滅入ってしまいそうなのであまり他人に干渉しないこと、適度な相手との距離感を保つこととか、そういう人間性や道徳観の部分が形成されるでしょうし、かといって食事の時にはしっかりと会話やご飯を楽しめるようにと、そこの空間へのこだわりや道具へのクオリティが求められていたりします。現にダイニングテーブルの近くにTVなどが置いてある家庭は圧倒的に少なく、そこは家族やゲストたちと「時間」を共有する空間として形作ることを意識しているみたいです。

こういったように、一緒に過ごさなければならないという条件が、どういったものが必要とされているのかというデザインの哲学の部分となって、共有財としての道具はどうあるべきかと言う視点でデザインが施されていることが北欧デザインたらしめていとも考えることも出来ます。誰かと誰かの間に入るデザイン。それはどちらか一方に偏ることもなく、人と人の間に関係性やある種の物語を生むようなデザインこそが北欧デザインと呼べるのではないのでしょうか。


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