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“かくされた”次元へ

 1970年にみずず書房より出版されたエドワード・ホール著「かくれた次元」を再読している。正確には一度も完読しきれていないので、復読?(こんな言葉はきっとない)と言った方が正しいのかもしれない。この本では通常であれば、当たり前のこととして認識されてしまっている知覚や感覚について学術的に論じられている。今まで復読するのは一度や二度のことではない。決して難しすぎて何も頭に入ってこないという訳ではなく、いつも読み進めては、別のところに興味が湧いてしまい、その都度、脱線の繰り返しになってしまう。

 「建築家フランクロイドライトの建築では・・・」などの部分では、氏が設計した旧帝国ホテルの建造物の概要や使用された素材などをついインターネットで調べてしまい、気がついたらそこの建造物で使用されている素材のテラコッタについてリサーチしている有り様だ。本来の目的の読書ではなく自分にとっての思考の飛躍や興味を持つということ自体は否定されることでもないし、そういった思考の枝葉に引っかかる要素も本書の“かくれた”魅力なのかもしれない。

 この本の中で、空間をどのように知覚しているのかということについて中盤あたりで論じられている。特に感覚の分野別でまとめられている箇所は普段何気なく感じていることが言語化されていることに気持ち良さすら覚えてしまうし、そこで学んだことをいち早く誰かに伝えたくなる衝動に駆られてしまう。その中でも嗅覚の部分が非常に興味深かった。氏曰く、一般に匂いというものは、海水のように密度の高い媒体の中では強くなり、希薄な媒体の中では作用しないらしく、例えば鮭が大洋を何千マイルも横切って、自分の生まれた川に帰ってこられるのも実はその手がかりとして匂いが作用しているそうだ。逆に媒体が希薄な空などで活動している鳥類は嗅覚よりも視覚が発達していくそうで生物の進化に自然現象やサイエンスが深く関わり合っていることが改めて理解できる。

 ある種の環境下や条件の下、生物というものが進化してくならば、この2020年は全世界的に人類が皆マスクを着用するということが起こった年でもあり、嗅覚を遮断される特殊条件の下、生活を営む必要性が一段と増してきた。

 一方嗅覚といえば、旅先などでその土地の独特な匂いによって記憶が蘇ることがある。もちろん逆も然りで、ちょうど10年前ヨーロッパを放浪している時に降り立ったベルギーのブリュッセル南駅付近の少し如何わしい匂いとガゾリンのすえた匂いは、街灯が極端に少なく心細かった思い出とセットで思い出すことができる。匂いと記憶が非常に深い結びつきがあるということは周知の事実だと思うが、マスクをし、通常の年よりも嗅覚機能をある意味遮断させられたこの2020年が他の1年よりも早く感じたということは、人々の記憶への影響と何か関係しているのかもしれない。

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