授業中のちょっとした試食
突然ですが、ラジオと教科書は、どこか似ているなあと、ふと考えたことがあります。
教科書と言われると、学校で使うものだし少し固い印象がありますが、知らない情報に出会えるという点では、ラジオと共通する部分があるのではないでしょうか。
私にとってラジオは「カルチャーの教科書」だと考えています。
耳からランダムに新たな情報が入ってくることで、社会や文化について知識が増えることはもちろん、自分の興味を広げることができるからです。
(…という内容の記事を、以前J-WAVE NEWSというJ-WAVEのWEB記事媒体にて執筆したことがありました。宣伝になってしまいますが、ぜひ読んでみてください。)
反対に、教科書そのものは、新しいことを学ぶための道具です。
だから知識がインプットされたり、未知との遭遇があるのは当たり前だろうと思われるかもしれません。
でも、単に何かを知るだけではなくて、そこから自分の好きな人やものが新たに加わる経験もあったりします。
そこで今回は、ラジオと教科書の共通点である(と思っている)「偶然の出会い」について、教科書の側から書いてみようと思います。
私は学校の教科書の中でも、特に国語の教科書がすごく好きでした。
授業中に別の作品を読んでいても、先生から見れば真面目に授業を受けているようにしか見えないので怒られないし(先生ごめんなさい)、何より自分が今まで読んだことのない作品や作家を数多く知ることができるということが魅力的でした。
色々な作品を読んできた中でも、偶然の出会いで衝撃を受けたものを2作、ご紹介したいと思います。
1.「バックストローク」小川洋子 著
「まぶた」という短編小説集に収録されている作品です。
語り手である「わたし」の母は、弟のことがお気に入りでした。なぜなら水泳で才能を開花させ、背泳ぎの強化選手に選ばれたから。しかし、弟はある日突然、左腕を耳に沿って伸ばした格好で固まってしまい--。
この先は絶対に言いたくありません。
ラストが想像の斜め上すぎて、授業中にもかかわらず悲鳴とも感嘆ともとれる変な声が出そうになりました(先生ごめんなさいその2)。
なんともいえぬ複雑な感情を、読後もしばらく引きずったほど。
ぜひ多くの方に同じ感覚を味わっていただきたいです。
2.「デューク」江國香織 著
「つめたいよるに」という短編集に収録されています。可愛いイラストが入った小さな単行本も出ていました。
主人公の女性が愛犬「デューク」を亡くした次の日、悲しみに暮れながら乗った電車でハンサムな少年に出会い、不思議な1日を過ごします。
これ以上言いたくない!ので読んでください。
これは「バックストローク」とは違った意味で、授業中に大泣きしそうになりました(先生ごめんなさいその3)。
普通に生きていたら絶対にあり得ないと思ってしまうSF的な展開です。
にもかかわらず、「もしかしたらこんなこともあるかもしれないなあ」と感じてしまう。
その日常にすっとなじむ文体と大げさでない表現が、物語の魅力を最大限に際立たせています。
作品や作家との偶然の出会いって、意外と難しいな、と普段読書をしていて感じています。
どうしても、自分の知っている作家や好みのジャンルばかり読んでしまうからです。
しかし国語の教科書は、試食のように、様々なジャンルの物語を少しずつ味わうことができます。
それによって、未開拓だった自分の好みや、今まで経験したことの無い感情の引き出しを知ることができていたのかもしれないと、今になって感じています。
教科書に頼らずとも、色々なことに対しての新たな扉を自分自身で開いていくことがちゃんとできるようになりたいと思いつつ、できていないことを反省しています・・・。
<ここで一曲>
映画「聖☆おにいさん」の主題歌になっていたこの曲。漫画のことを歌った歌詞ですが、なんとなく教科書の中の物語にも通ずるものがあるような。
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