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こんにちは、あこです。


随分ご無沙汰してしまいました。


みなさん、お元気ですか?


先日、岡山に住んでいる親戚のお家へ行きました。


元々は7日間の滞在予定だったのですが、行きは台風6号、帰りは台風7号の影響を受けたため、最終的には10日もお世話になることに。


4年ぶりの岡山帰省(←私の祖父の実家なので、正確には”帰省”とは言いませんが…)ということもあり、倉敷の街を散策したり、四国へ渡って北川村の「モネの庭」や牧野富太郎の植物園(牧野植物園)へ行ったり、みんなでトランプや花火をしたりと、盛りだくさんな”帰省”となりました。


次は冬に行く予定なので、今からとても楽しみです!


*****


今日、バイトを辞めることを生徒たち(←小学生)に伝えてきました。


実は5月頃から辞めることを考えていたのですが、


「途中で辞めるなんて無責任だよね・・・」


「でも、学生生活もあと1年ないし・・・」


「いやでも、受験まで見届けたい気持ちもあるんだよなぁ・・・」


「今は自分のやりたいことを優先してもいい時じゃないかな・・・」


「辞めるんじゃなくて、週1とかにするべきかな・・・」


と、クヨクヨクヨクヨ悩んだ結果、


「中途半端なのが一番良くない!辞めるか、続けるかの二択だ!」


「よし、8月いっぱいで辞めよう!」


という決断に至りました。


自分の話をスパッと切り出すのが苦手な人間なので「あぁ、どのタイミングでどう言おうか…」と悩んでいたところ、今日に限って生徒が


「先生!9月の先生の授業ってどうなってる???」


と聞いてきたので、


「実はさ…..」


と伝えることができました。


正直、「先生辞めちゃうの〜」というしみじみ展開を予測していたのですが、


「え、そうなの!まぁでも先生4年生だもんね」


「次の先生どんな人だった???」


「先生、ちゃんと〇〇先生(←教室長)に辞めるって言った?」


「先生、僕のお母さんにはいつ電話する予定?」


「引き継ぎとかも必要なんでしょ?」


と、最終的には私がきちんと”辞められるか”まで心配されました(笑)


今日が最後の授業だった子には


「まっ先生も頑張れ!」


「じゃあね、せんせ!元気でね!」


と、超明るくサヨナラされ、なんだか最後まで”らしい”なぁと思いました。


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「おかあさんに怒られたぁぁ〜」と言って塾に来るなり大泣きしたり、「先生こっち向いて!こっち向かないとペンで書いちゃうから!」と言って私の仕事着(白衣)に落書きしたり、大雪の日に雪山へダイブして全身ビッショビショの状態で塾に来たり(←塾にあるタオルを総動員して私が必死で拭いた)、「先生、歩道橋から落ちた時に宿題プリント飛んでった」と漫画みたいなことを言ったり(←後に本当のことだと判明)、かと思えば、「先生、もう大学3年生だけど、良い人いないの?」「先生、30歳に見える〜」と急に大人びたことを言って私の心をえぐったり、色々と”しでかして”くれた愛すべき生徒たち。


もちろん授業や進路フォローなどはきちんとしていましたし、大変なこと・悩んだこともありましたが、思い出すのは、しょうもなくて、おかしくて、おもろかったことばかり。


それに、最初は「勉強なんて嫌いだ」「塾になんて来たくない」と言って宿題に一切手をつけず、私を含めた塾の先生たちの話を完全無視していたちびっ子たちが次第に心を開いて、「今日は宿題やった」「ちょっとだったら難しいのやってあげても良いよ」と言うようになり、遂には毎回の宿題提出はもちろん、自分から挨拶してくれるようになったことを思うと、言葉にならない喜びで胸がいっぱいになります。


みんな、大きくなったね。


2年間、ありがとう。


*****


塾を、そして勉強を、嫌いにならないでほしい。


塾や勉強を、辛くて苦しいだけの場所/ものに、しないでほしい。


学校だけが居場所じゃないことを、忘れないでほしい。


2年間、その想いを胸に、生徒たちと向き合ってきました。


それは、私自身が塾に”救われた”経験があったからです。


小学生の時、学年が上がるにつれて人間関係が拗れてきました。


学校から帰ると泣いて、怒って、笑ったかと思えばまた泣いて、怒って、というような”やばい”状態だったそうです。


というのも、私には当時のそういう記憶がほとんどなく、母に「こうだったでしょ」と言われて「あぁ、そうだったかも」と思えるくらいしか覚えていません。楽しかったことは思い出せるのに、そういう辛くて悲しかったはずの出来事は、ほとんど思い出せないのです。


そんな私にとって、塾は唯一のオアシスでした。


優しい受付のお姉さんと、面白くて楽しい先生たち。


明るくて個性豊かなクラスメートと、いつの間にか知り合っていた中学生のお兄さん・お姉さんたち。


授業がない日もみんなで塾へ行って、問題集や過去問を解きました。


ケアレスミスをして先生に怒られたり、偏差値が伸びなくて焦ったりしたことはもちろんあったけれど、それ以上に、「学校以外の居場所がある」「学校の先生・クラスメート以外にも、私を受け入れてくれる人がいる」「楽しい時間を過ごせる場所がある」ということが、自分にとって大きな支えになっていたと思います。


大袈裟に言えば、当時の私にとって塾は「自分のままでいられる場所」でした。


もちろん、塾の全てがそうではないでしょうし、”あの時の・あの塾だったから”、”あの時の先生・あの時のクラスメートだったから”、私はのびのびと過ごせたのでしょう。


(因みに私の場合はたまたま塾でしたが、”のびのび過ごせる場所”が塾である必要性は、全くありません。)


それでも、私はそうだったからこそ、生徒たちにとっても、少なくとも「嫌な」場所ではあってほしくない。


できるだけのびのびと、できるだけ楽しく塾で過ごしてほしい。


塾講師として正しい想いだったのか、適性があったのか、今もわかりません。


自己満足だと言われても仕方がないと思います。


それでも、この想いを胸に、生徒たちと向き合い、過ごしてきた日々に後悔はありません。


塾講師としての2年間が私にとって必要な経験だったことは、間違いないでしょう。


私は塾が、好きでした。


*****


塾講師として働くうち、自分が生徒だった頃には見えなかったことが見えてきました。


家族とは、親とは、そして、”教育”とは何か。


塾はオアシスではなかったけれど、それでもやっぱり惹かれてしまう。


塾は、魔性。


それでは、また。