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あと2日~家族の立場から臓器移植を考える~


高校3年生、受験を目前に控えたある日、
母がPBC:原発性胆汁性肝硬変(現:原発性胆汁性胆管炎)であることを聞かされた。調べてみると、移植しか助かる方法が無いらしい。

その日をきっかけに臓器移植について考えた記録。


今思えば、母のPBCの初期症状である全身の痒みは、私が小学5年生の頃からあった。掻いても掻いても痒みが止まらない様子で、寒冷蕁麻疹とかじゃないの?ってくらいにしか考えてなかった。

高校生になり、私だけが親元を離れることになり、母と離れて暮らしたこともあって、聞いた経緯しか分からないけど
元々生理が重かった母に、田舎の小さい病院では見つけられなかった子宮ガンが見つかり、ガンの転移検査をした時に病気が見つかったらしいということ。

大学に入ってからは、親と絶縁状態だったこともあったりで、詳しくは聞けなかったけど、

それからまたしばらく経ち、22歳の夏。
ようやく、母の通ってる病院が地元の隣の県にあることを聞いて、母には内緒でお医者さんに病気についての話を聞きに行った。

正直、なにがなんだかさっぱり。
とりあえず薬がウルソってやつしかないこと。
やはり移植をする以外に助かる道はないこと。
それだけが、分かったことだった。


当時の私は精神的に弱すぎて、OD(大量服薬)とかもしてたりして。
死にたい願望が何十年も続いてて、どうせ死ぬならお母さんに臓器あげれたらいいのにって思った。

後に、自殺者は臓器提供出来ないことを知った。

母に何度も何度も、『私の肝臓もらってよ!』ってお願いしたが
結婚もしてない娘の身体を傷付けることは出来ん!って断られた。

あたしに出来ることは何も無いんだって思ったら悔しかった。


そして、私が25歳になり
母が臓器移植ネットワークに移植希望登録をしたことを聞かされた。

娘からもらえんのに、他人からはもらえるんや、、ってのが
正直な感想だった。

私が27歳になった冬。
母に順番が回ってきた連絡があった。

けど、正月だったこともあって、移植コーディネーターさんの携帯番号を登録しておらず、母も叔母も電話に出なかったらしい。

もう、何やってんの?!!!って信じられなかった。
なんで母の次に連絡かかってくる親族を叔母にしてたのか、私だったら直ぐに気付けたのに!!って、悔しさと怒りで気持ちがぐっちゃぐちゃになった。


それから間もなく、母は大学病院に入院した。

夜の仕事をしていたので、昼から1時間弱かけて病院に行って、面会時間ぎりぎりまで居て、それから仕事。
1時には営業終了するけど、後輩が自傷行為したりしてたから
お店と協力してその対応とかもしてて、平均睡眠時間は2時間くらい。

精神的にも体力的にもきついけど
お母さんの方がもっときついはずだって言い聞かせて、なるべく毎日通った。


お母さんが『ケーキ食べたい』と言った日があった。
主治医にもokもらえたし、美味しいケーキ屋さんを調べて母に差し入れした日。

ケーキ4つ買っていってお母さんも2つペロッと食べちゃって。
なんだ、今日は体調良いんだって安心した。

でも、その日は今でも忘れられない1日になる。

夕食の時間、母が自分で食事をしようにも、手がピクピク自分の意思とは関係なく動いてしまい、上手く食事が出来ないようで。
昼まではケーキ、自分で食べれてたのにって思いながら私が食事介助をした。

これが関係あるのか無いのか、お医者さんたちはハッキリとは言わなかったけど、母は誤嚥性肺炎になった。

無知のままに食事介助をしてしまった自分に腹が立った。
なんであの時、看護師さんたちに食事介助を頼まなかったのか、って自分を責めた。

それから熱が続き、昏睡状態になり、人工呼吸器も付けられ、ICUに母は入ることになった。


いつも通り病院に行く支度をしていると、病院から電話。
主治医から話があるとのこと。

嫌な予感しかしなかった。
行きたくないし、聞きたくなかった。

病院に着いて、お母さんに話しかけて、看護師さんに先生に来てること伝えてくださいってお願いしたら、なんか周りがバタバタし始めて。

まぁでもそこはICUだしって思ってたら
主治医が母の病室に来て

『ドナーが見つかりました』と。
『どうされますか?』

もちろん、移植はお願いしたいし、本人の意思で臓器移植ネットワークに登録してるなら本人も望んでるはず。

って思う反面、ここで助かっても辛いリハビリ、一生飲み続けなきゃいけない免疫抑制剤、そもそも拒絶反応起こしたら、、とか。

母の今後の一生の、生死の選択権を委ねられた気分だった。

主治医から
『今日呼び出したのは命があと2日持つか持たないかだから覚悟をしてくださいと話すつもりでした』と。

もちろん、母の命が繋がることが大事だって思ってる。
けど、、けど、、って。

でも、ドナーの御家族様も覚悟をしてくれた。
だったら、命を繋ぐ、母の命を守る覚悟をしよう、と。


それから移植手術をお願いし、母の意識も戻り、辛いリハビリも乗り越えて、今は免疫抑制剤を飲んでること、ちょっぴり精神的に弱くなってること以外は順調に回復している。


臓器移植、なんて自分に関わるわけないって思うのが普通だし
関わらない方が良いし。

だけど、母の病気があったおかげで命について考えることが増えた。

臓器移植というと怖いイメージとか、倫理的にどうなの?って思う人が居て普通だと思う。

だけど、人はいずれ死ぬ。
死んだら、燃やされて骨しか残らない。

その時どうしたいかを考えることこそが命を大事にすること、そして生きることだと私は考えている。

私の意見は、どうせ燃やされるくらいなら
誰か1人でも助けられたら、幸せに死ねるよねって思う。

1人の命で11人の命を繋げることが出来る。

現状は、100人、臓器移植を待っている人が居て、うち2人しか臓器移植出来ていないのが日本の現状であって。

別に、臓器移植することがカッコいいとかすごいとか
そんなんじゃなくて、

あげなくてもいいし、もらわなくてもいい。自分の命なんだから、自分で決めていい。

自分が脳死状態になったとして、臓器提供の最終決定は家族にあって。
本人がいくら臓器提供望んでいたとしても、家族の誰か1人が嫌だ!って言ってしまえば、臓器提供は行われない。

身体切り刻まれるんでしょ?って思うけど
もちろん、メスは入るけど確か一本線だけ。その身体は敬意を持って、丁寧に丁寧に扱われる。

私は死ぬなら臓器提供したいし、その傷ですら自分が最期の最後まで一生懸命に生きた誇りだと思う派だけど
死んでいたとしてもメスが入るのは嫌だって考えも、それも普通だと思う。

私が正しいとも思わないし、間違ってるとも思わない。
全ての意見が尊重されるのが普通であり、当たり前。


家族と臓器移植について話す、ということは
気もつかうだろうし、心苦しいし、非日常的で現実的に考えれないし、何言われるか分からんし、だから、怖い。

だけど、それがみんな当たり前に出来るようになったら
何人の命が未来に繋がるんだろうか?

考えてなかった、よりも
考えたうえで臓器提供する/しないの最終決定を
家族に委ねることを私は推奨したい。



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