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Tibet issue | チベット問題

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#Tibetanrefugee

Olympic in 2008(北京オリンピック2008)

Olympic in 2008(北京オリンピック2008)

2012/07/26

赤々と燃え上がる聖火の炎は人から人へと手渡されイギリス各地を巡った。間もなく、オリンピックが開催される。テレビは連日特集を組み、いやが上にも巷の関心は高まる。今回は何ら問題なく、聖火は20日に予定通り開催地ロンドンに到着した。選手達の健闘を心よりお祈りする。ところで、貴方は覚えているだろうか、4年前のオリンピックを巡るあの“喧噪”のことを・・・
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『大震災とチベットの焼身自殺』

『大震災とチベットの焼身自殺』

2012/02/23

本日はロサール、チベット暦の新年だ。だが、難民を初めとする多くのチベット人たちは素直に正月を祝う気持ちには到底なれないだろう。なぜなら、現在チベットでは、これまでには無かった「悲劇」が次々と繰り返されているからだ。
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昨週、中華人民共和国副主席、習近平が訪米。次期国家主席の就任が確実視される習氏をオバマ政府は異例の持て

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「犀の角のように」

「犀の角のように」

2008/04/17

「他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」
(仏典:『スッタニパータ』)

3月14日にチベットの首都・ラサで始まった「騒乱」より早、1ヶ月余りが過ぎた。やはり、以前の記事でも示したが、予想通り中国政府は強硬姿勢を全く変えようとはしない。多量の兵士・武器をチベットへ投入してチベットの管理を更に徹底しチベット人の弾圧・摘発を進めている。情報統制も相変わ

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”チベット騒乱”ー 非暴力で蒙を啓け

”チベット騒乱”ー 非暴力で蒙を啓け

2008/03/18

3月14日、チベットのラサで僧侶を中心とするチベット民衆による大規模なデモが起こった。チベット亡命政府は、17日現在、80名の死亡と70名以上の負傷者を確認しているとう。1989年以来、最大級のデモだ。

今回の「デモ」は、2001年のIOC(国際オリンピック委員会)の総会で2008年のオリンピックが北京に決まった瞬間から既に始まっていた。

当然の如く、私のチベット難民の

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囚われのチベットの少女	囚われのチベットの少女

囚われのチベットの少女 囚われのチベットの少女

2007/09/11

「非暴力闘争」ー チベットの解放のために闘うチベット人、難民の唯一の手段であり生命線だ。

「非暴力」は「不服従」の行動が伴ってこそ効力を発揮する。残念ながら、チベット難民、特に役人たち(亡命政府)の非暴力闘争には「不服従」がしばしば欠落する。そのことが、「闘い」をどこか中途半端なものとしている感は否めない。先の記事「ダライ・ラマ回想(5)」でガンジーの非暴力闘争を引き合い

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『チベット難民』上映会

『チベット難民』上映会

2007/11/30

去る11月22日、都内でアムネスティ(“チベットグループ”)主催の『チベット難民~世代を超えた闘い』の上映会があった。

話を頼まれていたので会場に行ったのだが、驚いた。平日の夜にも拘らず約40名も集まっているではないか。嬉しい限りだ。この中の一人でも多くの方が主体的且つ継続的に「チベット問題」を考えて下されば...以前のブログにも書いたが、善意と意志のある方々の輪が広がり

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Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考

Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考

2007/05/23

Greetings!

旧知の方々、「御無沙汰致しました」。他の方々、「初めまして、今後、宜しく御願い致します」。 Anyway, I'm back.

チベット難民を描いたドキュメンタリー作品・『チベット難民~世代を超えた闘い』 (『Tibetan Refugees: A Struggle Beyond Generations』(英語版))を制作してから 早、5年以上が経

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ダライ・ラマ 回想(6)

ダライ・ラマ 回想(6)

2007/07/07

(『ダライ・ラマ 回想(5)』より続き)

再度言う。ダライ・ラマを「裸の王様」にしてはならない。
タブーにしてはならない。

仏教徒のあるべき姿勢を、ダライ・ラマは常々こう語っているー

「盲信してはならない。対象を十分に吟味・検討した上で信じるか否かを判断する必要がある」

これは、いわゆる「科学的アプローチ」と同意だ。その根底には冷静な批判精神がある。(以前読んだ本の

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ダライ・ラマ回想(5)

ダライ・ラマ回想(5)

2007/06/25

(『ダライ・ラマ 回想(4)』より続き)

2003年9月、ダライ・ラマに対する「不信・失望感」が更に強まる出来事が起こった。

ブッシュ大統領を訪問の際、こともあろうに、「旧友に御会いしたようだ。彼はチベット人へ心から関心と同情を寄せてくれている」とダライ・ラマは記者団に話したのだ。半年前、ブッシュは国連の勧告を無視し「イラク戦争」へと突き進んだ。9月の段階で、あるイラク

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ダライ・ラマ回想(4)

ダライ・ラマ回想(4)

2007/06/24

(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)

だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。

ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教

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ダライ・ラマ回想(3)

ダライ・ラマ回想(3)

2007/06/16

(『ダライ・ラマ回想(2)』より続き)

翌2000年、ダライ・ラマは初めて教育機関(京都精華大学)の要請を受けての訪日を果たす(それまでの招聘元は宗教団体)。いつもと同様、ダライ・ラマの外国訪問を阻止しようと中国政府は躍起になり、招聘元に圧力をかけてきた。しかし、若い大学スタッフが果敢にこれを凌ぎことなきを得る。「環境と人間」に関する講義、シンポジウム、心身障患者との交流

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ダライ・ラマ 回想(2)

ダライ・ラマ 回想(2)

2007/0604

(『ダライ・ラマ 回想(1)』より続き)

そして、12年の時を越え単独インタビューの実現。目の前のダライ・ラマは気さくなおじいさんという感じだ。うっすらと毛の生えたきれいな形の(うちの祖父を少し思い出させた)坊主頭がそう思わせるのか。無論、バリトン調のハキハキした声、時折見せる眼光の鋭さなどに“オーラ”は現れていた。

私は率直に質問をぶつけた。

「あなたは1988年にチ

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ダライ・ラマ 回想(1)

ダライ・ラマ 回想(1)

2007/05/31

5月9日付けのロイター通信によれば、ダライ・ラマ14世は米マサチューセッツ州の大学での講演で、今後数年以内の完全な“引退”を表明した。これは、「チベット問題」に関する政治的な役割の引退を意味したもので、引退後もチベット人民を支援し、文化、環境保護の闘いは続けるとのこと。

ついに、ダライ・ラマが第一線から退く日が具体的に近づいてきた。様々な思いが脳裏を過るー

ダライ・ラマ

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