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年の差の恋愛論や読書

 去年から孫娘が文章を書き始めた。幼い頃からの読書好きで、小学生になってから子供用の恋愛小説なども読むようになった。昨年、4年生になったお祝いと誕生日をかねて、電子辞書をプレゼントした。それを機会に文章を書くようになり、電子辞書で読める「青空文庫」も読んでいるそうだ。。最近の愛読書は湊かなえで、娘は東野圭吾のファンだと言ってた。その娘、母親からみると、湊かなえ作品は大人の読む物だと思えるらしい。さりとて、孫娘に相応しいものはと考えても、思いつかないらしい。

 書き始めてから約1年間で、既にノートも10冊になった。今年の誕生日にプレゼントしたタブレットを使い、漢字や語彙の意味もシッカリ調べてるとか。投稿サイト「noichigo」に出してみたいという。たまたま家に来る用事があり、孫娘も一緒に来てノートを見せてもらった。漢字の使い方や送り仮名、物語の展開は良いとは思うが。

 クラスの友人や学校の教師の中に、興味を持って読者に成って読んでもらってるという。中でも教師の中で評判が良く、続きはいつ頃できるのかと聞かれるそうだ。担任の一番人気という作品を読ませてもらい、少し衝撃を受けた。読んでいても意味が分からない。地の文がほとんど書かれていない。丁寧に読まないと、会話文だけでストーリーが展開され、場所も変化して別の人も加わるなど、面白いと言うよりも簡単に読み進めない。ましてや最近の女の子の普通に使っている、省略の多い単語を使用した会話文では、話してる内容も展開も、何が面白いのか良く分からない。この作品が担任には受けているということは、世代間ギャップが相当に開いてしまってるということだろう。。

 noichigoへの投稿は、地の文も書かれている恋愛小説だそうだ。小学生の書く恋愛小説って、何とも不思議な気もする。投稿に際して、著作権や友人知人の写真や実名などは書かないようにとの注意もあったそうだ。まあ、国語の勉強とでも思えば良いのだろうが、いささか不思議な想いもする。

 自分にとって上手い文章、読みやすい文章について考える機会があった。古代から近代までのザックリとした文学史について、実は日本は外国から攻められ侵略されて、日本独自の文化や伝統は切れたことがない。漢文や文字を輸入し、仏教などの思想も入っては来たが、根本の自然崇拝の思想は途切れることはなかった。万葉集から『古今和歌集』などの流れを継ぐ和歌や俳句、『徒然草』などの随筆文学、『源氏物語』やそれ以前の物語や説話集など、外国からの影響を受けながらも日本独特の命脈は切れていないと思う。そんなことを孫娘と話していて、やはり捉え方の違いが気になり、読み比べたりした。

 地の文のない「会話文」だけで進められていくのに比べ、例えば森鴎外などの初期の作品は漢文の読み下し文のようで読みやすく理解しやすい。文字の読みも早いし、時には文字を数行同時に読んでも意味はつかめる。漢字の多い、しかも漢文の読み下し文のようなリズムがある文章は、読んでいて情景が鮮やかに浮かび、わずかな会話文でさえ、人物の心情まで感じられる。

 森鴎外、志賀直哉、井上靖、川端康成が一番好きで、文章も上手いと思う、などと話し、横光利一などは、と言ってもまったく知らないという。同じ趣味のジジと孫娘といえど、年代の差は大きくて話しはまったく盛り上がらない。書店に行っても中高生用の恋愛小説など、注意深く見てるのだが店内の何処に在るのかも分からない。同じ様に、ジジが良いという文庫本も置いてある書店は少なくなった。何とも悲しい現実かな。もう少し大きくなって、いろいろと話せるようになれば良いのだが。
 
 
 
 そして最近、とてつもない失敗をして嫌われてしまったようだ。『竹取物語』の最後の、不死の薬を燃やしてしまうという事の解釈で、孫娘は生き続けることよりも純粋な「愛」の方が良いと言う。その「愛」というものの解釈で、小学生にとっての恋愛は渡り廊下や、下校の挨拶のドキドキ感らしい。愛も恋も、種の連続性や保存、多様性のための繁殖相手の選別でしかない、というジジの考え方。この違いは、ジジは「イヤらしい」と思えたらしい。約60年間の経験の違いは、まして小学生では、・・・失敗してしまった。
 
 学校の父兄からは、少々大人染みた考えの子どもと思われているらしい。話をしてると話題の展開にワクワクして、相手が子どもとは思えないほど話の内容も豊富で楽しい。が、やはり生きてきた時間や、ましてや本の世界の恋愛と生身の女性との経験とでは、違いすぎた。
 
 昨日、娘が下の男の子を連れて家に来た。「最近は少し反抗期で、出掛けに言い争いをしたら行かないだって」という。まだ小3の子は素直で、本当はママと喧嘩などしてなくて、ジジのことが嫌いとか言ってなかったか、と聞いたら「ジジに言わないようにママが言ってたけど、ジジよりも友達の家に行くって」などと正直すぎる返答が帰ってきた。温泉旅行に誘っても行きたがらず、最近は弟とお風呂に入るのさえ嫌がる歳になったという。子どもからの脱皮の時期になったのだろう。しばらくの間は、話にも気を付けなければならないだろうな。寂しいというか、悲しいというか。

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