子どものときの動物園遠足を思い出して
最近、初めて小説を書き始めた。正確に言うと初めてではなく、子どものころはよく物語を書いて、祖父母や両親に読んでもらっていた。
祖父母に最初に物語を書いて渡したのは、小学校3年生のとき。
母がわたしの拡大写本〈弱視のための文字を大きく手書きで書いた本〉を作っていたのを見て、わたしも自分で書いた本を綺麗に製本するやり方を教えてもらって、本らしいものにしてお誕生日プレゼントに渡した。
それから物語を書くことにはまって、高学年のころは、大学ノートに沢山のお話を書き溜めていた。
本を読むのも好きで、読みたい本を拡大写本してもらったり、拡大読書器に入れて小さな文字のまま読んだりして、沢山の本を読んだ。そして、自分でも書いてみた。
でも、大人になるにつれ、いつしか本を読むことは続けていたけれど、書くことはしなかった。
「子どもだったから書けたけどさ…いまはもう思い浮かばないし、書けないなぁ」
そう、思っていた。
だけど、きっかけがあって、noteを書き始めた。エッセイみたいなものを、書いていこうと思って。書いているうちに、気づいた。
エッセイを書いていると、自分と向き合えるということ。
エッセイを書いていると、過去も今も未来も見つめて生きていくことにつながること。
エッセイを書いていると、他の形式の文章も書いてみたくなること。
それから、他のnoteを書いている方に刺激を受けた。
エッセイで考えさえられたかと思えば、笑わせてくれたり。
小説を書く方も多くて、そのクオリティの高さに驚いて。
「わたしも、書きたい!」
そう思ったら、急に書きたいことが頭に浮かんで、一気に書き始めた。
***
本当に、急に思いついて、急に書き始めた、わたしの初めて家族以外の人に読んでいただいている小説。大人になってから書いたのも初めて。
弱視の小学校4年生の女の子、まおちゃんが主人公。
「リコちゃんの話?」と思って、読んだよっていう声も聞こえてきたけれど、完全なフィクション。
社会科見学や遠足の前になると、不安を感じるまおちゃん。
「ちゃんとついていけるかな・・・」
社会科見学で子ども科学館に行くけれど、見えにくいまおちゃんが見えている子とまったく同じようには過ごせなくて。ちょっと胸がキュッてなるときもある。
そして、プラネタリウムで不思議な出来事が起こる。
この物語は、フィクションだけれど。
わたしが小学生のとき、こんなことを感じていたな、とか、こんな場面ならこう感じていただろうな、と思う気持ちを、まおちゃんとほんの少し重ねたりもしている。
わたしも、小学校3年生か4年生のときに、動物園に遠足に行ったときのことを今でも覚えていて。
動物に夢中になって、グループの子たちが走って行っちゃって。
子どもだから悪気はなくて、「あっちに〇〇いるー!」ってはしゃいで走って行くみんなの後ろ姿。
広い動物園で、「待ってー!!」って言いながら、半泣きになりながら、追いかけた。後ろ姿がどんどん見えなくなって、不安だったなぁ…。
わたしは、見えにくい弱視だけれど、普通の小学校に通っていたから、こういう経験は結構あって。
そんなちょっと胸がキュッとなる遠足を思い出しながら、まおちゃんのストーリーを書いている。
いまは第2話まで公開していて、これからまおちゃんに不思議な出来事が起こる予定!6日までに最後まで公開したい。がんばらなくちゃ!
この物語をちゃんと満足のいく形で書き終えることができたら。
弱視の子どもにも、そうでない子どもにも、昔子どもだった大人にも、多くの方に読んでもらえてわくわくしてもらえる作品になったら幸せだなぁ。そんなお話になるといいなぁ、と夢見ている。
【まおとプラネタリウムーぼんやり見えるその先に 】
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