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ある日の、眼科で。

最新号のa quiet dayで取材した松本の犬飼眼鏡枠。
取材の折にオーダーした眼鏡のフレームが自分の手元にようやく届く。オーダーから4ヶ月ほどの間、ずっと待っていたかというと、そういった訳でもなく、なんとなく思い出す程度だったように思う。けれど、実際に手元に突然届くと、なんとも嬉しい気持ちになるものだ。Amazonでワンクリックすれば、次の日に手元に届いてしまうそんな世の中において、自分が買ったものがこんなにありがたみを感じさせてくれるとは、とても貴重な気付きを与えてくれた。



眼鏡のフレームだけでは、目の悪い自分にとっては世界がまるで見えない。
第一、手元にようやく届いたフレームも掛けたのだが、鏡に写る自分の姿すらなんだかぼやけてしまって始末が悪い。急いで「眼鏡」としての機能を付け加えるために、眼科に走り込むのかと思いきや、暫くモノとして眺めていたい気分にも浸りたい気持ちとその時の忙しさの波に呑まれて、そんなことは蚊帳の外へ。



そう眺めていても暫くすれば飽きてしまうものなので、重い腰を上げて眼科へと向かう。待合室には二組の母子(子の方は幼稚園から小学校低学年くらいか)。この二組パッと見ただけでも対照的だからとても興味がそそられる。片方は、二人でケラケラ笑いながらお話しをしており、もう一方は何やら深刻な表情。対照的な二組を見ていると、ありもしない想像が膨らんできてしまう。
年末のほぼ最終日ということもあり、診察中の患者も含めると実際にその眼科には多くの人が訪れていたみたいで、思った以上の待ち時間で暇を持て余してしまい、この想像で少し思考してみようかと考えてみる。



先ほどの深刻な表情を浮かべた親子。どうやら子供の方が、学校の定期検診か何かで引っかかってしまったようで再検査を受けに来ていたよう。視力検査の順番が回ってきて、その子の名前を呼ばれると、それまで黙っていた母が、その子を叱咤するような言葉を投げかけていた。
自分も小さい頃から目が悪かったこともあり、同じ様なシチュエーションも経験がある。だから気持ちがよく分かるのだが、そういった時、子供は母の謎の期待を背負い込んでしまうのだ。
暫くすると、検診を終え肩の荷が降りた子が戻ってくると、その後を追うように検診をした看護師さんが歩いてくるではないか。何事かといった表情で話を聞く母。漏れ聞こえてくる声から察するに、その子は検診中に薄目をして見ていたので正確な視力検診が出来なかったとのことだった。それを聞いた母は、その子を攻めた。




もう一組の母子はというと、窓の外を二人で眺めていた。
その日は大晦日も近くなり、寒さが一層増して北風がとても強く吹いていた。すると子供から「風はどこからやってくるのか?」というなんとも子供らしい質問を母に聞いていた。すると母はその質問には答えずに子に「あなたはどう思うの?」ということを聞き返したではないか。すると子供は、どこか人間よりも大きな何かの息なのではないかと、自分で発した想像に笑いながら答えていた。そこからあれよあれよと風の出どころについて色々な想像(妄想)を語るではないか。隣の母子の悲壮感を他所に、母はそれで?それで?と聞き役に徹し、会話は盛り上がるのなんの。待合室の空気は一変して朗らかになった。




話を視力検査の母子に戻そう。
母に責められ泣きじゃくる子が、薄目をして検診した訳を徐々に話始める。どうやら検診結果が悪いと母に怒られるのではないかと危惧して薄目作戦を決行したとのことだった。なるほど、この子が検診で見ていたのは「C」の空いた方向ではなく、母の「目」を見ていた(気にしていた)のだった。そんな母は自分が無意識にかけてしまっていた子供へのプレッシャーを恥じらいながら事の訳を看護師さんに伝え、再々検査に子供は向かって行った。


対照的な二組の母子の関係性。子を心配する親の「目」は変わらないのだが、その関係性はじっくりと考えていかないといけないのだなと、感じるのであった。
年末の眼科という場所は、色々なものが見えるようになるところなのかもしれない。

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