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永遠のお別れ、それでも日々は続く

大好きなアンジー

正月明け、私の大切な大切なアンジーが天使になった。
最期まで、世界で1番可愛い寝顔だと思った。

アンジーは、約13 年前に私のおうちにやってきた、トイプードル。

当時小学生のわたし。
なぜかあまり記憶はないが、犬を買うために両親から課された課題が
「1 ヶ月早起きし続ける」ということだった。
両親曰く、ペットを買うことは本当に大変だし、大きな責任が伴う。
一見簡単そうな課題だが、朝が大の苦手な私が、毎朝散歩に行ってご飯をあげて、お世話をすることなんて絶対に無理だと思っていたようだ。

その予想に反して、私は1 ヶ月見事に早起きし続けた。毎朝6時。
今思うと、自分なのに自分を尊敬してしまうほど偉い!と思う。

そのおかげで、念願叶ってアンジーと私は出会った。
出会うまでにも沢山の思い出があるけれど、それはまた別のお話。

とにかく、彼と出会って12 年と11 ヶ月は、本当にびゅーんと過ぎていった。
楽しい思い出、辛いこと、悲しいこと、色々あったけれど私の人生には常に隣にアンジーの存在があった。

就活で絶望していたとき、思い切って実家に帰ったらアンジーはずっと私の膝の上にいてくれて、元気が出た。

食いしん坊で、いつも人間の食べ物を狙っていた。(何度か取られた。)
外で遊ぶのが大好きで、庭を超スピードで走り回っていた。
散歩中もたくさん走り回った。
ソファの端っこが大好きで、そこが彼の特等席。
シュッて出てくるスプレーが嫌い、ドライヤーも嫌い。
お風呂上がりに走り回って家の中がびちゃびちゃになったこともあった。

どんなアンジーも可愛くて可愛くて、仕方がなかった。

ペットを飼った経験がある人はみんな、自分のペットが世界で1番可愛いと思うと思う。私ももちろんそうだった。

いつもはおバカなくせに、私が泣いてたら心配そうにこっちを見てきて
私がはしゃいでたら一緒にぴょんぴょん飛び跳ねて、
それを見て私も笑って家族も笑って、幸せだったなあと今は思う。

これは、アンジーとの別れを綴ったnote。
自己満足かもしれないし、読者の方々の為になる話は、きっとない。
でも、忘れたくないから、書く。


それでも可愛いアンジー

10歳を過ぎたあたりから、アンジーは体調を崩しがちになった。
急に吐いたり、下痢をしたり。

大学生になって実家を出てから、毎日は会えなくなったから、アンジーのことが心配だった。でも、体調が悪いのは一時的なんだろうなとどこかで思っていて、
すぐに治ると何故か思っていた。

けれど、そんなことを考えてる間も、アンジーはずっと体調が良くない日々が過ぎていった。

昨年、2022年のアンジーは、眠っている時間が長かった。
毛も薄くなって、母はかわいそうだからと可愛い服をたくさん着せてくれていた。
本当に似合っていた。
暖かくなって、いつもソファの特等席でウトウトしていた。
それでも、そんなアンジーを見つめる時間が大好きだったし、可愛かった。

就職したら地元に帰るから、休日はアンジーと河原でギターを弾いて、歌を歌ってのんびりして。。。なんて夢を見ていた。

そんな中、突然、年末にアンジーの体調が急変した。
あまり食べなくなって、痩せてしまって、吐いて、自分で排泄も出来なくなって
アンジーは毎週病院に通っていた。

私は大学卒業間近で、卒論に追われていてすぐに実家に帰ることができなかった。
心配で心配で仕方なかったけど、卒業はしないとアンジーの元に帰れないと思って
毎日泣きながら卒業研究に立ち向かっていた。


歩いていたアンジー

12 月28日
やっと、やっと実家に帰省することができた。
アンジーは相変わらず可愛かったけど、よろよろとしか歩くことができなくて
とてもかわいそうだった。ご飯もバクバク食べた。少し元気で安心していたが

母が
「〇〇(私)が帰ってくるまで本当に元気がなくて、歩くこともできなかったのに、ちょっと元気になって本当にびっくり」
弟も
「本当に大変だったんだから。。」
と言っていて、そんな大変なときにそばに入れなかった自分を責めると同時に
ちょっとでも元気そうなアンジーの姿を見ることができて嬉しかった。

母の一眼レフのカメラがあったから、アンジーの写真をこれでもかというくらい撮って、すんごい可愛い写真がいっぱい撮れた。
この時は、アンジーが旅立つなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかったはずで、最期だって分かっていたわけでもないけれど

でも、今アンジーの姿を残さないときっと後悔すると思ったんじゃないかと今は感じている。

大晦日
みんなで紅白を見て、父お手製の年越しそばを食べて
みんなでアンジーの手を握って全員で2023 年を迎えた。
あの瞬間は一生忘れたくないなと思っている。

このまま元気がないままだと年を越せるかわからないとお医者さんに言われていたから、一緒に年を越すことができて本当に安心した。

今年も宜しく、ってアンジーと話をした。

お正月中、弟が20歳になった。
ようやく家族全員が大人になった。

1 月4 日
年を越してから、アンジーはあまりご飯を食べなくなり
心配だったけれど
私は卒業しないといけないから、卒論の続きをしに下宿先に戻って行った。

帰りの新幹線でも実はすごく泣いてたけど秘密。

友達と神社で初詣をして、アンジーのことばかりをお祈りした。
そして、お守りを買ってアンジーのことをお願いした。

しゃべらないアンジー

1 月5 日
「アンジーやばいかもしれん」
夜に、弟からラインがきた。
私はどうしようと思って母に泣きながら電話をした。

でも母は、私に心配をかけまいとして
「〇〇(弟)そんなこといったん、今は大丈夫だから安心して、卒論頑張りなさい」
と言ってくれた。私はその日がむしゃらにやるべきことに集中した。

がむしゃらに頑張ったら疲れてしまい、その夜は死んだように眠っていた。
いつ眠ったかも覚えていない。普段はこんな眠り方はしないのに。
何故かスマホも遠くにあって
目が覚めた時には、もう遅かった。

1 月6 日
不在着信 30件

(。。。。。)

その数字を見ただけで私は悟った。
声を出して泣きながら
家に電話をかけた。

アンジーは、夜中に旅立ってしまった。


私が寝ている間に

気づくことができなかった。

今思うと、私を泣かせまいとアンジーが私にそうさせたんじゃないかって思う。
だって、いつもは絶対にこんな寝落ちの仕方はしないし、夜中に電話が来てもすぐ気づくのに。

その日はとりあえず大学に行かないといけなかったから、行ったけれど
先生の話は遠くに聞こえて、吐き気もするし、頭痛もするし
もうどうしていいかわからなかった。

会えるうちに会わないと
きっと後悔すると思ったから
その日のうちに地元行きの新幹線に飛び乗った。

お花屋さんに立ち寄って、アンジーに似合いそうなカラフルで可愛いお花をたくさん選んで、持って帰った。

2日ぶりに会ったアンジーは、やっぱり可愛かったけど、もうこっちを見てはくれなかった。ピクリとも動かなくて、いつものように気持ちよく眠っているような顔だった。

アンジーとたくさんの話をした。
ボロボロ泣きながら、沢山話をした。
弟の誕生日が来るのを待って、息を引き取ったアンジー。
みんなが大人になるまで、守ってくれたんだな、と思った。
顔を近づけると、アンジーの匂いがして
この匂いがもう嗅げなくなるのかと思うと胸が苦しかった。
匂いも、頭の形も、あくびをする顔も笑った顔も、全部忘れたくないよ。

その夜は、母と夜通しアンジーの話をして、泣いて、いつの間にか眠っていた。

1 月7 日
アンジーを送り出す。

朝起きてから、アンジーにお弁当を作った。
最後の方はあまり食べることができなかったから、天国では
思う存分好きなものを食べて欲しいと思って
アンジーの好きなものを詰めたお弁当を作った。
それで、アンジーの棺の中に入れるって作戦。

いい考えでしょ?

母は
「これでアンジーは、毎朝目覚めたら大好きなご飯がお腹いっぱい食べれるね。
毎朝嬉しいね。」
と言って、また一緒に泣いてしまった。

おうちの中をぐるっとアンジーと回った後、家を出発した。

白い棺の中のアンジーはすごく美しくて
不謹慎かもしれないけれど、私が買ったお花がすごく良く似合い、可愛い服も着ていて、なんて可愛いんだろうと最後まで思っていた。

お弁当の下に、そっと住所をかいた手紙を添えた。
そしたら、迷わずおうちにまた戻ってきてくれるかもしれないと思って。

アンジーは漢字が読めないかもしれないけれど
天国の、漢字が得意なお友達が
きっと手紙を見てアンジーを導いてくれるから。

ありがとうアンジー
私の世界を彩ってくれて
私の全てだったアンジー
大好きだよ

そう言ってお別れをした。

アンジーは英語で書くとAngie
この名前は天使という意味のAngelから来ている。
アンジーは文字通り天使になってしまったね。

この先どんなに辛くても頑張ると、私はアンジーと約束した。
どんなに無理だ!と思って、辛くて悲しい日があっても
私はこの日の約束を思い出す。
忘れない。

アンジーがいなくなったこの世界で
私は日々を続けていく。

本当は嫌でも、続けていく。

人は、日々を暮らしていく。
何があっても、一歩一歩、
それぞれの未来に向けて精一杯進んでいく。


私も頑張ろうと、思うよ。


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