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なぜ【道徳】を学ばなければいけないのか

授業で疑問に思うシリーズ第1位

ほぼ毎週やる授業の1つに道徳があると思います。一部の人は、寝たり落書きをしたりとして時間を潰していると思う授業ですが、なぜそんな授業をいちいちやらなくては、ならないんでしょうか?

僕の考えをまとめてみました。

まず第1に道徳の意味とは、「自分自身について考える」「人や社会との関わりについて考える」「自然や環境について考える」この3つの内容です。

自分自身について考える

これは、「イジメ」や「スマートフォン」などの近年増えてきている問題について考えたり、今後の生き方について考えるものです。観点を自分において学ぶ授業です。

人や社会との関わりについて考える

これも、具体的には、自分自身について考えるものですが、同時に相手についても考えるということです。また、今後自分自身の道について考えることができます。

自然や環境について考える

これは、SDGsや地域清掃などが題材です。世界共通の課題や地域の問題について考えます。

まず最初に、なんでわざわざ当たり前のことをいちいち学ぶ必要があるのかと思いますよね。ただ考えてみてくださいその、当たり前が定着してるのは、そういったことを学んだ人から受け継ぐ(親や友人、先生)ことで当たり前が築かれていると思います。

他国と、比べてみてください。中国などは、どうでしょう、道徳の始まりは、中国だと言われていますが、終戦後、中華人民共和国と、革命が起きました。そこで中国は、道徳を授業の科目に入れるのを忘れてしまいました。すると、どうでしょう一人っ子政策やらなんやらで、子供の価値が高まり、日常的に誘拐や、人身売買が行われています。当然日本では、ありえないことです。たったひとつの道徳の授業で、ここまで近隣の国同士で違いが出ます。財布を交番に届ける、こんな発想が他国で出てくると思いますか?落ちてたら自分のものそれが外国です。逆に日本では、そんなことがめったにないため、日本は、美しい国と呼ばれます。

最近の道徳では、文化や、挨拶などと、身近なものへとどんどん変わっています。人それぞれ興味のある話題は、違うと思います。でも、「美しい国日本」を今後もつくっていくためには、こういった当たり前のことをおろそかにしないというのが大切だと思います。

たかが道徳されど道徳。苦痛ではなく、一番学ばなければいけない時間です。当たり前を繋いでこそ未来があると思います。

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