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不登園に対し母として行ったこと

息子は保育園に行けなくなった期間があった。それは過去の記事でも何度か書いていて、それについてひとつの記事にまとめたいと思いながらも、いつもうまく書けなくて止まっていた。
夏から今にかけて、およそ9ヶ月、濃密な時間だった。けれど、一緒に過ごすほど、たくさん話すほど、息子と私は別の人間であるということを実感するし、結局彼の思いや考えは彼にしかわからない。まだ表現する方法に長けていないので、うまく言えていないこともきっとあるのだとおもう。
彼の不登園に際して、私がとった行動が正解だったのかはわからないし、もしかしたらもっと良い方法があったのかもしれない。でも、その時その時最善と思う道を選んできたし、できることはすべてやった自負はある。なので、それについてまとめておきたい。

1.母子の信頼関係の再構築

息子の不登園は今思えば急なことではなかった。その1~2ヶ月前から行き渋りがあって、本人は一生懸命訴えかけていた。でも、「登園すれば楽しく遊んでいる」と聞いていたし、仕事もあるので気軽に休ませるのも違うと思って、「はいはいそんなこと言ってないではやく行きなさい。行ったら楽しいって聞いてるよ」と適当に聞き流していたのだ。これは子どもからすれば、ひどく傷つくことだったと思うし、「お母さんは僕の話を聞いてくれない」と、母に対する信頼を失ったと思う。
なので、まずは家庭を、母を安心できる存在として今一度彼から信頼されるように努めた。実際にしたことというと、本当に小さなことの積み重ねばかりだ。本人の話を聞く。本人に選ばせる。約束を守る。ルールを守る。スキンシップや、言葉での愛情表現など。甘やかしはしないが、甘えさせることはたっぷりとした。

もう少し具体的に説明したい。
これは実際にあったことなのだけれど、通りかかった本屋で突然、「この本が欲しい!絶対に欲しい!買って!!」といわれることがあった。別に買うこと自体は構わない。けれど、今日は本を買う予定ではなかったし、本当に一瞬見ただけのもので、衝動的に欲しがっているだけなのでは?と親としては思う。欲しいとゴネれば買ってもらえる、と思っては欲しくない。
それで、「そうなんだ。息子くんはこの本が欲しいんだね。」とまずは本人の話を受け入れる。そのうえで、「でも今日は本を買う予定ではなかったからお金を持っていなくて買えないよ。」と説明をする。当然、息子は猛烈に怒るし場合によっては泣く。それでも毅然として態度を一貫させる。「大きな声だと耳が痛いよ。今日は買えない。どうしても欲しいのなら、また次に来た時に買おう。」そう伝えてもどうしても気持ちが落ち着かないのであれば、その場を離れて抱っこしながら、「買ってもらえなくて悲しいんだね。わかるよ。」「素敵な本だったもんね。」「気持ちが落ち着かないんだね。お母さんにしてほしいことはある?」と落ち着くまでなだめすかす。因みに、この時は梅田のど真ん中で小一時間なだめすかした。わんわん泣いて怒るので電車にも乗れず、あの時はさすがに根負けしそうだった。今となっては笑い話のネタだけれど、当時は疲労困憊でキレそうだった。
このケースでいえば、まず「本が欲しい」という息子の気持ちを一旦受け止める。そのうえで、「今日は買わない」と一度提示したルールは守る。ここでギャン泣きに負けると、同じことを繰り返すからだ。「お母さんはゴネてもダメと言えばダメだ」と学習しているので、今はあまりこういうゴネ方はしない。それから、「どうしても欲しいなら、また次本屋さんに行ったときに買おう」という約束は守っている。本人が覚えていて、次の時にも覚えているのであれば買うようにしている。
彼の気持ちを受け入れながらも、主導権はこちらにある。そのルールは徹底しているし、彼もそれを理解していったと思う。

約束を守るという点では、登園再開直後、「園内で待っていてほしい」と言われたので、最初数日は先生にお願いして園内で待たせてもらった。保育室内ではなくて、園内の端っこでひっそりと息をひそめていた。結局、心配していたような「やっぱりもう帰る!」みたいなことはなく、「あれ、お母さんいたの?」といわれるくらいのものだったけれど、もしも「もう帰りたい!うわーん!」となったときに、「待ってると言ったのにいない」という状況はウソをついたことになる。待っていると言っておきながら実は帰宅していました、というだまし討ちはしないように心がけた。
それから、登園再開後のお迎えの時間も絶対に守るようにして、5分前には園に着くようにしていた。

その他、家でも「~やりたい」と言われて、「また今度ね」といえば、また今度の機会は必ず設けるようにした。とにかく、息子とした約束はきちんと守る。大したものじゃなくても、彼が覚えていてモチベーションがある限りは、誠実に対応する。子どもだからと適当にせず、ひとりの人として、きちんと対応した。

スキンシップや言葉での愛情表現は言うまでもないと思う。ハグをたくさんしたり、抱っこしたり、なでたり。息子も癒されたと思うけれど、私も息子の体温に癒された。

言葉での表現は、Iメッセージを常に心がけている。例えば工作を作ってきたとして、「息子くんすごいね」ではなく、「見せてくれて嬉しいよ。この部分がかっこいいね」とか、面白い絵本を借りてくれば、「すごく面白い本だった!借りてきてくれてありがとう!」と、私がどう思ったか、を伝えるようにしている。もちろん、「センスがあるね」とか「アイデアがすばらしい」とか「前よりもっと上手になったんじゃない?」と、彼自身を褒めることもあるけれど、YOUメッセージ単体というのはできるだけ避けるようにしている。
あとはシンプルに、「息子くん、大好きだよ」「お母さんの宝物だよ」と伝えている。「保育園に行っていなくても、」とか「お料理を手伝ってくれるから」とか、ネガティブでもポジティブでも、条件付けはなんだか嫌だし、息子がどんな子どもであったとしても私は彼のことが好きなので、シンプルに伝えるようにしている。

2.各所との連携

具体的には、保育園、療育、職場。
保育園、療育施設、どちらも本当に熱心にそしておおらかに息子を見てくださり、感謝しかない。登園再開後の登園ペースの提案をしていただいたり、園での生活でもいろいろと試行錯誤して対応してくださっているようで、本当にありがたく思っている。
一時は「もう保育園はやめた方がいいじゃないか」とも思ったけれど、先生が嫌いとか、お友達と喧嘩したとか、そういう理由ではなさそうだったし、これまでお世話になっている間、母として信頼してお願いしている園だったので、息子の居場所を手放したくない気持ちもあり、不登園でも急いで退園や転園はしなかった。登園を再開してから、どうしても無理というのであれば転園も視野にと思ってはいたけれど、園に理由があるのではなく、息子自身の問題だと思ったので、結局転園することなく今もお世話になっている。
不登園になって、息子とニコイチになっている間、仕事もできず社会から断絶され、この先また保育園に行けるようになるのかわからない、という中で、迎え入れてもらえる場所があるということは本当に心強かった。

それから、職場について。これも本当にどうなるかわからなった。在宅勤務でタスク型の仕事をしているので、先行き不透明ならもうサヨウナラ、となっても仕方ないと思ったし、かといって日中息子の対応をして、息子が寝てから仕事…というのは体力的にも精神的にもきついものがあって、上司に正直に状況を説明した。ありがたいことに、「私も子ども小さいころ登園渋りで大変な思いをしたことがあるし、今は息子さんについていてあげて。仕事は相談しながらやっていきましょう」と言っていただき、職を失わずに済んだ。もちろん、一時的に収入は減ったけれど、戻れる職があるという安心感は本当にありがたかった。

この辺りについては、本当にラッキーだったとしか言いようがない。園や職場によってはこうはいかないことが多いと思う。私の場合は、取り巻く環境が私たち親子をゆっくりと見守ってくれたおかげで、焦らずに息子に向き合うことができたと思っている。

3.お金について

ちょっとばかり生々しい話だけれど、これも大事だと思うので書いておく。
子どもが保育園に行かないとなると、さて家では何をしたものか、となる。我が家の場合、18時まではTVはつけない(タブレットで動画も×)というルールを最初に設定したこともあって、朝から18時までは何かネタを探さねばならない。しかも、ちょうど世間が夏休みに入る頃だったこともあって、猛暑と人込みのダブルパンチ状態だった。家で過ごすか、あるいは外出するか。いずれにしても、ある程度お金は必要となる。

我が家はこの年幼保無償化対象の年齢になったところだった。それで、それまで払っていた保育料と、この年から払うようになった保育料に差額が出た。この差額は貯めておいて追々習い事や塾に行き始めたらその時使おうと春からストックしていたので、これを使うことにした。数年先か、今か、どちらにせよ息子のために使うのだ。だったら今こそ使い時と、思いきることにした。

家で過ごす中では、以前記事にしたosmoイカの解体、絵本、図鑑、レゴ、ボードゲーム、絵具、パズル…等、色々買った。息子が選んだものもあるし、私が気になって与えたものもある。結局やってみないと何にハマるかわからないし、すぐにはハマらなくてもしばらくするとハマることもあるので、このあたり必要経費というか、投資というか、そういう感覚だ。

猛暑の中外出するとなると、水族館とか、映画館あたりがちょうどいい。中は涼しいし、それなりに時間がつぶせる。ショッピングモールは買ってもらえないストレスの方が大きくなってしまうし、息子はそんなに楽しい場所と認識していないのであまり行かなかった。
水族館とか動物園に行くと、交通費、入館料、体験、食費、物販でおおざっぱにみて1万円くらい。物販では中にあるショップで息子に好きなものをひとつ選ばせる。たとえそれがマスキングテープであろうと、魚柄のトレーラーであろうと、文句は言わないようにしている。否、最初は言っていたけれど、途中から辞めた。私から見れば価値がないと思っても、その時その瞬間の息子にとっては価値があるのだ。だったら、それに口を出してはいけないなと途中から改めた。というのも、私自身アクスタやらランブロやらペンライトやら、興味のない人から見れば無価値なものに課金している。好きなものに課金することは楽しいし、人からそれを判じられるのは不愉快だ。その自分の感覚を息子にも適用した、というかんじだ。

一度遠出をした時は、かなり余裕を持ったスケジュールで2泊3日にして、新幹線、宿代、食費、遊行費、お土産代で大体5万円くらいだったと思う。これについてはまた記事にしたい。

何にせよ、不登園という不測の事態で先行きも不透明、親の気持ちもかなり不安定になる。その時に、上限はあるにしてもある程度金銭的余裕をもって一緒に過ごせたのは気が楽だった。旅行は別にして、大体月2万円以内くらいには収まっていたとおもう。

4.母のメンタルその他

これはやったことというか、その時どうだったか、ということだけれど、正直かなりつらかった。不登園なりたての頃は、突然に涙が出ることもしばしばあった。「これからどうなるんだろう」とか「この子は~なんだろうか」とか、そういう明確な不安とかではなく、唐突に不安になって涙が出たかんじだった。
でも一番不安なのは息子であって、その息子の前で私が泣いていたら心配するし、彼に罪の意識を持ってほしくなかったので、できる限り息子の前では泣かないように心がけた。どうしても無理だなと思った日は、あえて外出したりした。外出中は安全や水分補給や、まあ色々と気にすることがあるし、人目もあるので泣いてる場合ではない。家にいて暇だから泣いていられるのだ。この辺りは赤ちゃん時代の追い込まれたときの思考展開と同じ。
一緒に過ごしているうちに、思いがけず息子の成長を目の当たりにして、「ああこの人は大丈夫だな」と思うようになると、別段不安で泣くことはなくなった。
それから、一緒に過ごして、太った。ちょうど一年くらい前、ジムに通って10kgほど絞ったのだけれど、息子と過ごすようになって結局7kgくらいは戻ってしまった。でもこれはもう、仕方ないと思っている。自分のことは完全に二の次三の次だった。それくらい必死だったし、もちろんストレスもあった。あの状況で自分の食事や運動まで気を付けられるほどの余裕はなかったので、これについてクヨクヨ悩んだり後悔しても仕方ない。運動すれば落とせるのはわかってるし、食事のポイントもだいぶわかってきているので、また絞ればいいとおもう。

最後に、不登園からの色々を振り返りたい。まあ決して楽ではなかったけれど、悪い経験ではなかったと思う。もちろん、また同じことが起こるんじゃないかとか、小学校どうしようとか、不安の種にもなったし、単純にキツい期間だった。母子の境界が曖昧になって、自分が母親といういきものになりきってしまうこともつらかった。
けれど、今の段階で息子にそういう部分があるということがわかったのはかなり大きなメリットだと思う。彼とどういう風に対話するのか、どんな風に向き合っていくのかを3歳児の段階で経験できたことはかなりいい経験だったし、もしも今後学校に行けないようになったとしても、少しは落ち着いて対応できる気がする。
それに保育園に預けていると、一日の中で一緒にいる時間は案外短い。起床後~登園まで、降園~寝るまでと、土日だけ。子どもはぐんぐん急成長していく。見逃していた彼の成長を、この期間で見ることができた。それはとても幸いだったと思う。

あくまでも我が家の場合は、という枕詞を繰り返すしかないけれど、周りの環境にも恵まれ、調子の波はあるものの、登園は再開できている。誰かの役に立つかはわからないけれど、進級前にちゃんと形にできてよかったとおもう。






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