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全力中年

資料を封筒に入れ、切手を貼ってポストに投函。
「思いよ届け!」とつぶやきながら。

思いよ届け!

大きな組織に入っていると、こんなのは事務社員や部下がやってくれた。
ー作業の分担ー
分担すべき社員がいない。だから、自分でやる。面倒だが、その分、そういう組織よりも郵便物に込めることのできる思いは強くなる。なんて、自分に言い聞かせる。


あれ?意地悪されているのかな?
と思うこともある。
たとえば、新規の営業でアポを取る。会うにあたって、その前に、提案内容を資料で送ってほしい、と。
こんなのは、まだいい方で(会ってくれること前提だから)、資料を見てから会うか、どうかを決める、というケースもある。なるほど。
もっとひどいのは、上記資料をメールじゃなくて、郵送で送って欲しい、と。

さて、あなたならどうしますか?


以前の自分だったら、「わかりました!」と電話を切った後で、「そんなところ、こちらから願い下げだ!」とばかりにスキップしていたと思う。そんなところ、ワンオブゼム。砂の数ほどアプローチ先があるんだ。その余力は他に使おう、と。

が、今は、そういうところにも律儀に、言われた通りに、送るようにしている。実に30年ぶりの律儀さだ。というか、30年前にもあったか?ってくらいである。粛々と。

2つの理由から。

営業の神様は実在する!!!
  1. 営業の神様がご褒美をくれるかもしれないから。まんざら冗談ではない。要は、丁寧な仕事をしようと思う。やれることは全てやる。スルーしてしまえばそれまでだが、郵送することで1%でも可能性が残るなら、そちらに賭けたいと思う。神様も努力賞くらいはくれるかもしれない。それでも、進まないなら、諦めがつくではないか。相手がどうの、こうの、という問題ではない。自分の問題。自分との戦い。そこで諦める自分を許せない。なぜなら、それを許してしまうと、他のケースでも手を抜きかねないから。小さいからといって緩めてしまうと、大きなことも緩んでしまう。

  2. 差別化を図れるかもしれないから。この担当者は、私にだけ意地悪をしているのではなく、皆一様に同じ対応をしているのではないか?それであれば、確かに面倒だが、それは皆一緒。心折れて、スキップしてしまうライバルもいるはず。もしかしたら、このハードルを乗り越えると、独占市場が待っているのではないか…。

といっても、効率の悪いことはやりたくないので、この面倒なことを、どうポジティブに捉えるか?どうプラスに変えていくか?も考えていきたい。
都度、メールの内容を考えようとするから面倒なだけであり、メールの内容や添付書類を固定して、何なら言われなくても、こちらからの提案で先に資料を送るのもありかもしれない(郵送は勘弁だが)。印象に残り、面談の際のポイントも上がるかもしれない。

さて、4月。世間では新しい年度が始まった(私の会社は決算期がもっと後だが)。
そういえば、自身も6月で50歳。中年もいいところだ。全力の中年だ。
いい機会なので、この1年グイッと、自身の行動変容にチャレンジする。
面倒なことから逃げない。
第一弾は、これだ。


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