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いつも笑顔で 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン3 その21

[黒岩さんと西松さん、コーヒーを淹れましたので、職員室にいらして下さい]

 校内放送が流れた。
 それを聞いた学生たちが一気に盛り上がる。
 早く行って飲んでみてくれだの、俺たちが栽培しただの、美味いだの、口々に俺たちを急かし始めた。

「旧校舎を確認する前に飲みに行くか?」

 西松だ。
 そんな学生たちの様子を見た西松は困惑気味だ。

「それもそうだな。ここで急がなきゃならない理由はない」

 俺のその言葉に学生たちは大歓声をあげる。
 こいつらは何故こんなことでここまで盛り上がれるのか…

「職員室に来いって言ってたよね」

 と、西松は俺の方を見て言ったのだが、その言葉尻にはどこか意味深な響きがあった。

「あぁ、職員室に来いって言ってたな」

「あいつに挨拶してこいよ」

「あいつ?」

「植村だよ」

 植村…、今の今までその存在を忘れていた。
 植村は俺の高校時代の担任だ。
 長い前髪のナルシスティックな髪型が目印のいつも笑顔絶やさない男。
 一般的に、いつも笑顔を絶やさないと言うと良い印象ではあるが、こいつの場合は常に満面の笑顔が張り付いているのだ。
 笑顔を絶やさないと言うと、パリスを思い出すが、パリスは薄笑い、植村は満面の笑顔。そうだ、こいつは満面の笑顔でしかも、突然一人で爆笑し始めることがあるからな。不気味なのだ。
 容姿は早い話が不細工、小太りなのに髪型だけバンド系やホスト系なので異様だ。さらにいつも髪から顔まで脂ぎらせていて、異様さに拍車をかけている。
 それだけではない、言動もかなり不安定、例えるなら不穏の塊、不穏が服を着ている、と言ったところだ。
 パリスも常に薄笑いを浮かべ、脂ぎっていて足が超弩級の臭気を放つ。しかしそれでもパリスはマシなのだ。
 植村とは会話が成立しない。コミュニケーションが取れないのだ。
 こんな奴をよくも教員として採用したものだ、と思う。
 入間川高校は私立だから、何か強力なコネがあってこんな奴でも教員をやっていられるのでは?という噂だ。

「西松、お前は敢えて人の重箱の隅をつつくようなことを言うのだな」

 俺の一言に西松は笑う。

「あんなんでもお前の担任だろ。挨拶だけでもしてやれよ。案外、風間ー、久しぶりじゃないかー、って、喜んでくれるんじゃないの」

「そんなわけないだろう。あいつは高校時代の三年間、誰とも会話が成立した試しが無いんだぞ」

 三年間か。黒薔薇党の件以降の記憶は無いのだがな。

 半分、黄昏れつつも職員室へ着いた。
 職員室への引き戸、俺は何回、この引き戸を憂鬱な気分で開けたものか。
 今、この瞬間も憂鬱だ。まぁ、高校時代とは別の鬱だがな…
 俺は引き戸を開ける。

 職員室、そこは高校時代と何ら変わらぬ光景が広がっていた。
 光景は変わっていないのだが、その臭気の変化に気づいた。
 煙草の臭いが無くなっていたのだ。
 俺が通っていた頃の職員室は煙草の煙が充満し、ここへ来るたびにバルサンを焚かれたゴキブリの気分になっていたのだが、驚くほどに清潔感で満ちている。
 それは西松も感じていたようだ。

「昔と違って、深呼吸出来るぞ」

 と西松は嬉しそうに言った。
 しかし、その直後、西松の表情が険しくなる。

「風間。知らない顔ばかりなんだけど」

 西松のその言葉を受け、職員室を見回す。
 西松の言う通りだ。知っている顔がいない。一人もいない。
 名前は知らなくても、顔を見たことがある程度の奴がいてもいいのだが、それさえもいない。

「確かにな。こんなに入れ替わるってことはあり得るのか?ここは私立高校だろ」

「そうだよね。もしかして授業中でいないとか」

「あり得るが、知った顔だけいないとか考えられない。しかも学生らのあのたむろっぷりは授業中とは思えない」

 職員室の開け放たれた扉の辺りには、多くの学生たちが俺たちのほうを見ている。

 そこへ裏口で俺たちを出迎えた中年の教師がやったきた。

「お待たせしました。どうぞこちらへ」

 職員室の隅に衝立で仕切ってある一角があった。
 俺たちはそこへ通された。

 衝立で仕切ってある一角には真ん中に高級そうなテーブルと、それを挟んで四台の革張りのソファーが並べられていた。
 俺たちはソファーに座ると、その向かいに例の中年教師が座る。
 テーブルの上には二つのコーヒーカップとお茶菓子が並べられていた。

「お菓子の方はつまらない物ですが、コーヒーは学生たちが無農薬で有機栽培したものです」

 と中年教師は鼻高々な様子だ。

「オーガニックですね」

 と西松が言った。

「はい、そうなんですよ」

 中年教師は自信満々に返事をした。
 また、ここでもオーガニックかよ。どいつもこいつもキズナ ユキトに感化されやがって…
 確かにインスタントコーヒーとは違う芳香が漂っているのだがな、俺が求めているものは違う。
 もっとケミカルで人工的なものなんだよ!それこそ人類の叡智じゃねぇのかよ!って悪態をつきたい気分だ。

 コーヒーカップを手に取り、一口啜る。

 苦い…、苦いんだよ、こんなものは人が口にするもんじゃねぇんだよ。
 と思っていると、隣では西松の野郎がしたり顔で“これは絶品です”だなんて、中年教師と珈琲談義に花を咲かせてやがる…
 不愉快な空間だ。

 こんな苦いものは飲めたもんじゃねぇ。

「砂糖ありますか?」

 と中年教師に聞くと、わざとらしいぐらいの残念そうな顔をした。

「それが無いんですよ。今月の配給分を全て使ってしまって」

「配給?なんですか、それ?
 西松、知ってるか?」

「え?知らないよ」

「あれ?お二人は知らないようですね。
 半年前から砂糖は配給制になったんですよ」

 もしかして、あのなんとか法か?

「国民健康邁進法ですか?」

 俺が言おうとしていたことを西松が言った。

「そうです。それなんですよ。
 当初は配給制でも足りていたのですが、精製された砂糖が禁止になりましてね、今は黒砂糖かきび砂糖だけが配給されるんですよ。
 それでさらに配給される量も減らされてしまいましてね」

 と中年教師は笑った。
 砂糖まで規制されていたのか!やらなくていいことばかりやりやがって!
 誰だ!誰がこんなことをしやがったのかっ!責任者出て来いっ!

 今にも叫びそうな激情を堪える為、俺は歯をくいしばる。
 歯軋りのギシギシと嫌な音がする。

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