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お願いだから、もうこれ以上僕を叱らないで。

私は、長男が幼稚園に入るまで
息子を叱る事で、言うことをきかせようと
していました。
0歳から、叱っていました。

小学校4年生になった今も、
彼が、母である私を見る目は怯えています。
「僕は何か間違った事をしたんじゃないか」と、
戦々恐々としています。
本当に申し訳ない事をしたと毎日毎日、悔やんでいます。

息子への懺悔のために。
そして、頑張って生きてきた自分の為に
これを書きます。


私も、ずっと叱られて育ちました。
周りと何かズレていたのでしょう(本人に自覚なし)。
親からも叱られ、
小学校でも先生に叱られ、
中学校からは体罰も加わり、
大学ではかなり減りましたが、叱る先生もいました。
叱る大人との出会いが多すぎました。

自分が大人になり、社会に出てからは、
叱られる人にならないように
細心の注意を払いながら、叱られている人を
横目で見てきました。

すごく辛かった。

そして、やがて心身に不調をきたし、
ウツを発症。

出産してからは、
子どもを叱責しながら、叱責されてきた自分との板挟みで
やがて半狂乱になり、物に当たり散らし、自傷し、
もうめちゃめちゃな日々でした。

その後、幼稚園で叱責しない育児と初めて出逢います。
叱責しなくても、子どもは動くし、何より目がキラキラしている
子どもたちの世界に仰天しました。

ところが、長男が小学校に入ると、
私にまた不調が訪れます。
パニック障害を発症します。

子どもが小学校に行くのが、心配でしょうがない。
叱られていないか。周りと同じようにできているか。
私も、小学校に出向くのが怖くてしょうがない。
先生との面談になると、心拍数はあがり
冷や汗が出てくる。

脳と身体が勝手に反応するのです。

先生が怖い。
怒られたらどうしよう。
知らないうちに、
先生の怒りをかう行為をしているかもしれない。


叱責され続けると、そんな大人になってしまう
人もいるのです。

叱られるというのは、
ものすごくエネルギーを奪われます。
それが続くと、だんだん自分を信用できなくなるのです。


近ごろ、決して交友範囲の広くない私の周りでも
学校に行けない、または行かない子どもたちの話が
よく耳に入ります。

先生による叱責、強い口調による命令により
心身に不調が出てしまって、やすませている。

お母さんたちは、我が子が潰れてしまわないように
必死に相談先を探し、策を練り、奔走しています。

宿題がやりきれなくて、先生が怖くて行けない。
とにかく全ての行動が命令口調で、怖い。
授業中に言われた通りに字が書けなくて、怒鳴られる。
中には、机を蹴られた。なんて話も。

私が学校を出てから、もう何十年も経っているのに
未だにそんな世界が続いている事に、
正直、驚愕してしまいます。

そういうやり方が平気な子どもたちもいるでしょう。
でも、そのやり方では苦しむ子どもたちも
現にいます。

社会に出た私からは、こう見えるのです。
そういうのは、もう古い。
時代は変わった。

人はもっと多種多様で、もっと自由で、
もっと助け合える。

学校という箱は、あまりにも画一的すぎる。
全体主義も時には必要でしょう。
本当に大切なことは、叱ってでも伝えるべき時もあると思います。

でも、それは、
命を守るため。
みんなで生きていくため。
の為のものだと思うのです。

日常の中の「言うことを聞かす為」に、いちいち
叱責を発動することは、子どもを壊しかねない。
やがて社会を構成する子どもたちを壊すという事は、
社会を壊すと同義です。

学校は何のためにあるのか?

どうか、どうか、
やたらと叱らないでください。
どうか、どうか、
子どもたちをまとめる方法は多様にある事を
知って下さい。

子どもたちにとって、
学校という世界が、安心できて楽しい世界であってほしい。
学校は社会の入口だから。

全体を動かすのに、リズムが異なる子がいたのなら、
無理に全体に取り込むのではなく、
まずはその子の居場所をあげてほしい。

私のようになってしまう子が1人でも減ってほしい。
私たちのようにボロボロになってしまう親子が、
1組でも減ってほしい。

私たちが目指したい進化は、多様性に対応できる社会。
居場所を自由に選べる社会。
困ったら、叱られるのではなく、
助けてもらえる社会だと思うのです。

綺麗ごとかもしれません。
理想と現実は違うのかもしれません。

でも、あえて、発信してみます。











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