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教科書に載るために

 私は自己顕示欲が高い。どれくらい高いかというと、歴史の教科書に自分の名を残したいくらい高い。生まれた場所には石碑が立って欲しいし、死後しばらくして評伝が出てほしい。
 しかし、前途は多難である。そもそも教科書に名前が載るような人物はあまり幸せな一生を送っていない。むしろ後世における評価は不幸の度合いに比例する側面もある。源義経が兄貴と仲良くやっていたら全然感動しないし、織田信長が本能寺でちゃっかり生き延びちゃってもしっくりこない。「ラスト・エンペラー」こと皇帝溥儀は植物園の庭師で人生を終えるところにグッとくるわけで、それなりの地位を保障されていい暮らしをしていたとしたら、誠に申し訳ないがシケる。

 教科書に載りたい。しかしそのためには平穏な人生を犠牲にしなければならない。どうしようか、と悩んでいたときに一つのアイデアが浮かんだ。

 何かの目標を達成しようとする時、二つの方策がある。一つは与えられたルールの中で精一杯努力すること、そしてもう一つはルール自体を自分に有利なように変更することである。つまり、教科書に載る人物の基準を変えてしまえばいいのだ。

 歴史学において、「アナール学派」というものがある。1929年にフランスで創刊された『社会経済史年報』に集った歴史家が中心となった学派である。彼らは政治や軍事のビッグイベントやいわゆる「偉人」を中心とする歴史叙述に反対し、これまで見過ごされてきた、民衆の生活文化などの社会経済的要素の重要性を唱えた。「偉人だけが歴史じゃねーだろ」ということである。
 つまり、いささか都合のいい解釈ではあるが、アナール学派の論理に従えば「ブルータス、お前もか!」とか言いながら悲劇的な最期を迎えなくても、教科書に載ることができるらしい。実にありがたい。

 100年後、200年後、我々が生きているこの時代を後世の人々が評価するとき、その軸となるのは疫病と戦争であろう。そして2020年代は暗い時代であったという印象を持つに違いない。しかし、そんな時代にも嬉しい出来事の一つや二つは誰にでもあるはずで、それらを全て捨象して「暗い時代」と一言で片付けられるのは、あまりに殺生な話である。
 だから、私が教科書に載るとしたら、「このロクでもない時代にも楽しくやっていた人間」として紹介されたいし、さういう人に私はなりたい。


<ここで一曲>

これから歴史が変わる、、、!という緊張感と高揚感を掻き立てるイントロ。
やはり時代を創った「帝王」には敵わない。

書いた人:モンブラン13世
ひとこと:好きな歴史人物は高橋是清。
WACODES

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