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定年後を考え始めた頃…

2011年、定年後を考え始めた56歳の時、東日本大震災が起きた。
1995年の阪神淡路大震災が起きた時、叔父が神戸市長田区で被災したのにすぐに支援に行くことができずにもたもたしているうちに、叔父は東京に嫁いだ娘を頼って東京に疎開してしまった。親戚として情けないと思い、そのことを後悔していた。
 東日本大震災は貞観地震以来の1千年に一度の巨大地震。被災地は救援なくしてはどうしようもない状況。いたずらに被災地に向かわぬよう報道の制止がある中で、東北に親戚はいなくとも、この時に支援に行かなかったら絶対後悔すると思った。GW近くになってようやく宮城内陸地震由来のNPOがボランティアを受け付けているのを見つけ、新幹線に飛び乗った。
その時の東日本大震災でのボランティアでの数々の感動体験と出会いがあり、定年後は社会貢献の場に身を置いて生きてゆきたいと思うようになりました。
この写真はようやくNPOによるボランティア寄宿施設などの支援拠点が各地に整い、2011年10月に女川町、東松島市、石巻市の3自治体合同の「おらほの復興市」が開催されて、そこで撮ったものです。

(以下はその時のこぼれ話)
復興市には八神純子がバントラックの荷台ステージでチャリティーコンサートをしてくれた。米国人と結婚した彼女は、震災当日のフライトがキャンセルされ、ニュースで重大事態を後で知った。彼女はこの奇遇に縁めいたものを感じ、チャリティーに行かねば…と決心されたとの事。
彼女は、被災地コンサートの時、ヒット曲の「水色の雨」は、津波を連想させる歌詞があり、公演するのを躊躇していた。しかし、被災地の八神純子のファンより、生の声で「「水色の雨」を聞きたい!」とのリクエストがあり、彼女は「その言葉に救われた」とのこと。これは、後日、何回となく彼女が東北に来た被災地コンサートに行った時、知りました。


 

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