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傲慢な生き方は人生の選択を誤る#35

どうも、ゆうちゃんです。
今日は少し短めですがお付き合いください。

木下斉さんの発信で腑に落ちたことがありましたので思考の整理も兼ねて書いていきます。
今回のテーマは、「所有」と「保有感」についでです。

所有・・・
特定の物について所有権を有すること。

図解六方

保有・・・
あるものを自己の支配下に置いている状態のこと。所有権に基づく「支配」のみならず、賃借権等の使用収益権その他の権原に基づく「支配」をも含み、「所有」よりも幅広い概念である。

図解六方

言葉の意味から整理すると、所有は所有権に紐付いている感じのようです。権利を有していることですね。保有は自分のものとして持っていることを言っているので、所有権も含んだ概念とのこと。

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◯万物は天からの授かりもの

住宅購入の際に思ったことなのですが、だいたい今の家って隣の家との間にフェンスとかブロック塀などで境界を作りますよね。これって何の意味があるんだろう。安くないお金をかけて(しかも施主負担)作る必要があるのかなって…

そもそも個人が土地の所有権を持つことができるようになったのって、ごくごく最近のことなんです。明治6年(1873年)の地租改正で土地の広さがしっかり測られて、しっかり地代(税)を取られるようになりました。江戸時代までは土地は幕府のもの。幕府から旗本や大名などにあてがわれていました。農民には田畑で作物を作らせて中央(各班の大名)に納税(米)。この当時の測量はかなり詳細に行われてきっちりと税を納めさせていました。

大地は誰のものか。
結論はみんなのものだし、誰のものでもないですね。
地震による地殻変動や火山活動による火山灰の積み重なりによって大地が形成されていきました。
地球上の私たちが立っている大地は、そもそも人間が所有権を握れるものではありません。もし違うとするならば、人間は誰から所有権を得ている?

◯私たちが持っているのは保有感にすぎない

少し脱線しましたが、私たちが自分のものだと言い張っているあらゆるものは、人間が作った法律によって所有権を持つことはできるようになったが、そもそも誰のものでもない…という前提で進めていきますね。

人間が作った世界観の中では例えば地価が上がるといったように、特定の条件下において価値が上がることがありますね。お金もそうだしブランド品なんかもそう。全ては人間の世界観の中でのこと。様々な経験によって、それに価値があると思うようになるから高価値になります。

2022年にNFTの波が(第二波?)来たときに私もさわり始めました。NFTアートやSNSのアイコン画像(PFP)が沸きましたが、そもそもNFTは画像でもなければ作品でもなく代えが効かないことを示す情報なんですね。それがブロックチェーン技術によって誰もがアクセスできる透明性のもとで「今、私が権利持ってまーす」と言い張れる。

ここでポイントなのは、画像は検索によって誰でもアクセスできるしスマホに保存することもできるということです。つまり、NFTの価値は画像データそのものではなくて、今権利を持ってる人を示す情報にあるんです。そして、権利を持ってる人はみんな見れる画像の権利持ってるの自分ですとドヤれる。この保有感に胸熱なんですよね。

これは今の時代のあらゆるものに言い換えられそうで、保有感がミソな気がしています。

◯共有の財産は大切に扱おう

あらゆるものに個人が保有感を抱き、マウントを取り合う世の中ですが、先ほどからお伝えしているようにそもそもが誰のものでもないんです。
やっぱり大切なことは、謙虚と感謝の姿勢なんだろうなと思います。

「すべては神様が創られた」とまでは言いませんが、あらゆる人、モノ、コトに感謝を示し(迷惑行為など例外もありますが)、気持ちよく「ありがとうございます!」を言える心で在りたいと思います。

誰のものでもないものを取り合うってよくよく考えると理解ができませんよね。
一人の傲慢さが、隣りにいる人に移り、そしてまた隣の人へ…自分中心に世界を生きる人が増えるほど争いは増える。

すべての人間が生きている地球は、一つのものをシェアしています。それぐらい広い視野で、自分の生き方を見つめ直していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、また!ゆうちゃんでした。

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