お母さんも一人の人。あなたも一人の人。お互いに尊重される人間なのです。
育児していても、生活していても。いつのまにか自分で作っていた
不思議な価値観がたくさん存在していることに気付きます。
「アイスが2つしかなくて、子ども2人が目の前にいたら、譲って食べさせてあげるのは大人として当然」
これが美徳だと思っていた、以前の私の価値観でした。
「アイスくらいで、価値観とかそんな大げさなこと言わず。
そんなんこだわらなくたって。どっちでもいいじゃん」
と思いますよね。
ええ、そうです。その通りです。
でも、アイスだって積もりに積もれば・・・なのです。
タイトルの「お互いに尊重されるべき人間」について。
それは、アイスにこだわるちっちゃな私の話から始まります。
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確かにたかがアイスなのです。
「ちっちゃいことだからどっちでもいい」と思っていたはずなのです。
でも毎回なのです。
「私は大人だから」と自分に言い聞かせて、アイスを譲り続けていたわけです。子どもが小さいし「まだわからないから仕方がないね」とか思いながら。
アイスに限らず、そうやって生活全般で「大人は我慢して子どもに譲るのが当然」という価値観が自分の中にありました。いろんなこと。小さなこと。
お風呂の順番とか。ゲームの勝ち負けとか、いろいろ。
それらって自分でも気付かずに、やっぱり我慢だったんですよね。
毎回譲ってると、そのうち1回くらいは「ママだってアイス食べたい」と思うわけです。
そして子どもが大きくなるにつれて気付きます。
社会の中だったら、誰か1人が譲り続けてるっておかしくないか?
意見が違う人と話し合ったり、少しずつ妥協したり、
ほどほどに流したりしながら、人間関係を作るのが社会なわけです。
なのに、うちの子たち、ママから譲ってもらうの当たり前だと思っている・・・・。
誰かが私に頼んだわけではなかったのに、
自分の中で不思議ルールを決めて勝手にやっていて、
そして我慢が積もってる。
そして子どもたちの中に「ママからは譲ってもらって当たり前」価値観を作り上げていた事に気付くわけです。
な、なんと!
良かれと思ってやっていたのに、とんだとんまじゃないか!と、
今までの頑張りにがっかりしたりするわけです。
本来の社会というのは「お互いに違う意見」がある事を知り、
相手との違いや想いに折り合いをつけていく場所なのに、
家庭内がそうじゃなくなってると今度は反省し始めます。
そしてこれじゃいかん!と思って行動を改めるのです。
私は主張しました。
「ママだってアイス食べたい!!」
大人気ないヤツです。子どもかよ!ってツッコミます。
でも、これがお互いの意見を伝え合うということ!です。
大人気ないって思っているのは自分だけかもしれない。
そう自分に言い聞かせます。
すると、子どもたちは「じゃあ今回はいいよ」とあっさり譲ってくれたりするのです。おお!子どもの方が大人な対応に見える!
「いいの????」「半分こ、しよう」
「これあんまり好きじゃないヤツだから、一口だけでいいよ」
なんだか、いろいろな分け合い案が出てきます。
そして成長した子どもの姿をみることが出来て、なんだか胸がホロリとします。
私は「アイス食べたい!」と言ってみたら、
アイスも食べれるし、子どもの成長まで感じられるのです。
ちゃんと「アイス食べたい」って言ってみて、よかったと思うのです。
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「昔はさ~。子どもの分のご飯は自分より先に用意しないと、なんか君たちに悪いような気がしちゃってたんだよ」
先日、パンケーキを焼きながら、そんなことを子どもたちに伝えてみたら
「え~、なんで??」と笑ってました。
今は底なしに食べる家族のために、パンケーキを焼き続けていたら、
「僕たち焼いておくから、ママそろそろ食べなよ」と声をかけて、キッチンに来てくれるようになりました。
子どもたちと同じように父親も私も尊重される人間だということを。
きっかけはアイスだったけれど苦笑。
いつだって、それをちゃんと主張して伝えていくって、実はとっても大切だと思うのです。
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