飲み会あとは、心を柔らかく
もう今日は飲もう、楽しもう
と思って参加する飲み会ほど、
次の日に果てしない後悔が待っているのは何故だろう。
そして信じられないことに、その後悔は半永久的に続くのだ。
飲み会での失態の恥ずかしさが、
自分は恥ずかしい生き物だ
なんてまあ、思考に繋がってしまう。
そんな恥ずかしさが、飲み会後の行動にも影響し、連鎖していく。
楽しむはずだった飲み会から始まってしまった、私って本当に恥ずかしい奴…という思考の鎖に縛られてしまったが故に。
忘れようとは思っても、なかなか忘れられない。
ただ、果てしない後悔を生んだその時間、
その行動は、その言葉は、
そこにいた誰かを傷つけたような気はするか。
もしくはそこにいた誰かの顔は浮かばなくとも、どこかの誰かを傷つけたような、そんな言葉を吐いてはないか。そんな振る舞いをしてないか。
それすらも忘れてしまったのなら、それはもう、忘れられないなどと嘆く必要はないような。
もし、他人や自分の心を
痛めつけるような、その責任を取れないような、そんな行いをしてしまったなら
その後悔は半永久的に続くべきものだ。
忘れてはいけないものだ。
ただ、ただただ、
夢を語ってしまったとか、
カラオケで音を外してしまったとか、
トイレで寝てしまったとか、
恥ずかしさでいっぱいだとしても、
それに縛られなくていい。
こんな奴なんて、と思うことはない。
愛い奴だと、恥ずかしさで打ちひしがれる自分の心を撫でてあげよう。
ありがとうと、共に時間を過ごした人達に感謝の心で接しよう。
そしていつか、同じ状況になった誰かに遭遇した時に、
微笑んで頷きながら、話を聞ける人になりたい、
大丈夫かと優しく背中をさすれる人になりたい、
次に会った時に、楽しかったね、と笑顔で伝えられる人になりたい
二度と同じヘマをするか、と心を固くするよりも、
人としての柔らかさを、飲み会で恥ずかしくなるたびに、得ようと思う。
なんだか、後悔云々ではなく、健康のために、飲み過ぎは良くないよという声が聞こえてきたような気がするけれど、
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