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”すき”について

人間同士がマルバツを付け合うのって怖い。

こいつはマル。こいつはバツ。
女と男がマルバツを付け合うのって怖い。
こいつはマル。こいつはバツ。

人と人は、
赤ペンでマルバツ付け合うためにいるんですかね。
経済みたいに。
まぁでも、そうかもしれない。
大人になるほどそうなって行く。
別にいいけどさ、経済でも。
マルバツでもいいよ。
ただ、それだけだと”楽しくない”気がする

「見る」ことと「評価する」ことは違うと思う。


聞いているつもり、見ているつもりで、
やっているのは評価と分類。


しかも「決め付け」で。ほとんど見る前から。
それって楽しくない。

自分が他人に点数をつけられたり、
マルバツつけられたりしてることもわかってるから、
喋っているフリをする。当たり障りないように。
要は、社交、付き合いだ。
付き合いを”たのしい”とは言わないし”すき”とは言わないと思う。

本当に聞かないと、本当に見ないと、本当に伝えないと。

子供の頃はアホすぎて
評価なんか全然できなかった。


自分に降りかかることが全部巨大すぎて、


しょーもないことで、ワクワクできて、
本当にくだらないことで、絶望できた。


だから、簡単に”好き”になれたんだと思う。


「スタンド・バイ・ミー」
爽やかそうで、実はかなり残酷なストーリー。

子供はリアルで残酷。だから心から楽しめる。


だって友達と、こっそり”死体”を見に行く話だもん。(原作のタイトルは「死体」)
なんで、「星を見に行く」じゃなくて「イルカを見に行く」じゃなくて、”死体”なの?


死体を見に行くのは”悪いこと”だから。悪いことは”親友”とだからできる。


悪いことは親友とじゃないとできない。

親友と一緒なら、できる。秘密の、悪い、ダメなことを。
星を見に行くのは海を見に行くのは、親友とじゃなくてもできる。


それは大人がやることかもね。
正しいことは大人のやること。社交的で、安全なこと。


正しいことなんて、ただの付き合いだ。
でも本当に楽しいことは、間違いを帯びている。危険を帯びている。


死体を見に行くのクリスとじゃないと出来ない。
親友?あるいはゴーディとクリスは恋人同士なのかもね。


恋人の方がしっくりくる、ほとんどラブストーリーだね。
月明かりしか見えない暗闇でも、怖くないよ。


君だけは僕と一緒に踏み外してくれる、僕と一緒に間違えてくれる。


本当に、聞いてくれる。本当に、見てくれる。本当に、君を見ている。


だから僕のそばにいて。ダーリン、ダーリン、そばにいてね。

すき。

他は全部経済でいいけど、
”すき”だけは、積極的な”間違い”の中にあって欲しい、
”たのしい”は無垢で、少しグロテスクなエゴイズムだと思う。
たのしいが可能なのは、彼らが子供だから?


そうかもしれないけど、それもやっぱり決め付けかも、
僕ら、そんなに大した経験してますかね?

物事を評価、分類できるほどの。
5歳児が3歳児に威張るぐらいの違いしか、本当はないんじゃない?


30歳になったぐらいで、そんなに威張るなよ。
だからむしろ今からでも、
積極的に間違えた方がいいですよ。
怪我したって、いいじゃない。
それが出来ないのは、大人子供とかじゃなくて、
ただ勇気がないのかもね。


勇気と残酷さがあれば”たのしい”は全然可能だ。


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