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中島敦著『山月記』を大人になって再読した話

どーも、わたしです。
最近、大好きだったアプリが廃止になり、しょんぼり中です。
今回アプリが無くなる、というのを初めて経験しました。
年々便利になっていく世の中ですが、小さな薄い箱の中の、1つのアプリケーションがいかに私の生活の中に入り込んでいたか、また写真と違い、そのアプリ内で積み上げた思い出が一瞬で消えてしまったことが少し怖くなりました。

本題

最近、青空文庫にハマっています。
青空文庫とは、書作権が消滅した作品や著者が許諾した作品を公開しているサイトです。
ウェブ上でも読めますが、わたしはアプリで読んでいます。1ページ毎の文字数や背景の色、文字の色も自由に変えられるので、自分が読みやすいようにカスタマイズして読めるところが気に入っています。
文庫本には手が出しづらいけど、読んでみたかった名作がたくさん閲覧可能だったので、一度読んで気に入った作品は、文庫を改めて本屋で買うことにしています。
図書館は、返却日が厄介だしこのご時世だし、電子で読める本があるなら読んでみよう!と軽い気持ちで始めてみました。(この感じだと、性格上3ヶ月後は読んでないな。苦笑)
URL(WEB版) ; https://www.aozora.gr.jp

『山月記』との再会

そんな青空文庫の中で、偶々『山月記』を見つけました。
高2の現代文の授業の教材だったような?挿絵まで覚えてる。
時は流れて、今。「わ!懐かし!」と思って、軽い気持ちでダウンロード。
開けてみたら、
「え、漢字やたらむずくね?普通に読めん」
あの頃は読めていた漢字が読めないことにショックを受けつつ、「もしかしたら、あの時はふりがなが付いとったんかも」と自分に言い聞かせて、電子辞書を引きながら読みました。漢文調というのか?いや〜難しいです。
そして読み終わってからサイトをよく見たら、ふりがな付きもありました🥺(勉強したので良しとしよう)

李徴とわたし

臆病な自尊心と尊大な羞恥心という猛獣を飼い太らせた結果、虎になってしまった李徴。大人になった今読むと、突き刺さって抜けない矢が飛んできたような、そんな衝撃がありました。
袁傪との会話の場面では、薄暗く霧のかかったような闇夜の中に自分もいるような気分になり、李徴の生涯における後悔の念が、直接ジクジクと伝わってくるようでした。
80年近く前の文章でも、全く色褪せず万人が共感し心打たれるのは、著者の無駄のない文章とその内容の普遍性からだと思います。他の作品も今後読んでみたいです。

久々に山月記を読んで、李徴が非常に自分と酷似している気がして不安になりました。わたしの飼い太らせている内なる猛獣も、他人を見下して悦んでいる陳腐なプライドと、他人に失敗や決まり悪いところを見られたくないという気恥ずかしさなのではないかと思うのです。

「もっと自分はやれる人間なんだ」「評価してくれないのは何故?」
「こんな所で足踏みして良い人ではないんだ」
「失敗したくない」「失敗しそうなことはしたくない」
「私が失敗したのは周りや環境が悪いせいだ」

↑これは実際1年前に思っていたことですね。危うく虎になりかけていました。
客観的に自分を見つめ直す機会をもらって、今のところ虎にはならなそうです。

わたしは、自分のことを過大評価する癖に臆病という面倒な性格のため、必ず安牌(自身の実力の7〜8割)を狙ってしまいます。背伸びはしません。挑戦もしません。失敗したくないので。本当にめんどくさい性格。苦笑

今回、登場人物からの生き様を見て、再び襟を正されました。
こんな性格でも受け入れて、少しでも挑戦する気持ちが持てるようになりたいなあ。

もう一度読んでみると、ちょっとだけ人生観が変わるかも?
あ、読むときはふりがな付きがオススメです。
ほな、また✋

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