助け舟は泥舟か 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン2 その20
「シロタン、久しぶり」
そうだ、糞平と言えば著しく抑揚に欠けた話し方が特徴で、それと同様にして感情の起伏が乏しいのである。
入学式以来、姿を見ることがなかったのだが相変わらずのようだ。
「ああ、久しぶりだな」
「シロタンはこんなところで何をしているんだ?」
「あぁ…、ちょっとな…」
家出をしただなんて言えるわけがない。
「寒いだろうし車に乗りなよ」
糞平が助手席のドアを開けた。
糞平からの意外な提案に俺は驚きのあまり一瞬、固まった。
糞平はこんな気を利かせる奴だっただろうか?
しかし有難い。俺はその言葉を心待ちにしていたと言っても過言ではない。
寒いし、膝も足首ももう限界が来ていたのだ。
俺は助手席のドアを開け、糞平の車に乗り込み、シートベルトを装着する。
「すまんな。お陰で助かった」
「シロタン、いいんだよ。
家まで送っていくよ。」
糞平は車を発車させる。
家⁉︎家は困るんだ…、何と言えばいいのか。
「いや…、家へ帰る途中ではないんだ」
「え?こんな雪降る夜にどこへ行くつもりなの?」
もういいだろう。糞平には打ち明けるか。
「行くところがないんだ。
俺は家出をしたから、もう帰る場所はないのだ」
「家出か。行くあては決まってるのかい?」
「あてなど無い」
「それなら……、僕の家へ来る?」
これまた糞平の意外過ぎる一言だった。
高校の頃の糞平はこんないい奴だったか?
そこまで関わっていなかったから、知らなかっただけかもしれない。
だとしても嬉しい一言だ。
家であんなことがあった後だからな、人の善意が心に染みる。
「糞平、いいのか?」
「何も無い家でよかったら居ていいよ」
「ありがとう、ありがとう糞平…」
視界が歪んでくる。
目頭が熱い。
その時、不意に自動車のエンジンが唸りを上げて急加速する。
その衝撃で俺の後頭部がヘッドレストに押し付けられる。
「ん?どうした?」
ルームミラーとサイドミラーを交互に見る糞平の表情が険しい。
「まただ。尾行されている」
「尾行だと?」
振り返ると確かに後に車が見える。
「何で尾行されているんだ?」
「それは後で説明する!」
普段、抑揚に欠ける糞平の口調が荒い。
「捕まってて!」
そう言われても何に捕まればいいのか?と聞く間もなく、車はスピードを落とさず赤信号なのに交差点へ入る。
「おい!信号赤だぞ!」
「いいから!」
急ブレーキで車内が軋む。
糞平は急ハンドルを切り、俺は遠心力で飛ばされそうになるのを足で踏ん張る。
糞平は交差点で車をUターンさせたのだ。
尾行していたとされる車は赤信号で停車し、すれ違う。
「よしっ!」
糞平は軽く歓喜の声を漏らすと、車をさらに加速させる。
尾行を撒く事が出来たようだ。
「糞平、お前は何から尾行を受けているんだ?」
落ち着いた頃合いを見計らい尋ねたのだが、糞平は前を見据えている。
糞平は上着のポケットからサングラスを取り出し装着すると、
「駄目だ、前にもいる」
「え?」
「シロタンは伏せて」
「何でだよ?」
「前の車のドライブレコーダーで撮られてる。
僕はいいとしても、君の正体が奴らに知られたら不味いことになる。
だから僕の言う通りにして」
何を言ってるんだ、この馬鹿は!と思うのだが、糞平は何か恐怖にこわばっているような表情をしている。
普段は表情や感情に乏しいのだが、糞平の様子から只事ではないと思われる。
俺は前方の車から顔が見えないように屈み込む。
それにしてもなぁ、なんでこんなことになるのか…
さっきまでの安堵感は何処へやら、今の俺は糞平の車に乗ったことを後悔し始めていた。
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