【ASD育児】4年以上、毎朝地獄だった登園がちょっと楽になった話

0歳児クラスから保育園に預けている長男は4年間ほぼ毎朝登園拒否の癇癪を起こしていて、毎朝憂鬱でした。

0歳児クラスの時は私が登園させていましたが、通勤時間が長いため、家を出るのが早朝6時半。ギャーギャー泣き叫ぶ長男をベビーカーに押し込み、保育園までの約10分を小走りで急いでいました。
1歳児クラスになってしばらくして次男を妊娠し、妊娠悪阻、切迫流産、切迫早産とほぼ寝たきり生活になったため、育休復帰まで送迎は主人担当に。

長男は4歳になるまで会話らしい会話が難しかったのですが、簡単な単語と「んー」で感情表現をしていたので2歳、3歳ごろから毎朝「いやーーー!!」の絶叫を聞きながら見送る事になりました。
調子が良ければ、おにぎりやパンなど朝食を食べてくれるのですが、保育園の用意が目に入った時点で癇癪を起こすため、朝食を摂れないまま登園することもあり、あまりにもひどい時には諦めて保育園を休ませるもしばしば。
朝食を摂れなかった日は、保育園でも大荒れでした。

長男3歳児クラスに上がるのと同時に、次男が同じ保育園に入園。私も社会復帰となり、今まで以上に朝が慌ただしくなりました。
2歳児クラスの時から療育に通いだし、ASDへの声掛けや心づもりの必要性を知ったので、日曜夜に「明日は保育園だよ」など伝えていたのですが、それを聞くと「保育園行かない!」と機嫌が悪くなるのでした。

前日に声掛けをする事で心づもりをする、というのは誰かからのアドバイスだったのですが、正直言うと、あまり気の進む声掛けではありませんでした。
というのも、私自身、自分時間を満喫した休日の最後に「明日は学校だよ」「明日から仕事だよ」と言われると、急に現実の世界ひ引き戻されたような、せっかくの休日を台無しにされたようで最悪な気分に陥ったからです。

一方、次男の方は保育園大好き。
朝からごはんもしっかり食べて、「保育園行くよ」と声を掛けると慌てて玄関へ走っていき、長男に「いこ!おいで!」と手招き。親としては最高に楽です。前夜に「ほいくえん」と口に出そうものなら「いこ!」とすぐに玄関へ走って行ってしまうような子です。
次男が生まれてから「これが定型児か…」と驚くような事ばかりでした。

療育に通ってしばらくした頃、特別児童扶養手当の申請の為、児童精神科を受診する事になりました。
そこで医師から薦められたのが「療育園」。
自分で服を着替える・自分でご飯を食べるなどが出来ず、ほぼマンツーマンで加配の先生が対応してくれているのですが、療育園では身辺自立をもっと手厚く見てもらえるので、そっちの方が向いているのでは?との事でした。療育園へ行くとなると、通っている療育は辞める事になり、保育園も退園。
長男にとって最適な環境を選択したいという思いはありつつも、療育園は10時~14時など、今の仕事を続けられそうにないという現実的な問題でかなり悩みました。

療育園に転園したら、毎朝の登園拒否は無くなるんだろうか。
保育園の何が嫌なんだろう。
行ったら行ったでお迎えの時は楽しそうにしてるのに。

療育ではグループ療育が始まっていました。
かなり慎重派で繊細だった長男は、療育に通いだしてから結構長い間マンツーマンで個別療育してもらっていたのですが、新学期からコミュニケーションが苦手な大人しいASDの子のグループで、少人数のグループ療育が始まりました。
このグループ療育で、長男は初めて弟以外と「喧嘩」を経験することになりました。
最初は全員が距離を置き、ほぼ接触する事が無かったのですが、何度か顔を合わせるようになり、他の子の名前を呼ぶようになり、徐々に「これはダメ!」「ぼくの!」と主張し合ったり、叩かれたり、押したり、怒られたり、怒り返したりを経験するようになりました。絶対に譲れない自分のこだわりを言葉で主張するようになりました。自分では直接文句を言うのは憚られるので、先生に代わりに文句言ってきて!と頼るようになります。

このあたりから、長男の言葉によるコミュニケーションが爆発的に伸びだします。
まず、人に頼るようになり、会話のラリーが増えていきました。
最初は嚙み合わない会話のラリーから、少しずつ少しずつ質問に沿った返答が返ってくるようになり、こちらからの声掛けにも気付くようになりました。
いまだに、真横で大きな声で5回同じ事聞いても気付いて貰えない…など、なかなか声が届きにくい事はありますが、何気なく聞いた質問に返事がある、というだけでも「会話になってる!!」と心が躍りました。

ある日の朝、またいつものように登園拒否、泣いて嫌がる長男をうんざりしながら慌ただしく保育園へ送った日、お迎えの主人と一緒に帰ってきた長男が私の顔を見るなり玄関でポツリと「今日、ぼく朝嫌だったんだ」と呟きました。
「お母さん怖かったの、ぼく嫌だったの」
玄関に入って、朝の様子を思い出したのか、ぽつりぽつりと長男が言葉を零します。朝の長男に対する自分の大人げない態度を思い出し、胸が締め付けられました。
「お母さん怒って怖かったね、ごめんね」
「嫌だった」
「嫌だったね、ごめんね」
「お母さん大好き」
「お母さんも大好き、怒って怖くてごめんね」

登園拒否の4年間、長男が言葉に出せなかった思いを始めて口にしたのだと思いました。

寝る前に今日の保育園は何したの?など聞いてみるのですが、たまに〇〇ちゃんと遊んだ、〇〇先生と電車で遊んだ…など、長男の口から聞ける保育園の情報は少なめです。「〇〇くんいた?」など簡単な質問に「うん」「ううん」と答えてくれる程度。
今日の保育園の話の流れで、明日の保育園についても聞いてみます。
ここからが最近のルーティーン。

「明日はどうしよう?お父さんと保育園行く?」
「お父さん違う、お母さん」
「お母さんと保育園行くの?」
「うんうん」
「いいよ、じゃあ明日はお母さんと車で保育園行こうね」
「うんうん」
「明日は保育園何するんかな~。追いかけっこかな」
「待て待てー!する」
「(長男くん)走るん速いもんな~」

別にお父さんでもお母さんでもいいのですが、自分で送迎者を選んで翌日を迎える事に。
翌朝にも質問。
「お母さんもう家出るけどさ、お父さんと行く?お母さんと一緒に行く?」
「ううん、お母さんと車で…。何か持って行っていいの?」

”何か”とは、登園時に手に握りしめているお守り的なオモチャです。
トミカだったり、ちょっとでかい車のオモチャだったり、プラレールだったり、登園時のお供は日替わり。
お風呂に行く時や登園時など、気合を入れないと行動に移せない時はこの”何か持ってっていいの?”と言い、お守り的お供を持ってくるのがルーティーンになりました。
保育園の玄関で「お母さん持っててね」と母のポケットに押し込んできて、お守りはここで回収となります。

このお守り選別に時間がかかり、なかなか玄関に来ない事もあり…。
長男の1日の気分をぶち壊してしまうため、できるだけ朝から怒らないようにしています。”怒らない”が出来ない日もありますので、その時は即座に謝ります。
「ごめんね!!お母さん怒って怖かったね!大好きだよ!!」

登園するのに気合が必要で、お守りを握りしめないと不安で登園できない長男。
たまに辛い日もあるけど、毎朝本当によく頑張ってくれてるんだから、できるだけ明るく送り出してあげたい。

何が良くて何が悪いのか、また、悪いと思っててもついつい感情的になってしまったり、毎日毎日試行錯誤の連続ですが、いつまで続くんだろうと途方に暮れていた「登園渋り・登園拒否」が少し落ち着く日も出てきた事は、一般的には普通の事のようですが、我が家にとっては大きな大きな前進でした。

たまに同じクラスの魚博士のクラスメイトと登園タイミングが合い、門から靴箱まで競争して走っていく姿を後ろからヒーヒー言いながら追いかけていくのが体力的にしんどく、幸せなひとときでもあります。


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