山本譲二と甲子園
一昨日も書いたが、最近、新聞を見直している。年齢のせいだろうか、SNSの映像や写真や記事はあまり頭に入ってこない。新聞は朝刊だけでも32頁、大きくなったとはいえ10P(?)くらいの文字がぎっしり詰まっていて読みにくそうなのだが、1頁3秒くらいのペースでざーっと見出しを見ていくだけで,充分情報が入ってくる。そして、ときどきアンテナに引っかかる記事をじっくり読む。ニュースというよりは文化的な記事が面白い。気に入ればハサミで切り抜く。一昔前の情報収集術である。
8月29日の「朝日」で目に止まった記事が2つあった。
1つは高校野球の「観戦記プレーバック」で、歌手の山本譲二さんの思い出である。人気歌手の多くは、無名の長い下積み生活を経験していて、そのいずれもが感動ものである。山本譲二は甲子園の舞台に立ったことがある。9回ツーアウト後の代打であったが、それでも甲子園の舞台を踏んだのである。そのことが、彼のその後の人生のいろいろな場面で助けになった。北島三郎に押しかけて弟子入りを乞うたときも、「甲子園に出ました」のひと言が効いたそうである。山本譲二の歌を一度、生で聴いたことがある。家内と一緒に大阪南港にいたとき、たまたま無料のミニ・コンサートに出くわしたのである。テレビで観ているのとは比べものにならない、弩迫力であった。多くの幸運があったのであろうが、やはり世に出る人というのは、その内にマグマのエネルギーを蓄えている。それこそが、人生成功の鍵なのだとつくづく思うのである。
話は新聞から飛ぶが、演歌は好きである。演歌と言うよりは、昭和の歌謡曲が大好きである。SNSであるが、YouTubeでブレイクした東京大衆歌謡楽団の歌を毎日聴きながら、一人カラオケをやっている。
もう1つの新聞記事については、次稿で。