見出し画像

「グチ」を言ってはいけないとなったら?

とつぜんですが、仕事で上司に積極的に意見を主張しても、論理的な説明ができなければダメ出しされる。サラリーマンなら、一度は味わう経験ですよね。次はダメ出しされないようにと情報を調べ、上司に納得させる文章を考えた。そしていざ主張をしてもまた、ダメ出しされる。

そんな中、安い給料でも生活していくためには、文句を言わずに夜遅くまで働かなければならない。こんな生活が毎日続いたら、しまいにはメンタルがボロボロになり、最初のやる気はどこへやらと忘れてしまうものです。

やる気が減る分、増えるのは上司への不満。

不満が溜まれば当然、何をしてもイライラし、発散するには誰かにグチをいいたい。誰か認めて!でもグチをいって嫌われたらどうしよう...

モヤモヤしながら、一人で考えていたら今度は、夜が眠れなくなる。

「これじゃダメだ!」

「やっぱり、誰かにこのグチを聞いてもらいたい!」

「でも、どうしよう😱💧そうだ!友人に話そう」

友人に早速、連絡を取り

「聞いてくれよ。実はさ会社の上司が...」

と話し始めたら速攻で

「それ、お前の努力が足りないだけだから」

「えっ!」「まあ、確かにそうなんだけど...」

「即否定じゃなく悩みを聞いてくれよ」

といっても

「それって、お前のグチだろ!」

「オレ、グチをいうやつ嫌いだから」

ガッビ~ン。

「そりゃ、そうなるでしょう。急にの連絡で、それがグチだったら...」

あなたはこんなふうに、グチをいってはいけない。他人のグチなんて聞きたい人なんていないんだからと勝手に決めつけていますよね。



はたしてそうでしょうか?



ひとつもグチを口にしない人は本当に好かれるのでしょうか?

たしかにグチをいって、それで人からあなたのことが好きになったわとはなりません。

一方で「あの人、なんだか聖人君子過ぎて、つきあいにくいよね!」

と敬遠する人だって出てきます。

では、どのようにすればいいのかと、悩むと思います。

そんな方に今回は、どんなグチを言えば人を引きつけられるかについて紹介します。

グチをいわないは、どこかに無理をして歪んでいる

たとえば、夫婦関係で「うちの妻、グチのひとつもいわないんだよ」「だから、楽よ」とこの思いには、きっと、いい争いになったら自分はイラ立ち、何もいい返せないという思いがあります。そうなったら自分が惨めだから、そんな姿をさらしたくないためにいい妻です、といって自分を美化している逃げ言葉です。

妻からしたらよほど、夫婦関係が冷めきっていて夫のことなど、どうでもいい存在になっているから、グチをいう気にもなれないといった心境かも知れません。

あるいは、「夫にグチをいいたいのだけれど、いえばどうなるかわからない」「怖いからいえない、がまんしよう」といった状態はもっと危険です。というのもグチをいえないという欲求不満は、いつか爆発します。

たとえば、山が噴火する予兆を出しているのに、今までここで育ってきて、過去に生命を覆す噴火はなかったら、だから非難しなくても大丈夫という過去の安全に浸っているのと一緒です。

なぜなら、危険が身近に迫ってるのに、過去の安全に縛られ歪み、自分のことで精一杯だから、必死に耐えてる妻の心境なんかには毛頭、気づきません。なので突然、妻から「別れさせていただきます」という爆弾発言に困惑してしまうからです。

つまり、グチをいわない妻が楽だと決めつけていた結果、切羽詰まった状態になり、ようやく突然離婚といわれてあたふたするのです。この状態になったら後悔しても、もう手遅れなのです。

グチを装った過干渉は自立心を破壊する

昔からグチをいいながら子育てする母親がいます。

たとえば、

「何よ、いつも部屋を散らかし放題にして、ちゃんと掃除もできないの!」

といいながら、子ども部屋に入って掃除をしてしまう母親。

子どもは「勝手に部屋に入らないでくれよ!」と抵抗するが「だって、しょうがないでしょう。母さんが掃除しないと部屋が汚くなるんだから!」と子どもの言い分は無視。

このように、母親のグチを装った過干渉で育った子というのは、まったくやる気を失って、他人本位の優柔不断な性格となってしまいます。

なぜなら、親から何かあるたびに干渉されるので、いつしか子どもは「自分はダメな子だ!」と感じるようになり、健全な自立心が破壊され、自立するための努力をしようという意思が育ちません。

ちなみに、こういう過干渉は夫婦のあいだでも起こります。

「おまえはほんとうに世間知らずの女だな!オレがサポートしないと何にもできないのか!」とグチをいいながら、やることなすこといちいち口を出し、妻を束縛してゆく、いわば亭主関白のケースです。

いずれにせよ、グチをいってるつもりの過干渉は、何もいいことはありません。気をつけましょう。

グチをいって終わりでなく、明るいオチを加え、人を引きつける

グチというのは、いいストレス解消にもなるし、ウサ晴らしにもなります。

ですが、グチをいって終わりではなく、明るいオチが加わればなおさらよいでしょう。

たとえば、

「まあいろいろあるけど、お互い頑張りましょう」「そうだね、がんばれば、きっといいことがあるかもね」と。

このように明るいオチがついたグチをいって、日々健康的に生きてゆくためにも心がけておきたいことがあります。

それは、

・相手にたくさんのことを望まないこと

・欲張りにならないこと

・理想主義にならないこと

・相手に百パーセントを求めないこと

グチというのは「こうなったら、いいなあ」という理想があり、一方で「でも、こうでしかないよね」という現実があります。グチというのは、この理想と現実の落差から生まれます。

落差が大きくなるにしたがって、グチは湿っぽく、深刻なものになります。逆に落差がさほど大きくなければ、それほど深刻なものにはならないということです。

つまり背伸びをして、あまり高望みはしないこと。

なぜなら、半人前の人ほど、グチは一人前だからです。

たとえば、

「私の恋人は、お金持ちじゃないとダメなの!それ以外はお断りよ!」

「理想の結婚生活を実現できないのなら、結婚なんてしないほうがマシだ!」

「会社はオレのことをなにもわかってくれない。この会社に自分がいる必要なんてないのさ!」

とこんなことをいっている人たちは、まだまだ半人前です。

思うようにならない人生であっても、どうやって楽しく生きてゆくか。そのための知恵と工夫を働かすようになって初めて、人は一人前の大人になって自立した人生を歩んでいくのではないでしょうか。

要するに、理想をかざして「ああだ、こうだ」といってる人は見かけは大人でも精神的には甘えん坊の子どもと一緒なのです。

グチをいって、自分の弱みを見せれば信頼される

グチをいうには、相手がいないと成り立ちません。相手がいなくブツブツいっていたらヤバイ奴に見られます。

でも、グチをいうにもちょっとした知り合い程度では、どうも安心してグチはいいにくいものです。

たとえば、犬は警戒する人間には猛烈に吠えます。しかし信頼している人には、仰向けになってかまってと言わんばかりに、お腹を見せます。そう、あなたを信頼していますという証拠です。

人も同じでグチをいうとは、自分の弱みを見せること。恥ずかしい部分や、知られたくないことも、あえて告白することです。

でなければ、相手はあなたを信頼するはずがありません。

おわりに

グチをいうことは、ダメではありません。ほんとうに切羽詰まったところまで追い込まれると、人の心にはグチをいう余裕すらなくなります。

ちょっとしたグチをいうから、心のストレスが逃げていき、人間関係でまあまあうまくやっていけるのではないでしょうか。

グチがあるからこそ、幸せになれるときもあります。

それでは、また。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?