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老人の体力の低下速度

いつだったか、京都大学数学科の有名な先生が、ご自身の寿命を計算した。ほぼ計算どおりに亡くなられたと聞いた。退官後は独特の筆致で随筆などを書かれて、とても面白い先生であった。

計算の方法を聞いてみたいと思いながらも、そのお話をされた先生とも、その後ついぞ伺う機会を得られなかった。「ぼくも自分の寿命を計算してみたい」というようなことを、講演か何かの折におっしゃっておられたが、果たして計算をされたのだろうか。


70歳を超えて数年間は普通だったが、最近は急激な体力の衰えを感じる。立ったり座ったりが簡単にできなくなり、行動がハッキリと自覚できるほど遅くなった。何よりも困るのは、書くときにはとつぜん漢字を忘れる、話すときには単語が出てこない、それぞれがボンヤリと分かっているのに正しい漢字や単語が出てこなくなった。

予定については、スマホに書いてあるが、まだ何とかすべき事などは月日と時間は覚えていられる。確実では無いので、数日前になってスマホで確認をすると、だいたい合っている。現役の頃よりも予定など月に2~3個程度なので、これを忘れるようになったら危険かもしれない。


今年の夏は暑くて耐えられなくなって、ほぼ毎日エアコンを点けたままだった。昨年まではいくら暑くても、出掛ける事はさほど苦では無かった。今年はほぼ何処にも出られなかった。避暑で温泉に行ったが、猫が気になり一泊だけで、この移動で酷く疲れてしまった。

夏が過ぎたと思ったら、急激に寒くなり、今度はエアコンでは間に合わず、灯油ストーブを出して、コタツに入りストーブを点けて、ニャンコふたりと「爺さんと猫」の生活をしている。年末・正月を控え、大掃除や人が来る事を想定すると、何もしないのに疲れて動けなくなる。去年なら何処かへ出掛けていたのに、いまは猫を抱いてコタツから動かないのが幸せに感じる。

数年前と比べて、何割くらい体力ダウンかでは無く、1ヶ月よりも短い期間での体力低下を数値化できるような気がする。「死」をゼロとして、壮年期を100とすると、現在は50~60%と思われる。「死」のゼロはどの程度なのかがが分からないのだが。放物線状に衰えの数値が上がるとすると、何処が限界とすべきがが分からない。

ただ感ずるのは、たしかに体力も気力も、直線状に衰えるのでは無く、次第に急激なカーブは落ちていく。数ヶ月に1回の血液検査では、年相応の腎機能の低下以外は、何の変化も無いのが不思議なのだが。

これに抗う方法として、年齢と身体状況に応じた食事のバランスと、体力や筋力や天候も考慮に入れた適度な運動といわれている。リハビリテーションや老年医学から、かなり解明はされてきてるようだが、もっとも肝心な事は本人の意思だろう。

もしも充分な資産があり環境が整っていても、検査結果に基づいたエクササイズ・プランを作れても、毎日のレシピに基づいた食事を与えられても、たぶん従わないだろう。


頸椎のヘルニアで指に痺れが出てきてる。腰痛は以前よりもヒドイ。変形性膝関節症で、特に左の膝が痛む。アキレス腱周囲炎でカカトに針が刺さったような痛みが出る。決まった時間での睡眠と食事が出来ていない。老人になると良く起きる事で、そういう話を聞いてると、うるさいジジババだと思っていた。まさか自分がこうなるとは・・・。

あのうるさいと思っていたジジババと同じ様に、病院通いをして、そこを社交場と楽しもうなどという気はさらさら無い。ただ、いつ頃になったら身の処理を始めるのか、その時の備えのためのカウントダウンはいつ頃からか、これが医者に聞いても全く分からない。


あの京都大学の先生は、一体どの様な資料を基に、ご自身の寿命を計算されたのだろうか。

施設で管理されるのは真っ平ゴメンだ。自宅で猫と一緒に暮らし、下僕のごとく食事とトイレ掃除だけで過ごすのも嫌だ。さりとて子供の家に引き取られて、うるさく言われるのは更に嫌な事だ。まさかこんな事になるとは思わなかった。

と、身の自由が利かなくなると、老人になると誰もが思う事なのだろうが。何とも自分自身の事とは言え、面倒くさいモノだ。

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